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日本語日本文学科

2022.12.16

《特殊文庫の魅力》第7回「 『大正七変人』江見水蔭自筆草稿」|日本語日本文学科 野澤真樹

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日文エッセイ

本学特殊文庫には、本学国文科(現・日本語日本文学科)の教授であった故・正宗敦夫氏の旧蔵書からなる正宗敦夫文庫、江戸時代を代表する国学者である黒川春村・真頼・真道の旧蔵書を収める黒川文庫を中心とし、貴重な古典籍が多く所蔵されています。特殊文庫の資料を授業や自身の研究に活用している日本語日本文学科の教員が、全10回にわたって「特殊文庫の魅力」を発信します。

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《特殊文庫の魅力》第7回「 『大正七変人』江見水蔭自筆草稿」
日本語日本文学科 講師 野澤真樹

 本連載では本学特殊文庫に所蔵されるさまざまな古典籍にまつわるトピックを紹介しています。古典籍とは、江戸時代以前の本のことを指します。実は、特殊文庫にはそれほど多くはありませんが明治時代以降の資料も所蔵されています。今回はその一つ、江見水蔭『大正七変人』の自筆草稿(正宗敦夫文庫、I57)を紹介します。
 

『大正七変人』自筆草稿

『大正七変人』自筆草稿

 江見水蔭(明治2年1869~昭和9年1934)は岡山市生まれの小説家で、尾崎紅葉、山田美妙らの硯友社に属し、代表作『女房殺し』など多くの作品を手がけました。

 『大正七変人』については水蔭の著書『明治文壇史―自己中心』の「脱線の元祖(明治四十五年の春夏)」という章に言及されています(注1)。それによると、『東京朝日新聞』に掲載された『脱線』という連載小説が一部に好評を博したものの、社内では不評で打ち切りとなり、後に後編が『二六新報』に『大正七変人』として連載されたとあります。正宗敦夫文庫に所蔵されるのは、『二六新報』に掲載された全85回のうち、第46回までの草稿を製本したものです(注2)。

 なお、『東京朝日新聞』掲載の『脱線』、および『二六新報』掲載の『大正七変人』第9回までが、大正3年に『大正七変人』と題して九十九書房より刊行されており、これは現在「国立国会図書館デジタルコレクション」にて簡単に読むことができます(注3)。

 さて、実際に草稿を見てみましょう。冒頭には次のような文言があります。

人間の根本位を赤裸々に解釈し/生活の真意義を無装飾に記述す
我党の変人中より七個の代表的選手を出し、大正の新軌道に脱線の奇芸を演ぜしめて、平凡生活〈の成功〉者の荒肝を挫ぐと同時に、不平の人、失敗の人、事を好むの人々に、無上の慰安を与へんとす。但し此著者筆に馬力を掛ける毎に大脱線する悪癖あり。危険と見たら宜しく御注意を乞ふ。


 

『大正七変人』自筆草稿

『大正七変人』自筆草稿

『大正七変人』予告(『二六新報』大正2年7月10日夕刊、第三面より抜粋)

『大正七変人』予告(『二六新報』大正2年7月10日夕刊、第三面より抜粋)

 『二六新報』大正2年7月10日夕刊には、翌日より『大正七変人』の連載が開始する旨の予告があり、これが草稿冒頭の文面に一致します。筆跡からは、紙面の予告も作者自身が手がけていたことが知られます。また、草稿に赤字で「高遠城の完結を待つて掲載也」とありますが、7月10日の誌面で川上眉山の『高遠城』が全122回で連載終了しており、その翌日から『大正七変人』の連載が始まるので、この書き入れに符合します。

『大正七変人』自筆草稿

『大正七変人』自筆草稿

『二六新報』大正2年7月10日夕刊、第三面(国立国会図書館提供、請求記号YB-143)

『二六新報』大正2年7月10日夕刊、第三面(国立国会図書館提供、請求記号YB-143)

素より脱線という語はあつたけれど、それは汽車電車等の真の脱線で、人間常道の脱線行為といふ意味には、未だ誰も使用しなかった。(少くも文章の上に於て)それを自分は初めて脱線的人物の上に当て書き出したのだが、自分では滑稽小説に新紀元を作すものだ位に自惚れて得意でゐた。
(『明治文壇史―自己中心』)

 自筆草稿からは、水蔭がこのように自負する『大正七変人』の制作の過程を見て取ることができます。少し内容を覗いてみると、『二六新報』大正2年7月11日夕刊の連載第一回は次のように始まります。

恐らく日本に只ツた一軒だらう。蛇蛙の専門の商売。まむし屋号の中村鼈原堂、それは下谷仲徒士町三丁目、二枚橋の狭い通りにある。(中略)箱の中に渡してある枯木の枝に絡んで尾を垂らしたのや、宙に吊つてゐる小瓶の中から鎌首を擡げて居るのや、それは既う種々である。此方は飼養場に宛てゐるのだらう。(中略)どれを見ても気持の好いのは一つも無いが、それで買手があるからの売品。これが又海外へも盛んに輸出されるさうだから、這んな家でも世界的の商店として誇るに足る。

 当時としては風変わりな店の客に、薄井墨絵という女優が登場します。次に引用するのは、男が墨絵の容姿を品定めする箇所です。

驚きましたねえ。あれですかい。美人だが少し凄いね。顔が長くッて、鼻が低い。段々見て居るとアラが出るが、併し顔の肉理(きめ)は滅法濃かい。いづれ石けん屋や化粧品屋の広告に使はれる玉ですね。全体何者でせう、芸者ぢやアありませんね。
 

『二六新報』大正2年7月11日夕刊、第三面(国立国会図書館提供、請求記号YB-143)

『二六新報』大正2年7月11日夕刊、第三面(国立国会図書館提供、請求記号YB-143)

『大正七変人』自筆草稿

『大正七変人』自筆草稿

 この少し失礼で、しかし生き生きとした行文を草稿で確認すると、「顔が長くッて、鼻が低い。顔の肉理(きめ)は滅法濃かい」とあり、その途中に「段々見て居るとアラが出るが、併し」という文句が挿入されています。また、「石鹸屋や化粧品屋の広告」という具体的な記述は、元あった何らかの一節を墨で消した上で書き足されていることがわかります。草稿からは軽妙な文章が様々な推敲を経て完成したことが知られます。

 江見水蔭の自筆草稿は、『大正七変人』という作品の成立の過程、また新聞小説の連載形式など、多くの情報を語ってくれるでしょう。貴重な古典籍と同じように、このように作者の創意工夫を経た生の資料もまた、文学研究に有用な知見をもたらすに違いありません。


注1 『明治文壇史―自己中心』(博文館、昭和2年)
注2 『大正七変人』の連載期間は次の通り。
 前編(原題『脱線』) 『東京朝日新聞』明治45年3月14日~4月1日(全60回)
 後編『大正七変人』 『二六新報』大正2年7月11日~10月6日(全85回)
注3 国立国会図書館デジタルコレクション『大正七変人』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945466

画像の掲載を許可された国立国会図書館に御礼申し上げます。


附記
 本記事は2022年度学長裁量経費教育改革研究助成金「「ノートルダム清心女子大学」特殊文庫目録」改訂に向けての資料整理および調査・研究」を受けての研究活動の一環として作成・公開しています。


ノートルダム清心女子大学附属図書館
「特殊文庫」紹介ページ
https://lib.ndsu.ac.jp/collection/special.php

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