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現代社会学科

2023.09.15

歴史学を学ぶ授業:「社会史特講Ⅳ」―満洲人と清朝の歴史 |現代社会学科|歴史学コース(アジア社会史)|鈴木真 教授

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学科ダイアリー

授業・研究室

現代社会学科では、社会学と歴史学とを学ぶことができます。
私は学科でおもに前近代の中国の歴史について講義していますが、その中の「社会史特講Ⅳ」という授業では、とくに研究対象としている満洲人(マンジュ人)が建てた清朝(大清帝国,1616〔1636〕~1912)について、話しています。

近年、韓国・中国やインドの映像作品などをはじめ、アジアのエンターテインメントを手軽に視聴できるようになりました。
その中で、清朝の皇帝や后妃・皇女・皇子らをメインに据え、権謀術数が渦巻く宮廷を舞台とした時代劇・歴史ドラマが複数、制作されました。

【図1】紫禁城の太和門

【図1】紫禁城の太和門

そうした清朝時代劇・歴史ドラマの舞台となった場所が、紫禁城(しきんじょう)です。明朝の時代(1368~1644)に建設されたこの宮城には、大小さまざまな宮殿や門が存在しました。
「門」と言っても私のような庶民が住む家の門とは異なり、たとえば【図1】の太和門のように、それ自体が一個の宮殿ともいうべき巨大かつ壮麗な門です。この太和門を過ぎると、太和殿をはじめ複数の宮殿があります。「外朝」と呼ばれるこのエリアは、皇帝が公的な政治をおこなうための場所でした。

「外朝」エリアを北に進むと、【図2】の乾清門(けんせいもん)という門が現れます。乾清門の扁額には、向かって左側に漢字で「乾清門」と、右側には満洲文字で「kiyan cing men(乾清門)」と記されています。

【図2】乾清門から乾清宮をのぞむ

【図2】乾清門から乾清宮をのぞむ

この乾清門を過ぎた先(北)が、皇帝とあまたの后妃、皇女・未婚の皇子らが住まう、「内廷」と呼ばれるエリアでした。
王朝や時代によって異なるので一概には言えないのですが、多くの場合、宮城の「内廷」は、皇帝以外の男性の出入りが基本的に禁じられていました。そのため「内廷」と「外朝」とを自由に行き来できる、「宦官(かんがん)」と呼ばれる去勢された男性が、さまざまな役割を果たすことになったのです。

【図3】乾清宮における清朝皇帝の玉座

【図3】乾清宮における清朝皇帝の玉座

しかし清朝では、この内外の往来規制が比較的ゆるやかでした。また皇帝(天子)の住居が、「天」を象徴する乾清宮(【図】3)から別の宮殿に移されるなど、必ずしも伝統的な思想・ルールにこだわっていたわけではありません。

明朝滅亡後、いわばお古の紫禁城にそのまま住みついた、清朝の皇帝・后妃や皇族たち。これらの人びとが織りなす独特な宮廷社会のありようも、清朝の歴史の魅力のひとつかもしれません。


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