古代語・現代語の意味・文法的分野を研究しています。

方言は、日本語学の中でも学生に根強い人気のある分野です。自分の言葉として愛着がある、「方言」という観点が自分の言語を客観視させるなど、事情は色々でしょう。私も専門分野ではないものの、県外出身者であるがゆえに岡山方言に関して気づくこともあり、方言に関する論文を幾つか発表したことがあります。
現在も調査中の事がらがあります。それは、バシという言葉です。いわゆる共通語で「具合でも悪いのか」というところを、「具合ばし悪いのか」というようにいう地域があるのです。聞いたこと、ありますか?
方言辞典の類によると、多くは九州で確認されるものですが、瀬戸内海でも使われる地域があるようです。
『現代日本語方言大辞典』の記述
長崎県壱岐島「猫ばし居ったとか」
大分県直入郡「そーばしするごっ(そうでもするように)」
鹿児島県肝属郡「どきばし(どこへ)行っきゃるか」
喜界島「顔色が悪いようだがあんべーばし悪いのではないか」
『瀬戸内海方言辞典』の記述
愛媛県大三島肥海「コレバシノ モノー ワケルバモ ナイ。」(たったこれだけのものを,みなにわけるだけのものものない。)
この言い方は、実は中央語として鎌倉時代以降に発生し、江戸時代頃まで用いられた古語の残存です。
虎明本狂言・夷毘沙門(室町時代)
うをばしうりに来てあるか(魚でも売りに来たか)
近松門左衛門「心中万年草」(江戸時代)
浮名ばし立てられな(浮名を立てるなどしてはならない)
『日本国語大辞典』という辞書には、以下のような、明治時代の坪内逍遙の用例も掲載されています。
坪内逍遙「春迺屋漫筆」(1891年)
人情専とかかれしには訳ばしあっての儀でござるか
この文語調の文章は、特にバシの部分について「訳でもあってのことですか」とでも注釈をつけないと、現代の読者には理解しづらい部分でしょう。
こうして「現在では衰えて方言にのみ残っている」(『日本国語大辞典』)わけですが、その残存地域が、九州や瀬戸内海の西寄りであるというわけです。
ところが、私がお世話になっている知人が、この言葉を多用することに気づきました。数年前のことです。名高い神社に参拝した時のことを話してくれているときに、「誰でも入れるような場所ではないけれど」という内容を、「誰ばし入れるところじゃねえけど」というのでした。その人は生まれも住まいも岡山市内です。私は、「近松の浄瑠璃に出て来て、逍遙を最後に途絶えた言い方が、自分の住んでいる岡山に残っていた!」と驚きました。
この知人には先日方言調査をさせてもらい、使い方に興味深い特徴があることも分かりました。中世・近世の用法からどうしてここに辿り着くのかなと、今の段階ではよく分からないところもありますが、詰めて考えていけば解釈可能なのではないかと思っているので、いずれ論文にしたいと思います。
それよりも一つ困ったことがあります。今のところこの方以外に、バシを使う人に出会えていないのです。
以前、同じ岡山方言のヤコーという言葉について調べたときには、こういうことはありませんでした。「僕やこうよう分からん」といった言い方に、県外出身の私が気づくのにはしばらく時間を要しましたが、それでもひとたび認識してからは多くの人が使っているのが分かりましたし、実際にアンケート調査を実施したら76名の人に協力を得ることができました。だからバシについても同じようなことになるだろうと思っていたのですが、予想と期待に反して、この語の存在を自覚してからも、この協力者1名の他には、誰かが使っているところに出くわさないのです。
それでも、1人しか使わない方言というものはあり得ません。恐らくバシは、ヤコー以上に狭い範囲や状況で、或いは限られた用法で、使われているのに違いありません。活発な方言も、潜んでいる方言も、気づいたからには記述しておきたいものです。これをお読みの皆さんで、バシをお使いになる方、或いはお身近にバシを使う人を知っているという方は、おられませんか。ぜひお話を伺いたいです。
【出典】
『現代日本語方言大辞典』(平山輝男ほか、1992、明治書院)
『瀬戸内海方言辞典 伊予大三島肥海方言を中心に』(藤原与一、1988、東京堂出版)
『日本国語大辞典』第二版(2000、小学館)
近松門左衛門「心中万年草」の用例は、国立国語研究所(2026)『日本語歴史コーパス』バージョン2026.3 https://clrd.ninjal.ac.jp/chj/ に依る。
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