2023.11.01
日本語日本文学科・日本語日本文学専攻の卒業生・修了生は、社会の多方面で活躍しています。
今回、学芸員として活躍する白根直子さんに、文章を寄せてもらいました。
赤磐市教育委員会学芸員である本学科卒業生・白根直子さんは、毎年、永瀬清子展示室の展示とイベントを企画運営して活躍中です。
2023年度は、日本語日本文学科の「ツボジョーワールド探検隊」(授業「総合探究Ⅰ」)の学生たちと協働した形で展示と行事を企画。岡山が輩出した児童文学作家・坪田譲治と詩人・永瀬清子の関係を紹介する展示とイベントを行なっています。
【著者紹介】
白根 直子(しらね なおこ)
赤磐市教育委員会学芸員。
2001年度に卒論「永瀬清子私論―宮沢賢治受容と岡山での詩作」作成後、
引き続き大学院博士前期課程・後期課程にて永瀬清子を研究。
2023年10月発行の岩波文庫『永瀬清子詩集』(谷川俊太郎選)の「研究ノート」担当。
永瀬清子展示室企画展
「坪田譲治と永瀬清子―おかやま三大河川を愛した二人の交流」
詩人・永瀬清子と岡山
永瀬清子は、1906年2月17日に現在の岡山県赤磐市松木に生まれ、1995年2月17日に89歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた現代詩の母と称される詩人です。出身地の旧熊山町では、没後の翌月直ちに議会で顕彰事業が提案され、1996年度から永瀬清子の里づくり事業が始まり、1997年2月16日に永瀬清子展示室が開室しました。そして2005年3月7日に赤磐郡内の山陽・赤坂・熊山・吉井の四町により赤磐市が誕生し事業は引き継がれ現在に至ります。
私は、2005年1月から学芸員として着任し、永瀬清子の人と作品の普及に努めているところです。その中で思うのは、戦後の清子の歩みは岡山県の詩のみならず、文化芸術や文化行政の歩みとも共にあるということです。このことは、卒業論文で永瀬清子論をてがけていたときに認識していたものの、学芸員としての仕事を通して知れば知るほどその思いが強くなっています。
また、本学名誉教授の綾目広治先生は、岡山県が多くの文学者を輩出していることから、「岡山出身の人だけでも日本の近代文学史を語ることができるのではないでしょうか」(「岡山の文学者たち 多士済々と反骨と」『岡山の自然と文化 32』岡山県郷土文化財団 2013年3月)と指摘しています。2023年9月8日から11月19日まで開催の企画展で譲治と清子を紹介する折にも、この言葉の重みを感じないではいられませんでした。たとえば、清子は愛知県第一高等女学校高等科在学中に倉敷市出身の薄田泣菫のような随筆を書く人になりたいと考えたことがありました。そして、譲治は旧制金川中学校時代に泣菫の詩を愛読していたことを企画展準備の過程で知りました。こうしたところからも、岡山の文学と日本近代文学史を身近に感じることができるのではないでしょうか。
詩「美しい三人の姉妹」
詩「美しい三人の姉妹」は、永瀬清子が岡山県の三大河川である吉井川・旭川・高梁川を三姉妹に見立てて書いた詩です。現時点で確認できた初出は、①坪田譲治編『少年少女風土記 ふるさとを訪ねて〔Ⅱ〕岡山』(泰光堂 1959年2月)です。譲治と清子は、生前の直接の交流が不明につき、企画展ではこの本と詩が二人を結ぶ接点となりました。その後、②雑誌『高梁川』第9号(1960年5月)、③『日本の旅 名詩集5 山陰 山陽 四国 九州』(三笠書房 1967年10月)、④『ふるさとの詩=5 瀬戸内から九州へ』(三笠書房 1969年7月)、⑤岡山県小学校国語教育研究会編『岡山の子ども文学風土記』(日本標準 1986年9月)に収録されました。ただし、清子の単行詩集には未収録です。とはいえ、これらの本や雑誌に取り上げられたことから、岡山の魅力を伝える詩として大切にされてきたことがわかります。⑤では、譲治顕彰に尽くした加藤章三氏による譲治の紹介、清子主宰の詩誌『黄薔薇』同人でもあった中桐美和子氏による清子の紹介もあります。
そのうえこの詩は、髙原景介氏により混声合唱組曲となり1973年5月20日に文化センター合唱団が初演しました。清子は、髙原氏の依頼により「1 大きな姉 吉井川」「2 足どりも軽く 旭川」「3 珠玉(たま)をいだく 高梁川」「4 清い血脈」「5 美しい三人の姉妹」と原詩にはない副題をつけています。また作曲された詩は、③④の本に収録された最終行に「光る天の帯」の詩句があることも注目されます。この曲は、岡山県内の様々なグループに愛唱されており、赤磐市立赤坂公民館グループ・赤坂グリーンヒルズは、結成記念公演や生誕110年記念の朗読会「永瀬清子の詩の世界」で歌声を披露しました。
授業科目「総合探究Ⅰ」と岡山の文学
このような詩「美しい三人の姉妹」をみずみずしいイラストで表現したのが、「総合探究Ⅰ」受講生の藤澤さくらさんです。清子から見た譲治についての授業を特別講義講師として行った際、赤磐市立赤坂公民館主催講座「赤坂いきいき女性ゼミナール」(現・プリマベーラ赤坂)の皆さんが制作した布絵による三姉妹を見てもらったことがきっかけとなり、藤澤さんは自身の新しい視点で詩の三姉妹を造形してくれました。詩に描かれた景物が、三姉妹のキャラクター造形に反映され、冊子『川がはぐくむ郷土愛~譲治と清子の見た世界~』の表紙を飾りました。企画展のチラシにも使わせてもらったところ、三姉妹の新しいキャラクターを見た方々に新鮮な驚きをもって迎えられました。2023年9月17日に赤磐市くまやまふれあいセンターで行なわれた企画展関連行事では、山根知子先生と受講生の皆さんの工夫にみちた朗読とお話の企画内容に拍手喝采となりました。
詩「美しい三人の姉妹」は、永瀬清子が岡山県の三大河川である吉井川・旭川・高梁川を三姉妹に見立てて書いた詩です。現時点で確認できた初出は、①坪田譲治編『少年少女風土記 ふるさとを訪ねて〔Ⅱ〕岡山』(泰光堂 1959年2月)です。譲治と清子は、生前の直接の交流が不明につき、企画展ではこの本と詩が二人を結ぶ接点となりました。その後、②雑誌『高梁川』第9号(1960年5月)、③『日本の旅 名詩集5 山陰 山陽 四国 九州』(三笠書房 1967年10月)、④『ふるさとの詩=5 瀬戸内から九州へ』(三笠書房 1969年7月)、⑤岡山県小学校国語教育研究会編『岡山の子ども文学風土記』(日本標準 1986年9月)に収録されました。ただし、清子の単行詩集には未収録です。とはいえ、これらの本や雑誌に取り上げられたことから、岡山の魅力を伝える詩として大切にされてきたことがわかります。⑤では、譲治顕彰に尽くした加藤章三氏による譲治の紹介、清子主宰の詩誌『黄薔薇』同人でもあった中桐美和子氏による清子の紹介もあります。
そのうえこの詩は、髙原景介氏により混声合唱組曲となり1973年5月20日に文化センター合唱団が初演しました。清子は、髙原氏の依頼により「1 大きな姉 吉井川」「2 足どりも軽く 旭川」「3 珠玉(たま)をいだく 高梁川」「4 清い血脈」「5 美しい三人の姉妹」と原詩にはない副題をつけています。また作曲された詩は、③④の本に収録された最終行に「光る天の帯」の詩句があることも注目されます。この曲は、岡山県内の様々なグループに愛唱されており、赤磐市立赤坂公民館グループ・赤坂グリーンヒルズは、結成記念公演や生誕110年記念の朗読会「永瀬清子の詩の世界」で歌声を披露しました。
授業科目「総合探究Ⅰ」と岡山の文学
このような詩「美しい三人の姉妹」をみずみずしいイラストで表現したのが、「総合探究Ⅰ」受講生の藤澤さくらさんです。清子から見た譲治についての授業を特別講義講師として行った際、赤磐市立赤坂公民館主催講座「赤坂いきいき女性ゼミナール」(現・プリマベーラ赤坂)の皆さんが制作した布絵による三姉妹を見てもらったことがきっかけとなり、藤澤さんは自身の新しい視点で詩の三姉妹を造形してくれました。詩に描かれた景物が、三姉妹のキャラクター造形に反映され、冊子『川がはぐくむ郷土愛~譲治と清子の見た世界~』の表紙を飾りました。企画展のチラシにも使わせてもらったところ、三姉妹の新しいキャラクターを見た方々に新鮮な驚きをもって迎えられました。2023年9月17日に赤磐市くまやまふれあいセンターで行なわれた企画展関連行事では、山根知子先生と受講生の皆さんの工夫にみちた朗読とお話の企画内容に拍手喝采となりました。
この授業は、岡山市の学生イノベーションチャレンジ推進プロジェクトに申請しており、受講生は申請書作成から報告に至るまでを調査・研究・発表と並行しつつ行います。つまり、文学の魅力を伝えるための実務も経験できるのです。岡山市は、長年にわたり坪田譲治文学賞を核とする文学によるまちづくりを進めており、今年度は「ユネスコ創造都市ネットワーク」の国内推薦都市としてユネスコへ申請しました。
今年度から赤磐市は、岡山市が推進している岡山中枢連携都市圏の事業「文学によるまちづくり」に参加しており、この企画展もその一助となればと願うばかりです。文学にかかわる職業は、教員、編集者、図書館司書、書店員、学芸員など様々ですが、自治体職員として文化行政に携わることで、岡山の文学に貢献していくこともできるのです。岡山の文学を未来に伝えていくこの授業にかかわったことを今後に活かしたいと思います。
今年度から赤磐市は、岡山市が推進している岡山中枢連携都市圏の事業「文学によるまちづくり」に参加しており、この企画展もその一助となればと願うばかりです。文学にかかわる職業は、教員、編集者、図書館司書、書店員、学芸員など様々ですが、自治体職員として文化行政に携わることで、岡山の文学に貢献していくこともできるのです。岡山の文学を未来に伝えていくこの授業にかかわったことを今後に活かしたいと思います。