日本語日本文学科

人間生活学科

2023.01.01

月の兎は寂しくない|江草弥由起|日文エッセイ231

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    日文エッセイ

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【著者紹介】
江草 弥由起(えぐさ みゆき)
古典文学(中世)担当

中世和歌の研究。
新古今歌壇における物語摂取の在り方、集団の中における歌人の
イメージ形成、南朝歌壇、岡山ゆかりの歌人正徹の研究など。
現代作品における古典作品の享受についても関心を寄せている。
 
月の兎は寂しくない

2023年は卯年です。兎はかわいい動物の代表格みたいな存在で、その可愛いらしさはマイメロディやミッフィー、ピーター・ラビット、ステラ・ルーといった人気キャラクターのデザインにも大いに反映され、多くの人々に愛されています。古来より兎は人々に毛皮や肉が重宝され、神話や昔噺にも語られ、常に身近な存在であり続けて来ました。そんな存在であればこそ、さぞかし和歌にもたくさん詠まれているであろうと思うかもしれません…。しかし実際のところは、そうでもないのです。紋様や着物の柄、家紋などにも兎モチーフが見られますから、縁起が悪いといったマイナスのイメージがあるわけではありません。あんなにモフモフ可愛いのに何故兎は選ばれないのでしょうか。その理由を数少ない和歌の用例を見ていくことから探ってみましょう。


兎が詠まれた最も早い例に『万葉集』(巻14・3529)があげられます。

  等夜乃野尓 乎佐芸祢良波里 乎佐乎左毛 祢奈敝古由恵尓 波伴尓許呂波要
  とやののに をさぎねらはり をさをさも ねなへこゆゑに ははにころはえ

これは相聞の和歌で、愛しい娘と会う隙を窺う様を「等夜の野に 兎狙はり(等夜の野で兎を狙うように)」と詠み表しています。兎が狩猟の対象であることに基づく表現で、この和歌において兎が選択された要因として他に考えられるのは「をさぎ」の「をさ」と「をさをさ」(現代語訳:ろくに。ほとんど。)の言葉を掛ける点に尽きます。この兎の表現が頻繁に用いられたかというと、他に例はないのです。次に兎が和歌に登場するのは平安末期以降になります。

  吹く風に雲の毛衣晴るる夜や月の兎も秋を知るらん(百詠和歌 兎 120)

『百詠和歌』は源光行の句題和歌集で、当時幼学書の代表とされていました。この歌は祥獣部の兎題で詠まれたものですから、表現したいものがあり兎を詠んだというより、兎を詠むことを目的として作られたものです。「吹いた風に、兎の毛衣のような白雲が流され晴れた夜には、月に住まう兎も秋の情趣を知るであろう」と、「雲の毛衣」では白雲と白いふわふわとした兎の毛並みとをかけ、地上に住まう人々が感ずる澄んだ月の美しい秋の夜の情趣を「月の兎」も知るだろうと詠んでいます。ここで詠まれる兎は野を駆ける実在の兎ではなく、故事に基づいた概念上の「月の兎」です。

『夫木和歌抄』にも兎を詠んだ歌が見られます。

  なにとなく通ふもあはれなり片岡山の庵の垣根に(慈円 13039)
  見ても頼みをかけて待ち渡るみちはしとなるすみけり(俊頼 13040)
  迷ふなりの光の白雪には深き道も忘れて(為顕 13041)
  露を待つの毛のいかにしほるらんの桂の影を頼みて(定家 13042)

『夫木和歌抄』とは鎌倉後期の私撰和歌集で、『万葉集』以降の家集・私撰集・歌合などから外れた歌の中より撰歌し、分類・配列したものです。慈円の歌には実在の兎が詠まれていますが、他三首はいずれも概念上の「月の兎」を詠んでいます。

和歌には二つ目の面があります。屏風歌や歌合、勅撰和歌集といった公の場に見せるオフィシャルな面(晴)と、日常的な文でのやりとりや仲間内でのお遊びの歌といったプライベートな面(褻)です。兎が詠まれた上4首はどちらかというとオフィシャルな面(晴)から外れ、ややプライベートな面(褻)に寄っています。つまり、兎をオフィシャルな場で歌語として用いるのは、あまりスタンダードとはされていなかったようなのです。スタンダードとされなかった理由を察するに、和歌において兎と結びつくものが月の他になかったからでしょう。時鳥が懐旧の念を呼び起こす存在とされたように、兎が和歌で詠まれる感情と結びつく存在とされていれば、兎を詠んだ歌はもっと多かったかもしれません。

さて、恋人たちは夜に逢瀬を重ねますから、和歌において月と恋は密接に結びつきます。ならば「月の兎」を恋と結び付けて詠んでみようと考えた歌人に正徹がいます。正徹は岡山ゆかりの室町時代の歌人で、『草根集』はその私家集です。

  見ても知れ空行く月の兎だに光にかよふ契ある世を(草根集 8211)
  知るらめやおよばずとても妻と見て月の兎の恋ふるならひは(同 8233)

しかし、「月の兎」を恋と結び付ける表現はやはり和歌では定着しなかったようで、室町時代以降も増えることはありませんでした。「月の兎」は恋に不向きなのです。

「兎は寂しいと死んじゃうって言いますよね?寂しさとか切なさって和歌に詠まれませんか??」という声が聞こえて来そうですね。兎と寂しさを結びつけた表現は1990年代に入ってからのことで、一説には兎がペットとして飼われるようになったことによって生まれた表現だと言われています。和歌においては、兎は寂しい存在ではありません。当然「月の兎」も全くもって寂しい存在ではないのです。

きっと今夜も、「月の兎」は切ない恋に身を焦がすことも寂しさに泣くこともなく、無邪気な笑顔で餅をついていることでしょう。

*和歌の引用は『新編国歌大観』に拠り、漢字を当てるなど表記は私に改めた。

江草弥由起講師(教員紹介)
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