• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2023.01.16

《特殊文庫の魅力》第8回「マメタロウの大冒険、あるいは『古典』引用のカオス――『豆太郎物語』の世界――」 | 日本語日本文学科 中井 賢一

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

本学特殊文庫には、本学国文科(現・日本語日本文学科)の教授であった故・正宗敦夫氏の旧蔵書からなる正宗敦夫文庫、江戸時代を代表する国学者である黒川春村・真頼・真道の旧蔵書を収める黒川文庫を中心とし、貴重な古典籍が多く所蔵されています。特殊文庫の資料を授業や自身の研究に活用している日本語日本文学科の教員が、全10回にわたって「特殊文庫の魅力」を発信します。
**************************
 
《特殊文庫の魅力》第8回「マメタロウの大冒険、あるいは『古典』引用のカオス
――『豆太郎物語』の世界――」
日本語日本文学科 教授 中井 賢一 

 特殊文庫には、未だ世に出ていない貴重な作品も多く眠っています。今回は、そのうちの一つ、稀少物語、『豆太郎物語』(黒川文庫[請求記号:H-62])について紹介します。
 
 『豆太郎物語』は、江戸中期成立とおぼしい、見開き換算で46ページ(墨付ページのみ)、縦20.2㎝×横13.3㎝、全一冊の写本(手書き本)です。異文の類書(香川大学蔵本)が存在するものの、他に写本等も無く、文字通りの稀少物語と言えるでしょう。なお、それゆえなのか、あるいは別の理由ゆえなのか、黒川文庫本の表紙に朱書で「珎本」(=「珍本」)とあり、黒川真道らが、本書を稀書として扱っていたことが知られます(画像A参照)。
 

(画像A)

(画像A)

 物語は、いわゆる「小さ子譚(たん)」の話型(=物語展開のパターン)に則って進んでいきます。「小さ子譚」とは、「不思議な出生をした小さい子が、何らかの機を得て成長し、活躍したり成功したり賞賛されたりする」という、例えば、神話や作り物語などに見られる典型的な展開パターンのことです。『竹取物語』のかぐや姫や『一寸法師』の一寸法師などをイメージすると分かりやすいと思います。
 …ある時、子のない夫婦が五条天神に願を掛け、男児を授かる。五条天神がスクナビコナノミコト(『記紀』の小さい神)を祀るゆえか、生まれた男児は豆サイズで、その容姿からマメタロウと名づけられる。二十歳になっても小さいままのマメタロウは、スクナビコナを責めるべく、スクナビコナのいる常世(とこよ)の国へと旅立つが、偶然と誤解が重なり、とある長者の姫君、常世の君に仕えることとなる。やがてホームシックと恋煩いに苦しみはじめたマメタロウは、一計を案じ、常世の君を盗み出して、山中を逃亡する。すべて計画通りに運んでいたはずだったが、そこで得体の知れないモノと遭遇し、まさかの事件に巻き込まれていく。…
 もちろん、上記「話型」ゆえ、マメタロウは、大きくもなりますし、無事、夫婦のもとに帰りもします。しかし、その経緯については、なるほど、『一寸法師』等の類話に比して、確かに「珍しい」と思います。そう来るか、マメタロウ…。全貌は、今しばらくお待ちください。

 さて、『豆太郎物語』のあらすじ(最終盤を除く)については、上に述べた通りなのですが、ストーリーの途上、実に様々な『古典』作品の引用が成されることは、その特徴として、見逃してはならないでしょう。
 例えば、「五条天神」の縁起と効験について夫が妻に説明するところ、
「この天神(=五条天神)と申し奉るは、少彦名命(すくなびこなのみこと)と申す。即ち、天つ御神高皇産霊尊の御子なり。この神の御貌、いと小さくて、鷦鷯の羽を御衣とし、白蘞草の皮を舟に作り、わたつ海の上に浮かみ現れ坐しぬ。大己貴命、即ち、この神と力を合はせ、御心を一つにして、天下を作り、また、現しき青人草、及び、獣のため、その病を治むる様を定め、また、鳥獣、昆虫の禍を払はんため、その呪なひ止むる法を定め坐します故に、今の世まで大御宝、悉くその恵みを被れり。」
との長台詞は、『日本書紀』巻第一の、
「一箇の小男(=少彦名命)有りて、白蘞の皮を以て舟に為(つく)り、鷦鷯の羽を以て衣にして、潮水の随に浮き到る。」、「夫(か)の大己貴命と、少彦名命と、力を戮(あは)せ心を一(ひとつ)にして、天下を経営(つく)る。復顕見蒼生(またうつしきあをひとくさ)及び畜産(けもの)の為(ため)は、其の病を療(をさ)むる方(みち)を定む。又、鳥獣・昆虫の災異(わざはひ)を攘(はら)はむが為は、其の禁厭(まじなひや)むる法を定む。是を以て、百姓(おほみたから)、今に至るまでに、咸(ことごとく)に恩頼を蒙(かがふ)れり。(本文・訓み下しは『岩波文庫本』に拠る)」
を、ほぼ同じ形で引いています。
 また、例えば、「常世の君」の人となりについて説明するところ、
「娘を常世の君とぞ言ひける。世に並びなき姿にて、心様もいと貴なり。(中略)①春は花園の霞をあはれみ、秋は草葉の露をかなしむ。折に触れては、②強からぬ言の葉の流れに心をなん寄せける。これを聞く人、懸想せぬは無し。」
との叙述は、『古今集』仮名序の、
①「花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心・言葉多くさまざまになりにける。」、②「小野小町は、古の衣通姫(そとほりひめ)の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし。(本文は『新全集本』に拠る)」
が念頭にあることは疑いなく、またそれによって、「常世の君」が「小野小町」のような歌才と美貌の人物像であることも暗示されています。
 あるいは、捕らえられそうになったマメタロウが身の安全を図るべく想起するのは、
「牛の子に 踏まるな庭の 蝸牛(かたつむり) 角あればとて 身をば頼みそ」
との寂蓮(『新古今集』撰者のひとり)の古歌でした。
 他にもあるのですが、最後にもう一例だけ挙げておきます。「常世の君」を盗み出すところ、もはやここは説明するまでもないかもしれません。『伊勢物語』の、いわゆる芥川章段に設定がそっくりです。なお、本文はもちろんなのですが、実は、ここは「挿絵」も注目ポイントです(画像B参照)。
 

(画像B)

(画像B)

『伊勢物語』芥川、例えば、高校古文の教科書で見た『伊勢物語絵巻』(鎌倉期以降成立)などの場面絵に、ちょっと似ていませんか? 無論、「芥川」も描かれてはいませんし、マメタロウも「常世の君」を背負ってはいませんけれど。ちなみに、『豆太郎物語』のラスト近く、『源氏物語』や『伊勢物語』がしっかりと出てきます。
 しかし、それにしても、一体どれだけの『古典』が、また、何のためにこれほど引用されねばならなかったのでしょうか? 同趣向の他作品とも併せ、これからの検証課題と言えるでしょう。

 『豆太郎物語』についての詳細は、拙稿「『豆太郎物語』(ノートルダム清心女子大学黒川文庫蔵)翻刻(上)」(『清心語文』第24号 2022/11)をご一読ください(お問い合わせ・送付のお申し込み等は、ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会までどうぞ)。
   同拙稿『(下)』(『清心語文』第25号 2023/11刊行予定)も併せご覧いただけますと幸いです。

附記
 本記事は2022年度学長裁量経費教育改革研究助成金「「ノートルダム清心女子大学」特殊文庫目録」改訂に向けての資料整理および調査・研究」を受けての研究活動の一環として作成・公開しています。


ノートルダム清心女子大学附属図書館
「特殊文庫」紹介ページ
https://lib.ndsu.ac.jp/collection/special.php

《特殊文庫の魅力》(ブログ)
特殊文庫
日本語日本文学科
日本語日本文学科(ブログ)
中井賢一教授(教員紹介)

 

一覧にもどる