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英語英文学科

2022.05.12

【卒業生インタビュー】心に残る「humanitarian(人道主義的)な活動」という言葉 大学生からAMDAとの出会いまで P a r t 1 |英語英文学科

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このシリーズでは英語英文学科の卒業生の方々の学生時代と現在の活躍についてお伝えします。

まず第一回目は、AMDAの難波妙さんです。英語英文学科2年生でI.S.A.岡山支部長の蟻正成美さんがインタビューしました。今回はP a r t  1として、大学時代の思い出と今の仕事に出会うまでを掲載します。

(左 難波さん 右 蟻正さん)

(左 難波さん 右 蟻正さん)



−言語学の勉強や陸上部の立ち上げ〜忙しかった大学生時代〜
蟻正:まず始めにお聞きしたいのが、難波さんの大学生時代のご様子についてどのようなものだったのでしょうか。

難波さん:今の学長様でいらっしゃるSr.津田は、私が学生時代ときの言語学の教授でいらっしゃったんですね。その頃はSr.津田の講義は大変厳しいというようなお話もあって、言語学は大変だとみんなが言っていたので、すごく覚えているんですね。

それに加えて部活をするのはすごく大変だと言われていたんですが、私はどんなに大変なのかやってみようと思って、言語学コースを履修しながら大学の時はグリークラブに入っていたんです。それにプラスして、岡山大学の陸上部に入って・・・今清心には陸上部がありますよね。私たちの代から清心に陸上部を作りました。

その頃の体育の先生に「陸上部を作らせてほしい」とご相談を申し上げてね。だから言語学を勉強して、グリークラブをやって、陸上部もやって、とにかく学生時代にやれることは全部やろうと思っていました。

蟻正:かなりお忙しかったんですか?

難波さん:そうですね。その代わり、親には申し訳ないですけどアルバイトはあまりしなかったんですよ。卒業してからでも仕事はできるので、学生時代でしかやれないことをやろうと思ったことを今でもすごく覚えています。

後列左端が難波さん

後列左端が難波さん

−心に残る「humanitarian(人道主義的)な活動」という言葉
蟻正:どういうきっかけで今のお仕事に就かれたのでしょうか?

難波さん:今振り返ってみると、学生時代はその時のいろんな夢とかって自分の頭の中で限られていて、高校時代からキャビンアテンダントになりたいと思っていたんですよ。実際に試験を受けたりしていたんでけど、軒並み落ちて・・・その時の英語英文学科の学科長をなさっていたSr.キャサリンに話をしたことがあり、その時にSr.キャサリンからはすごくあなたの夢はわかる。ただ、人生を通して何かhumanitarian(人道主義的)な活動をやることを考えてみてもいいんじゃないか」と言われたんですよ。

そのときあまり意味が分からなかったんだけれども、でもその言葉は今でも心に残っていますね。Sr.キャサリンは、私があまりにも英語ができないということで、大学1年生の時に私だけ特別に夏休みの宿題が出て、とにかく毎日日記を英語で書きなさいと。

「こんなに英語ができない学生はここ始まって以来だ」と言われました。Sr.キャサリンがそういうように言われたこと、そういう風に私に接してくださって、英語を身近にしてくださったことと、humanitarianという言葉をくださったこと、これらは今でも心に残っていることですね。

−マザーテレサと仕事への道筋
難波さん:それと、当時の渡辺和子学長がいらっしゃったとき、私はちょうど大学3年だったと思います。マザーテレサが来られたんですが、彼女の通訳を渡辺和子学長がされたんですね。その時に、通訳された言葉がまるでマザーテレサが日本語で喋っているようだったんです。

私は自分ですごく固まったのを覚えているんですよ。それはマザーテレサが話をしている気持ち、考え、経験など全てを呑み込んだような日本語の通訳だったと思うんですよね。言葉を勉強するってこういうことなんだという衝撃。そこが学生時代に覚えていることでもあり、そこで私が今のような仕事をする最初の道筋をつけてくださったと、今にして思えば感じることがあります。

1984年11月23日、カリタスホール前でマザーテレサの講話に聴き入る学生たち

1984年11月23日、カリタスホール前でマザーテレサの講話に聴き入る学生たち

−英語の勉強と命への向き合い方
難波さん:卒業して、それから結婚して子どもも3人いるんですけど、3人とも大きくなりました。3人目が生まれて1か月経った時にずっと私は子どもの洗濯をしてこの6年間を過ごしてきたなと思ったんです。子どもたちのために過ごすのも一つの選択だけれども、何か自分でできることはないかなと考えて。一番下の子が生後1か月ぐらいのときからもう一度英語の勉強をし始めたんです。

実はそれ以前から、英語の勉強をもう一度したいという思いはあったので、一番最初の子どもが生まれてそのあとの2人目を妊娠した時も、英語の勉強をストイックな形でやっていたんですよ。一番上の子がいて1歳ちょっとですから、その子の世話をして、寝静まったときの夜中の2時から4時まで英語の勉強をしたりしていました。そして子どもが起きたら世話をして、子どもが寝ているときに一緒に寝て。

そのようにして英語の勉強の時間を確保するということをやっていたんですが、二人目の子どもを流産したんです。その時、私は自分の子どもに対する向き合い方、本当に大切な命に対しての向き合い方が失礼だったなと思ったんですよ。

その命への向き合い方を反省して、でもおかげで3人の子どもに恵まれて、そのあと1か月経ってからもう一度英語の勉強をしようかなと思ったわけです。それこそ中学校のテキストからやり直して、もう一度英検も2級からやり直しをして、子育てをしながらできることをステップ・バイ・ステップでやってきたという感じです。それからだんだん子どもが大きくなってきたら主人が面倒を見てくれるようになりました。

−落ちるところから始まったAMDAとの出会い
難波さん:月に2回通訳セミナーに通っていたとき、宿題でNGOがテーマだったことがあります。そのときにインターネットで調べていたらAMDAが職員を募集をしていたので応募をしたら、やっぱり落ちたんですよ。落ちるところから始まっていますよね、私って(笑)。

そして2003年ぐらいの時、アメリカや中東などがすごく不安定になってきたときに、これから世界は大変になると感じ、もう一度AMDAにボランティアでもいいのでやらせてくれませんかという話をしたんです。そしてしばらく経って連絡があり、ボランティアで来ないかと言われて、1週間のうち3日ほど、1日約4時間のペースでボランティアを始めたんですよ。

すごく覚えているんですけれども、その頃から前学長の原田神父にお会いしたときに「AMDAの活動に入ったら蟻地獄状態だよ」と言われたんですけど、結局本当にそのような状態で嵌まっていき、今に至ります(笑)。

P a r t 2に続く

 
インタビュアー:英語英文学科2年生 蟻正成美さん
I.S.A.(International Student Association)部長。
I.S.A.は世界各地の学生と、お互いの国を理解し合い交流することを目的に様々な活動を行っている。新型コロナウイルスの流行により、以前のような直接の交流はできなくなったが、オンライン媒体を利用してコロナ禍でもできることを見つけて活動している。
I.S.A.岡山支部長として、支部内の会員同士の交流と、海外の方との架け橋となることを目指している。


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I.S.A.(International Student Association)
・ウクライナ緊急募金活動…学内において5月11日~31日まで実施。活動の様子は後日ブログで紹介します。
【卒業生インタビュー】シリーズ

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