毎年のように記録的な豪雨が到来し、全国各地で被害が相次いでいます。今年の夏も、テレビやネットから流れてくる豪雨災害のニュースに接し、困惑と不安、憤りを感じることは少なくありません。
岡山県は「晴れの国」と言われ、水害は少ないと思う向きもあるかもしれません。ところが、過去の歴史を遡ってみると、岡山県ではたびたび大きな水害が起きています。3年前の西日本豪雨は今なおリアルな記憶として残っていますが、明治期以降、死者を出した水害は20回を超えています。
このうち最大の被害をだしたのが、明治26年(1893年)の水害です。この時、岡山県内の死者数は400人以上、床上浸水は約3万9000戸、堤防決壊は約11万ヶ所、という未曾有の被害がもたらされました。
私は、地域に残された歴史資料をいろいろと調査しているのですが、最近、倉敷市児島にある野﨑家塩業歴史館で明治26年水害に関する史料を発見しました(写真1の袋)。歴史を研究する者としては、新出史料との出会いほど、知的興奮を覚えるものはありません。発見した袋の中を確認していくと、明治26年水害の被害実態を伝える貴重な史料がおさめられていました。
写真2の地図は、袋の中にあった史料の1つです。明治26年水害時の浸水地域が青色で示されており、一級河川である吉井川・旭川・高梁川の三川の流域を中心に、県全体の広い範囲で浸水被害が発生したことが一目瞭然です。とくに県南で大きな被害がでていることが分かります。
ただ実は、この時に降った雨の総量は、県北より県南の方が少なかったのです。総雨量の少ない県南でより大きな被害がでているという事実は、岡山平野が水害に弱い地であることを物語っています。岡山平野は河川の堆積作用と干拓によってつくられた日本有数の低平地となっており、私たちの住む「晴れの国岡山」は水害に脆弱な土地の上にあるのです。
このように過去の災害を知ることは、私たちの日常的な認識を揺り動かし、今とこれからの災害を考えなおす契機になります。
もう1つ、新出史料を紹介しましょう。それは、明治26年水害に対する岡山県の対応について記した文書です(写真3)。
このなかで、水害が発生した原因に関して、次のように書かれています。
廃藩置県とともに山林制度がゆるみ、山林の濫伐が進んだ結果、風雨あるごとに土砂が河川に流出している。最近の未曾有の水害は、つまるところ山林の濫伐に原因があるのであり、山林を保護し、樹木を植えるなどの対策を講じない限り、到底洪水を免れることはできない。
廃藩置県とは、明治4年(1871年)に明治新政府が統一国家を樹立すべく実施した政治改革であり、これ以後、急速な近代化政策が推し進められていきました。そして、それにともなって山林の濫伐が進行し、自然環境が変化していったことで、洪水が多発するようになった、というわけです。
明治以降の日本社会の歴史は開発の歴史でもあり、それは確かに人びとの生活を豊かにする一方、人と自然の関係を大きく変えました。近代岡山の水害は、岡山平野という土地の特徴だけでなく、そうした人類史的な変化によって引き起こされたのです。
私たちは、今一度、長い歴史的なスパンのなかで、人と自然の関わりを捉えなおし、未来の災害に備えることが求められているのだと思います。
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