2024.07.19
2024年6月29日、岡山芸術創造劇場ハレノワで開催された令和6年度岡山市戦没者追悼式において、現代社会学科4年生の出射由貴さんが「追悼のことば」をスピーチしました。
スピーチの内容は、山陽新聞の社説でも取り上げられました(2024年7月10日山陽新聞朝刊・社説「岡山空襲から考える 「戦争とは」問う若者の声」)。
以下に、出射さんの「追悼のことば」を掲げます。「若者の声」を通して、戦争と社会の関係について考えるきっかけにしていただければと思います。
スピーチの内容は、山陽新聞の社説でも取り上げられました(2024年7月10日山陽新聞朝刊・社説「岡山空襲から考える 「戦争とは」問う若者の声」)。
以下に、出射さんの「追悼のことば」を掲げます。「若者の声」を通して、戦争と社会の関係について考えるきっかけにしていただければと思います。
(久野洋)
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追悼のことば
6月29日は岡山にとって特別な意味を持つ日です。79年前の今日、岡山の市街地はアメリカ軍の空襲により、市街地のほとんどが焦土と化し、1700名を超える尊い命が失われました。生き延びた方であっても、家や家族を失い、深く傷つき、苦しみを負った方がたくさんいます。あらためて岡山空襲により命を落とされた方々とその遺族の方々に深く哀悼の意を捧げます。
さて、戦争の本質とは何でしょうか。戦争をはじめる権力者たちは、戦争の正当性を掲げ、それを「正義」であると主張します。しかし、いちど戦争が始まれば、お互いの国のあらゆる資源を破壊しつしかねません。しかも、戦争で命を落とすのは、権力者ではありません。戦場に行く兵士であり、私たち一般の市民です。特に大きなしわ寄せを受けるのは、「子ども」「女性」「障がいを持つ人」「貧しい人」など、社会的に立場の弱い人びとです。私はここに戦争の本質があると思います。
この現象は、今まさに、ウクライナやガザでも起こっています。いつも一番に被害を受け、一番に苦しい思いをするのは、戦争を決断する権力者ではありません。しかも、たとえ人びとの苦しみの声が権力者や為政者に届くことがあったとしても、届いたときには戦争を止められない状況にあるのが現実です。
私は戦時中の女性の日記を読んだことがあります。そこには、戦時下の状況を受け入れつつ、家族と自分の生活を守るために必死に生きる姿がありました。その姿は、今を生きる私たちと何ら変わることはありません。ただ、日記を書いた彼女は、必死に頑張れば頑張るほど、戦争を下支えし、結果的に自らの生存を危うくするという矛盾を抱えていました。こうした矛盾は、戦時下の社会だからこそ生まれるものでしょう。戦争で犠牲になる名も無き人たち、社会的に弱い立場にある人たちのことを想像し、考えることが今まさに求められていると、私は一人の女性の日記を通して感じました。
その一方で、戦争のない日本社会に生きる私たちもまた、受験や就職といったさまざまな競争や、広がりつつある格差のなかで、頑張れば頑張るほど自分の首を絞め、息苦しくなっていくことが、しばしばあります。戦争下の状況は、現代の社会にも通ずるものがあるように感じます。だからこそ、戦争のことを過去の悲惨な出来事として片づけるのではなく、考え続けることに意義があるのではないでしょうか。
戦争が終わり79年経ち、戦争を知らない世代が大半となりました。戦争に対する認識も徐々に変化しつつあることを、身をもって感じています。私たちは、二度と戦争をしないという先人たちの堅い決意を、後世に伝えていく使命があります。その使命を全うするためにも、私たちは戦争を、今という時代と切り離さずに考え続けていきたいと思います。
これからの世界で戦争がなくなり、本当の持続可能な社会が創られていくことを心から祈り、追悼の言葉といたします。
令和6年6月29日
青年代表 ノートルダム清心女子大学文学部現代社会学科 出射由貴
・現代社会学科
・現代社会学科(ブログ)
・久野洋准教授(教員紹介)
・久野洋准教授のブログを読んでみよう!
追悼のことば
6月29日は岡山にとって特別な意味を持つ日です。79年前の今日、岡山の市街地はアメリカ軍の空襲により、市街地のほとんどが焦土と化し、1700名を超える尊い命が失われました。生き延びた方であっても、家や家族を失い、深く傷つき、苦しみを負った方がたくさんいます。あらためて岡山空襲により命を落とされた方々とその遺族の方々に深く哀悼の意を捧げます。
さて、戦争の本質とは何でしょうか。戦争をはじめる権力者たちは、戦争の正当性を掲げ、それを「正義」であると主張します。しかし、いちど戦争が始まれば、お互いの国のあらゆる資源を破壊しつしかねません。しかも、戦争で命を落とすのは、権力者ではありません。戦場に行く兵士であり、私たち一般の市民です。特に大きなしわ寄せを受けるのは、「子ども」「女性」「障がいを持つ人」「貧しい人」など、社会的に立場の弱い人びとです。私はここに戦争の本質があると思います。
この現象は、今まさに、ウクライナやガザでも起こっています。いつも一番に被害を受け、一番に苦しい思いをするのは、戦争を決断する権力者ではありません。しかも、たとえ人びとの苦しみの声が権力者や為政者に届くことがあったとしても、届いたときには戦争を止められない状況にあるのが現実です。
私は戦時中の女性の日記を読んだことがあります。そこには、戦時下の状況を受け入れつつ、家族と自分の生活を守るために必死に生きる姿がありました。その姿は、今を生きる私たちと何ら変わることはありません。ただ、日記を書いた彼女は、必死に頑張れば頑張るほど、戦争を下支えし、結果的に自らの生存を危うくするという矛盾を抱えていました。こうした矛盾は、戦時下の社会だからこそ生まれるものでしょう。戦争で犠牲になる名も無き人たち、社会的に弱い立場にある人たちのことを想像し、考えることが今まさに求められていると、私は一人の女性の日記を通して感じました。
その一方で、戦争のない日本社会に生きる私たちもまた、受験や就職といったさまざまな競争や、広がりつつある格差のなかで、頑張れば頑張るほど自分の首を絞め、息苦しくなっていくことが、しばしばあります。戦争下の状況は、現代の社会にも通ずるものがあるように感じます。だからこそ、戦争のことを過去の悲惨な出来事として片づけるのではなく、考え続けることに意義があるのではないでしょうか。
戦争が終わり79年経ち、戦争を知らない世代が大半となりました。戦争に対する認識も徐々に変化しつつあることを、身をもって感じています。私たちは、二度と戦争をしないという先人たちの堅い決意を、後世に伝えていく使命があります。その使命を全うするためにも、私たちは戦争を、今という時代と切り離さずに考え続けていきたいと思います。
これからの世界で戦争がなくなり、本当の持続可能な社会が創られていくことを心から祈り、追悼の言葉といたします。
令和6年6月29日
青年代表 ノートルダム清心女子大学文学部現代社会学科 出射由貴
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