皆さまにはますますご健勝のことと拝察申し上げます。
さて、標記大会につきまして、下記の通り開催いたします。
皆さま奮ってのご参加をお待ちしております。
代表 長原 しのぶ
[大会スケジュール]
日時:2025年6月7日(土) 9:30~16:00(予定)
今年度は土曜日の開催です。また、発表者多数につき開始時間を繰り上げました。ご注意ください!
会場:ノートルダム清心女子大学 トリニティホール4階 T41教室
プログラム
9:30 開会 代表・長原しのぶ
9:35 研究発表1 (発表25分、質疑応答15分、以下同)
『万葉集』巻二「大津皇子関連歌」の配列をめぐる一考察
『万葉集』巻十五・三六九七番歌の位置づけ
―「しぐれの雨」を中心に―
11:05 研究発表3
横光利一「朦朧とした風」における空間と女性の身体
遠藤周作『青い小さな葡萄』における「結びつき」
―サルトルの実存的観点から
12:25 総会
13:00 休憩(60分間)
14:00 実践報告
主体性を育む書くことの学習指導の試み
15:00 国語教育部会
● 研究発表・実践報告の資料を、5月28日(水)に下記ファイルボックスにて公開いたします。
25NDSU大会・発表資料ファイルボックス
● 当日の参加申込は不要ですが、大会準備のために、出席フォームを設けます。ご参加のご予定の方は、出席連絡フォーム に記載のうえ送信してくださいますようお願い申し上げます。
● フォームの送信に困難がある方、ご不明の点などがある場合は、期限内に
担当幹事 星野佳之 hoshino_yoshiyukiアットm.ndsu.ac.jp までご相談ください。
● 機関誌『清心語文』第27号への投稿も募集しております。詳しくは第26号投稿規程をご覧下さい。
・日本語日本文学科
・日本語日本文学科(ブログ)
発表要旨
研究発表
『万葉集』巻二「大津皇子関連歌」の配列をめぐる一考察
小谷 友香(ノートルダム清心女子大学大学院生・博士前期課程)
本発表では、題詞や配列の考察から、『万葉集』「大津皇子関連歌」の位置付けを明らかにすることを目的とする。「大津皇子関連歌」は、巻二相聞(一〇五〜一一〇)、挽歌(一六三〜一六六)、巻三(四一六)、巻八(一五一二)の一二首である。先行研究では、「大津皇子関連歌」の相聞・挽歌が、謀反を主題とする一連の物語的配列とする説が有力視されている。特に、題詞の「竊」の語や持統天皇代の冒頭に配列されていることから、謀反を物語る歌群としての位置付けが指摘されている。
しかし、先行研究では、相聞・挽歌の部立を越えて論ぜられており、本当に相聞歌が謀反を物語る内容・配列であるかを再検討する必要がある。相聞は、作歌時期が不明であることが多く、詠まれた年代順に配列することは難しい。そこで、巻二相聞は、各皇子の薨年順に配列されているという説を再検討し、配列の基準を考察する。また、持統天皇代には、天智天皇の皇女を母に持つ天武の皇子・皇女が配列されていることから、配列には政治的意味がある可能性を指摘する。
以上の題詞や配列の検討から、「大津皇子関連歌」の相聞歌は、謀反を主題とした配列は読み取れないことを結論付ける。
『万葉集』巻十五・三六九七番歌の位置づけ―「しぐれの雨」を中心に―
寺尾 穂乃香(香川高等専門学校・助教)
本発表では、『万葉集』巻十五・三六九七番歌の、歌群における位置づけを検討する。
当該歌が配列された遣新羅使人歌群は、新羅に向かう使者一行が、船旅の道中で詠んだ歌々を収めた歌群である。当該歌は、「しぐれの雨」が詠まれているが、本歌群一四五首のうち、雨を詠んだ歌は、この一首のみである。先行研究において、この点に着目した研究は少なく、単なる季節感の歌ではないという指摘に留まっており、その位置づけは明らかではない。本発表では、上記の問題を踏まえ、遣新羅使人歌群における三六九七番歌の位置づけを検討する。
本歌群では、使者一行の帰国時期として設定された秋を意識した詠みぶりが、歌群の随所に散見されるが、当該歌以降、秋の景物の詠出頻度は一気に高まる。このことから、当該歌は、使者一行に秋の到来を告げ、秋への希求を強める働きを持つと考える。加えて、秋との結びつきの強い「しぐれの雨」は、同様の特徴が指摘されている「しぐれ」と比較しても、紅葉を促す機能が強いことから、秋の到来を告げる雨と言える。
以上のことから、三六九七番歌は、遣新羅使人歌群における秋への希求を裏づける歌と位置づけられると結論づける。
横光利一「朦朧とした風」における空間と女性の身体
劉 新雲 (龍谷大学大学院・博士後期課程)
「朦朧とした風」は、震災後に新たに建設されたアパートに居住するレンズ工の木山と、肺病を患うお品との恋愛を描いた「街もの」の一例である。先行研究では、建築論、身体論、人物造形の観点からアパートという空間を分析し、横光の個人的な体験や主人公の移動に焦点を当てることで、登場人物の都市に対する心理的反応や当時の都市問題、さらには横光の社会批判意識が論じられてきた。「病」という視点からの先行研究は、依然として十分ではないと言える。
アパートの空間と密接に関連するお品の身体は、「生」から「死」へと向かう単線的な時間の流れを象徴する存在として解釈することができる。一方、アパートは木山の視線によって一階の「密室」と三階の「実験室」という異なる空間に分裂しつつ、お品の「死」を加速させる空間であると同時に、「生」を求める「愛」を生み出す場でもある。すなわち、お品の個人的な時間に影響を与える空間として捉えられる。本発表では、先行研究の成果を踏まえ、「病」の視点から時間と空間という二つの要素が交錯するお品の病体を分析し、本作におけるアパート空間とお品の身体表象との関係を明らかにすることを目的とする。
遠藤周作『青い小さな葡萄』における「結びつき」―サルトルの実存的観点から
葛 欣怡 (ノートルダム清心女子大学大学院生・博士後期課程)
遠藤周作は一九五○年代にフランスへ留学中、戦争によって崩壊した信仰の危機や、暴力を孕んだ対立な人間関係を実感し、黄色い皮膚を持つキリスト教徒としての自らの信仰と作家としての姿勢を絶えず問い続けていた。こうした中、彼は神なき時代において人間実存の孤独や不安に直面する、サルトルら無神論実存主義哲学者の言説に関心を寄せ、人間と他者との深淵と相剋な関係を超越しようと試みた。『青い小さな葡萄』はその模索の結実として、遠藤が近代の行き詰まりを乗り越える途上における処女長編である。
本発表では、サルトルの実存的視座から作品に描かれる暴力的な人間関係に注目し、戦争のトラウマを抱える登場人物の実存的危機とその内実を明らかにする。次に、「フォンスの井戸」の真相をめぐる描写を通して、世界の不条理に直面せざるを得ない人間実存の重さを捉え、サルトルのヒューマニズムの立場から、「青い小さな葡萄」が象徴する、互いの自由と責任を担い合う人間の「結びつき」を分析する。最後に、書く主体として「青い小さな葡萄」を地上から創造しようとする伊原に、自らの実存観と芸術観を投影した遠藤の姿勢を検討する。
実践報告
主体性を育む書くことの学習指導の試み
木村真緒(岡山県立玉野高等学校・教諭)
現代の国語の授業において、大村はま先生の意見文指導の先行実践に学び、デジタル新聞の記事を読み、記事の内容に対して意見文を書き、さらにその意見文に他者が意見文を書き継いでいくという単元を実施した。本単元は、学習者の実態をふまえ、学習者が自身の考えを他者に伝えるために、根拠の示し方や説明の仕方を考え、表現の仕方を工夫することをねらいとして構想したものである。他者の意見文をふまえながら意見文を書き継いでいくことで、同じ題材に対する他者の考えに触れることができ、それぞれがもともと持っていた考えが深まっている様子や、自分が選ばなかった新聞記事とそれに対する意見文との出会いを通して、学習者の視野が広がる様子が見られた。新聞記事を学習材としたことで、学習者それぞれが興味を持ったものに対して意見文を書くことができ、また、「書き継ぐ」という言語活動を取り入れることで、自分の考えをより的確に他者に伝えるためにどうしたらいいかを考え、自分の意見を支える根拠の妥当性について、主体的に精査しようとする姿勢や表現の工夫を行おうとする姿勢を養うことができた。