日本語日本文学科

人間生活学科

2023.02.16

《特殊文庫の魅力》第9回「知の結晶体としての『正宗敦夫講義ノート』」|日本語日本文学科 東城 敏毅

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本学特殊文庫には、本学国文科(現・日本語日本文学科)の教授であった故・正宗敦夫氏の旧蔵書からなる正宗敦夫文庫、江戸時代を代表する国学者である黒川春村・真頼・真道の旧蔵書を収める黒川文庫を中心とし、貴重な古典籍が多く所蔵されています。特殊文庫の資料を授業や自身の研究に活用している日本語日本文学科の教員が、全10回にわたって「特殊文庫の魅力」を発信します。
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《特殊文庫の魅力》第9回「知の結晶体としての『正宗敦夫講義ノート』」
日本語日本文学科 教授 東城 敏毅

 偉大な先生の手書きのノート、それも「講義ノート」には、心揺さぶられるものがある。教員をしているとその講義ノートを作るのに、どれほどの労力を要するのかを実感できるし、また、その講義ノートを記している時に、まだ見ぬ学生たちとの架空の対話をいかに楽しんでいるのか、講義ノートには、それぞれの先生の熱意が、しみじみと伝わってくるものなのである。
 学生時代、とある先生の酔いしれるような朗々とした講義を拝聴し、先生が常に講義に持参される、あの講義ノートには、素晴らしい内容と新たな知見が散りばめられているに違いない、なんとか見たいものだと考えていた。それから10年くらい経ったある時、その先生にノートをお見せいただく機会を得た。そのノートには、箇条書きに記された話すべき項目がただ何点か、羅列されていただけであり、この羅列から、あの名講義が生まれていたのかと、改めて先生の偉大さを実感した。そう言えば、折口信夫の講義についても、岡野弘彦が以下のように記している。

 講義や講演の時には、折口は小さな手帳を持って演台に上がったが、その手帳にはきわめて簡略な、五つか六つの話を進めるための項目が書いてあるだけで、講義中にほとんどそれを見ることもなかったし、また実際の話は予定の項目などにこだわることなく、自在に展開してゆくのが常だった。学生達はその魅力的な話の内容から推測して、折口教授の手帳の内容を見たがったが、他人の目にはそれは味もそっけもない、簡略そのものの見出しに過ぎなかった。
岡野弘彦『折口信夫伝』(中央公論新社・2000年)

 と思えば反面、まるで論文のような講義ノートを作り、一つの講義が終われば、それがそのまま著書になるようなノートを毎講義作成されていた別の先生の講義ノートも拝見したことがある。その先生の講義は、淡々と語りつつも、一つ一つ実証を積み重ねていく講義であり、まさに、毎週新たな新説の研究会そのものであった。あの実証的な語り口は、几帳面な先生のお人柄と、あの綿密な講義ノートがあってこそなのだと、やはり先生の凄さを実感したのである。

「古今集演習講義ノート」「古今集演習講義ノート」

 本学特殊文庫所蔵、正宗敦夫の講義ノートは、まさに後者の典型的な例だろう。1952年から1958年にかけて本学で教鞭を執っていた正宗敦夫の講義ノートの、几帳面に丁寧に記されたそれは、まさに、研究の最前線を学生に伝えようとした、正宗敦夫の熱意が一字一字から滲みわたってくる。一つの授業に一週間もかけて講義ノートを作成するという、そのノートを前に、私自身、冷や汗が出る思いであり、大学で教鞭をとっている私としては、このノートの存在は、驚愕でしかない。

 先生の御講義は週一回で他の日は「ひまさへ有れば学校の下しらべ」を古今集、金葉集、近世和歌史と懇ろにされ、綿密なノートを作り、誠実なる学究生活を貫かれました。真摯なる学問探求、公平なる生徒への愛、それは「鉄幹さん、晶子さん、通泰さん」に対されたのに等しい暖かいまなざしでありました。

藤野宏子「正宗敦夫先生」『清心語文』第4号別冊〔学科創設50周年卒業生記念誌〕
(ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会、2002年)

 正宗敦夫は、作家でもある正宗白鳥の実弟であり、白鳥が東京の文壇で活躍したのとは異なり、岡山第三高等学校医学部(のち岡山医学専門学校)教授でもあった、井上通泰を師として和歌を学びつつ、終生岡山の地を離れることなく、与謝野寛・与謝野晶子らとともに『日本古典全集』を刊行し(日本古典全集刊行会、1925年〔大正14〕―1944年〔昭和19〕)、また古典籍の編集校訂・整備等、地道な、そして堅実な、日本文学の基礎となる仕事・研究をし続けた学者である。師である井上通泰の『萬葉集新考』全8巻も、正宗敦夫の尽力により、國民圖書株式會社より刊行されるのである(1928年〔昭和3〕―1929年〔昭和4〕)。そして晩年には、本学の初代国文学科(現在の日本語日本文学科)の学科長であった澤瀉久孝の招聘により、本学教授に迎えられることとなる。なお、『萬葉集注釋』の澤瀉久孝と、『萬葉集總索引』の正宗敦夫の両氏が、ともに本学で教鞭を執っていたことは、万葉集研究者からすると、驚愕的なことでもあり、誇りとするところでもある。本学正宗敦夫文庫に収蔵されている多くの貴重な典籍類は、正宗敦夫が本学の教育のために収集したものであり、その教育の質の高さを窺うのに十分であるばかりか、その学術的価値は計り知れないものがある。
 さて、世の中には、伝説の講義というものが存在し、受講生の講義ノートをもとに、なんとか、出版して世に出したいと思われるような講義も存在する。例えば、1951年から1956年にかけての井筒俊彦の慶應義塾大学での「言語学概論」は、その典型であろう。本講義については、多くの方が様々な箇所で語られているが、以下に1点紹介しよう。
 
 授業にも出たり出なかったりしていたが、そんな私が必ず出席するようにしていたのは、井筒俊彦助教授の言語学概論だった。(中略)ある人が、井筒先生の言語学概論を聴講するために、京都大学からわざわざ三田山上まで通っていたという話をしはじめたので、さてこそと思い当ったものであった。こういうもぐりが沢山いたからこそ、あの当時の一〇二番教室には一種異様な雰囲気が漂っていたに違いない。(中略)これほど毎回のように知的興奮を覚える授業はなかった。これが大学だ、この言語学概論が聴けるだけでも、慶應に入学した甲斐があった、と私は毎時間ひそかに歓声をあげていた。
江藤淳「井筒先生の言語学概論」若松英輔編『井筒俊彦ざんまい』
(慶應義塾大学出版会・2019年)

 ありがたいことに、財団法人正宗文庫(本学正宗敦夫文庫とは別。岡山県備前市)所蔵の「金葉和歌集講義」には、正宗敦夫自らの緻密な講義ノートが残されていたおかげで、『金葉和歌集講義』(自治日報社・1968年) に結実し、出版されている。本講義の知の結晶を私たちが書籍として読めることは、まさに至宝であり、実際、『金葉和歌集』の研究に果たした影響は計り知れないものがある。そのような講義を、毎回毎回実施していた正宗敦夫の姿勢と、それを受講していた本学の学生たちには、羨望のまなざししかない。また、本学正宗敦夫文庫には、「古今集演習」「近世和歌史」の講義ノートが残されている。本ノートも、まさしく研究書といっても過言ではなく、一つの研究成果を、それも正宗敦夫その人の熱い文字遣いとともに、私たちの前に示してくれているのである。

「近世和歌史講義ノート」「近世和歌史講義ノート」

学生に指導をする正宗敦夫学生に指導をする正宗敦夫

附記
 本記事は2022年度学長裁量経費教育改革研究助成金「「ノートルダム清心女子大学」特殊文庫目録」改訂に向けての資料整理および調査・研究」を受けての研究活動の一環として作成・公開しています。


ノートルダム清心女子大学附属図書館
「特殊文庫」紹介ページ
https://lib.ndsu.ac.jp/collection/special.php

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