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日本語日本文学科

2023.11.10

【卒業生寄稿】司馬遼太郎と〈想像力〉 ――二十一世紀を生きる私たちの道しるべとして(轟原麻美)

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日本語日本文学科

大学院

文学研究科

今年は作家・司馬遼太郎の生誕100年にあたります。
本学の学部・大学院で司馬遼太郎の研究に取り組んだ修了生・轟原麻美さんに、記事を寄せてもらいました。
 
 

 
司馬遼太郎と〈想像力〉
――二十一世紀を生きる私たちの道しるべとして
 
 轟原麻美

 
 一九四五年、日本は太平洋戦争の渦中にありました。同年八月七日、陸軍の戦車兵であったある青年は、二十二歳の誕生日を迎えます。そのわずか八日後、日本は降伏し終戦を迎えました。敗戦したその日、「なぜこんなばかな戦争をする国にうまれたのか」(注1)と実感したといいます。同時に青年の中に、昔の日本は、そして日本人はどうであったのかという問いが立ちました。その答えを導くべく、彼は歴史を紐解きはじめます。歴史とその時代を生きた人々について熟考し、数多くの歴史小説を執筆していくことになるのですが、後年次のように述べました。
「私の作品は、一九四五年八月の自分自身に対し、すこしずつ手紙を出してきたようなものだ」と。
 一度は日本人に絶望した二十二歳の自分へ、歴史小説の執筆を通して手紙を出し続けたのが、今年生誕一〇〇周年を迎えた作家・司馬遼太郎その人です。
 歴史小説を書くために司馬は、多くの歴史に関する文献や書籍を渉猟しました。また実際に土地や史跡などをたずね、自らの目で見て、自らの足で歩き回っていました。そうすることで、史料を読み込むだけでは明らかにならない空白の部分、いわば行間のようなものに、司馬は思いを巡らせていたのでしょう。こうして歴史小説を執筆していた司馬は、折に触れ、〈想像力〉の重要性について説いていました。
 
 歴史小説を書く上で〈想像力〉が要となることは、合点のいくことです。歴史上の人物の人生を物語ろうと試みるとき、史料を読み込んだだけでは明らかにならない箇所の多いことは想像に難くありません。果たして、歴史上の人々はどのように考え、どのように振舞ったのだろうか。その時にこそ〈想像力〉が欠かせないのだと司馬は述べました。
 しかしながら、司馬が〈想像力〉の重要性を説いたのは、必ずしも自身の執筆に関することだけではありませんでした。どういったジャンルであれ創作を行う以上、〈想像力〉を絶えず磨かなければならないと語っています。
「人間は大人になっても、一人ずつ子どもをもっていて、恋をするときや作曲、絵画は――小説もしばしばそうですが、ときに学問も――その子どもがうけもっています。(中略)想像力に二種類あって、大人の想像力はせいぜい地上をかすめて地上からすこし離陸する程度ですが、子どもの想像力はそうじゃありませんね。天空までいって花を咲かせる想像力です」(注2)
 創作をする上での〈想像力〉の重要性に言及し、自身のうちにある「子ども」が干からびないためにしなければならないと述べています。つまり司馬にとって〈想像力〉とは瑞々しい感性であり、創作の源になりえるものだと考えていました。
 そしてもうひとつ、司馬が〈想像力〉を重視し、度々言及していることがあります。それは他者を思いやるときに欠かせないものだということでした。
 
 たとえば、小学校の国語科の教科書に掲載するために書き下ろされた随筆「二十一世紀を生きる君たちへ」(『小学国語6年 下』1989・5 大阪書籍)(注3)は、時代の担い手である子どもたちへ「つぎの鎖へ、ひとりずつの手紙として」書かれました。その中で司馬は、様々な民族と手を取り合い生きていくには「いたわり」が必要だと説いています。そのいたわりとは〈想像力〉に由来するものであって、例として「友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげて」いくことが大切だとしています。
 この他者をいたわるための〈想像力〉については、子どもだけでなく大人であっても同じだと別の随筆の中で主張しています。大人の人間として必要とされるのは「経験と知識と判断力と調和の感覚、それに責任感」(注4)だとし、その一方で大人になるにつれて衰弱していく機能があり、それは「想像力、空想力、さらにはそれを基礎として創造力への間断なき衝動」だと述べました。「この三つは、もともと、天が平等にこどもたちにそなえさせている」が消耗してしまうもので、だからこそ「芸術の鑑賞や世界観察、あるいは対人感覚」に、上記の想像力・空想力・創造力を持って接することが大切であると続けました。 

書影は『二十一世紀を生きる君たちへ』(2003・4 司馬遼太郎記念館)。筆者撮影。

書影は『二十一世紀を生きる君たちへ』(2003・4 司馬遼太郎記念館)。筆者撮影。

 いま、世界では、日々情勢が目まぐるしく変化しています。求められる寛容性と、避けがたい軋轢が生まれてしまう状況だと言えますが、このような世の中を迎えることを司馬は予見していたようです。だからこそ人間の持つ「見て、考えて、話しあって、たがいの文化をたしかめあい、そのことを楽しみあう」(注5)能力に期待をしていました。この能力はひとえに〈想像力〉あってこそのものでしょう。
 他者を思いやること、そして地球上に存在する多様な文化を理解することこそ、「高度に哲学的で、かつ文学的なこと」であり「世界性をもったことなのです」と司馬は指摘しています。
 果たしてどのように歩むべきか、私たちは迷いながらも絶えず選択することを求められています。そんな時こそ多くの芸術に触れ、小説を読み、歴史を知り、そして他者への〈想像力〉を惜しまないことが重要だと――時代が移ろいでも不変のこととして、それらのたいせつさを伝え、ひとつの道しるべを残した作家。それが司馬遼太郎だと言えるでしょう。



1 「なぜ小説を書くか」(『小説新潮』第50巻4号、1991・6)。引用は『司馬遼太郎が考えたこと 15 エッセイ1990.10~1996.2』(2002・12 新潮社)に拠る。
2 「日本人、そして世界はどこへゆくのか」(『週刊朝日』第101巻第1号、1996・1)。宮崎駿氏との対談。引用は『対談集 日本人への遺言』(1999・2 朝日新聞出版)に拠る。
3 『二十一世紀を生きる君たちへ』(2003・4 司馬遼太郎記念館)に拠る。
4 「心のための機関」(「大阪国際児童文学館ニュース」第6号、1987・3)。引用は『司馬遼太郎が考えたこと 13 エッセイ1985.1~1987.5』(2002・10 新潮社)に拠る。
5 「人間について」(『ひと 文化 ネパール―第1回大阪・アジア文化フォーラム』1991・3 大阪府生活文化部)。引用は『司馬遼太郎が考えたこと 15 エッセイ1990.10~1996.2』(2002・12 新潮社)に拠る。
【著者紹介】
轟原 麻美(とどろばる あさみ)
ノートルダム清心女子大学日本語日本文学科卒業(2011年度60期生)、2019年日本語日本文学専攻博士後期課程単位取得満期退学。
論文に、
轟原麻美「司馬遼太郎「兜率天の巡礼」論 ―幻想小説に織り込まれる戦中・戦後への眼差し」(『清心語文』第21号)
専業主婦として家族の介護に携わりながら、引き続き文学研究に関心を寄せています。
 

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