2024.08.01
【著者紹介】
家入 博徳(いえいり ひろのり)
書道担当
書道史・文字表記史を研究しています。
家入 博徳(いえいり ひろのり)
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書道史・文字表記史を研究しています。
書家の言葉から見えるもの―羽田春埜編―
「硬筆書法は、専門的に書を研究する人の為にも、亦功利的に文字を習ふ人の為にも基礎的に最必要である。」
この言葉は、展覧会で活躍する書家でありながら積極的に硬筆について発言していた人物が述べたものである(1)。今回は、昭和初期に活躍した書家である羽田春埜(明治24年~昭和33年)の言葉から当時の、そして羽田の硬筆観について見てみたいと思う。
羽田春埜とは
羽田は仮名を専門とする書家である。実践女子大学や國學院大學の講師を務め、日本書道美術院や日展等の展覧会で活躍した書家であり、流麗な仮名を書く書家として、当時著名な仮名の書家であった尾上紫舟と並び称された(2)。また、書家として活動する一方、羽田は硬筆に関する著書や硬筆についての考えを記している(3)。
硬筆観
先述したが、羽田は「硬筆書法は、専門的に書を研究する人の為にも、亦功利的に文字を習ふ人の為にも基礎的に最必要である。」と(4)、「専門的に書を研究する人」(書家や書の研究者等か)であっても、文字を習う人であっても、硬筆の書法を習得することは必要であると述べる。さらに、「毛筆を生命とする書家先生は硬筆に対して概して殆ど無関心であり、また、ペン字などゝ盛んに唱導してゐる向には筆を以てしては満足な作品一枚書けない様なのもあるやに見受けられるが、作家としては筆を執つては傑れた作品が出来なければうそでせう。またペンを持つては実用的には平明な文字が書け、筆による程には行かぬのは当然のことながら尚もつと芸術的なものが書けてよいはずと思はれますが如何なのでせうか」(5)と、当時、毛筆、硬筆それぞれを専門とする人は、それぞれの専門しか関心がなく、それぞれの技能しかないと見受けられたことから、羽田は毛筆も硬筆もどちらの技能の修得も必要と考えた。
羽田は展覧会で活躍する書家でありながら、このように硬筆の重要性を述べるに至った背景として、以下のような考えがあるものと思われる。「己を愛し国を愛する国民は、その国語を尊重愛護すべきは当然であり、その国語を写す為の文字を粗末にしてよい訳はないでせう。私達は果して国語を文字を本当に大事にかけて、軽々しく扱つてはゐないでせうか。」と(6)、国語やそれを書き表す文字を、毛筆、硬筆のいずれで書く場合においても、大切にしてほしいと考えている。羽田は国文学者として著名な折口信夫のもとで『口訳万葉集』の口述筆記をしている(7)。古典と接することが多い環境もまた、羽田の硬筆観へ繋がったのではないだろうか。
硬筆における連綿観
羽田は硬筆書法によって、「殊に仮字に在りては連綿の会得が容易に出来ること等にある。」と(8)、仮字(仮名)を繋げて書く連綿の練習になるとしている。このことから、当時仮名は連綿で書くものであり、習得が必要なものであったといえる。また、「仮字では、原稿紙の枡目の中に一字一字克明に書く様なものは妙味がない。時間と労力の節約から、自然に二つ以上の仮字が相依り相扶けて一連の複合字が出来る。」と(9)、仮名を連綿で書くことの利点を挙げている。
以前、硬筆と字形について考察を行い、そこでは年齢層が高いほど一画一画が離れてなく繋がっていることを指摘し、それは教育によるものであるとした(10)。その際にも示したが、昭和22年度学習指導要領国語科編試案の小学校4、5、6学年においては「かなを二字、あるいは三字とつづけて書くことができるようにして、書くはやさをだんだんと高めていく。」とある。昭和初期において仮名は、連綿によって書いていたことが、羽田の言葉からもうかがい知ることができる。
書家の言葉からは、作品から見えるものとは違った、書家や時代の考えを見ることができる。
注
(1) 『短歌講座』第二巻 改造社 昭和6年
(2) 益井邦夫「黎明期の書道教育考」『國學院大學研究開発推進機構紀要』第6号 平成26年、竹田悦堂「羽田春埜と鈴木梅渓」『近代日本の書』芸術新聞社 昭和59年
(3) 『新式ペン習字法』アルス 大正12年、『短歌講座』第2巻 改造社 昭和6年、『書品』第1号~第3号、第11号 東洋書道協会 昭和24~25年
(4) (1)と同じ。その他にも、「さてペン習字であるが、これは決して、ペンのみに終始すべきではなく、実用非実用を問はず、毛筆を持つてするものゝ為にも、基本根底をなすものです。」と、毛筆で書を書く書かないにかかわらず、硬筆の重要性を述べている(『婦人倶楽部』10月号 大正13年 大日本雄弁会)。
(5) 『書品』第1号 東洋書道協会 昭和24年
(6) (5)と同じ
(7) 上野誠『折口信夫 魂の古代学』KADOKAWA 平成26年
(8) (1)と同じ
(9) (1)と同じ
(10) 尾崎喜光・家入博徳「手書きひらがなの字形に関する研究―「ささき」をどう書くかー」『清心語文』第23号 令和3年