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日本語日本文学科

2022.11.01

断想二題(その3)|中井賢一|日文エッセイ229

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
中井 賢一(なかい けんいち)
古典文学(中古)担当
平安期を中心とした物語文学の研究
古典文学の教材化の研究

 
断想二題(その3)

一 「卑怯な女三宮」ふたたび
 カトリック大学で、何度も「裏切り者」を取り上げるのは、気が引けるのであるが、今回も女三宮(『源氏物語』)から始めたい。ありがたいことに、先の拙文「断想二題ふたたび」(「日文エッセイ219」2022.1)(注1)にもご感想をいただいた。感謝申し上げたい。二題いずれも、概ねご賛同いただけたようで、胸をなで下ろしている所であるが、一題目「卑怯な女三宮」については、今少し補足しておこうと思う。
 女三宮は、密通後、「御心の鬼」に苛まれ(『新大系』若菜下巻p.379)、また、密通を「わが御をこたり」と振り返る(若菜下巻p.387)という。我々読者としては、これらを契機に、女三宮が、自らの非を認めて変容していくのではないか、浮舟のごとき「後悔し改心する」未来へと歩み出すのではないか、と期待したくもなるのであるが、いかんせん、事はそう簡単には運ばない。以下、柏木死去直前の、いわゆる「煙くらべ」の贈答を引用する。いずれも下線部分は和歌、それ以外は手紙本文である。
[柏木]
    いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなをや残らむ
   あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に迷はむ道の光にもし侍らん。
(柏木巻p.6)
(訳) 今は限りと私の遺骸を焼く火が燃えるその煙もくすぶって尽きない。そのように尽きることのない、私のあなたへの思いの火がずっとこの世に残るのだろうか。
   せめて「あはれ」とだけでもおっしゃってください。心を静めて、その言葉を自ら死の闇に迷い込むその道明かりといたしましょう。
[女三宮]
   心ぐるしう聞きながら、いかでかは。たゞ推しはかり。「残らん」とあるは、
    立ち添ひて消えやしなましうきことを思ひみだるゝ煙くらべに

   をくるべうやは。(柏木巻p.9)
(訳)胸が詰まる思いで聞きつつも、どうしてお見舞いを差し上げられましょうか。ただただご推察ください。あなたの和歌の、私への思いが「この世に残るのだろう」とのお言葉には、
    私も一緒に添って立ちのぼり消えてしまおうか。辛いことを思い乱れる思いの火の煙の激しさを比べるために。
   あなたに遅れはとりません。

 瀕死の柏木という状況もあろう。子を成した縁も頭をよぎったに違いない。しかし、それらを差し引いたにせよ、これが自らの非を認めた者の返答であろうか。否、心中をも想起させる相思相愛、立場を弁えぬ、いわば、満額回答以上の増額回答ではないか。到底、女三宮が「後悔し改心する」類の人物像たり得ないことは明白である。
 顧みれば、先述の、「御心の鬼」に苦しみ、「御をこたり」を思う場面も、それらの前後には、「院(=光源氏)をいみじくをぢ(=怖ぢ)きこえ給へる(女三宮の)御心」(若菜下巻p.377)、「院(=朱雀)も聞こしめしつけて、(私女三宮のことを)いかにおぼしめさむ」(若菜下巻p.387)とあった。要するに、女三宮が苦しむのは、我が身への、夫光源氏の怒りを恐れ、父朱雀の失望を案じるゆえであって、決して「破壊」されたものを思って自らを責めるゆえではないのである。どこまでも利己的、畢竟、女三宮は、その程度なのだ。
 一般論ではあるが、「後悔」も「改心」も、己が非の自覚の後にしか芽吹き得ないものであろう。だとすると、女三宮にとって、それらは、「背任」・「破壊」・「卑怯」の自覚の後にしか成り立ち得ない。
 繰り返す。女三宮に浮舟のような「救済の可能性」はない。女三宮は、「後悔し改心する」ことがない。その前提としての「己が非の自覚」がない。浮舟と対を成すゆえんである。
 しかし、だ。「己が非の自覚がない」、ということは、つまり、自分が正しいと思っている、ということ…。だとすると、女三宮にとっては、ある意味、最も幸せなのではないか。そう言えば、全て酷似の人間に、私たちは、時に出会う…。そうなのか? もしかすると、これこそが女三宮の「救済」なのか…。…まあ、いずれにせよ、所詮、「その程度」なのだけれども。  

二 『光源氏物語抄』の分からなさ
 『源氏物語』の注釈書、『光源氏物語抄』に注目したい。鎌倉中期成立とおぼしき本書は、現存の『源氏』注釈書では、かなり早期のもので、完本は、本学附属図書館特殊文庫蔵の黒川文庫本しか存在しない。これも先の「断想二題ふたたび」にて、河内本の夕顔像を取り上げたが、本書が依拠する『源氏』本文も河内本系であり、同じく河内本に依拠する『紫明抄(しめいしょう)』ともども、鎌倉期の河内方『源氏』学の様相を伝えている。『源氏』本文を、基本的に「(…本文…)と云事」の形で引用し(注2)、その後に注釈が付されるスタイルを採るが、先行研究に指摘の通り、その注釈は、『紫明抄』や『河海抄(かかいしょう)』にも取り込まれており、『源氏』注釈史上の影響力という点でも、本書の資料的価値は極めて高いと言える。
 さて、それはそうなのだが、いざその注釈の内容――スタンスと言うべきか――に目を転じると、急によく分からなくなるのである。
 先行研究に言われるように、確かに、出典の注記は詳細であるし、多く引用元資料の転載も忠実になされている。チェック済みの合点らしきものも随所に見られるし、『源氏』本文の記述順・展開順に沿うよう注釈の記載順を改めるマークもある(画像参照)。所々には、レイアウトを統一するごとく書き出しの高さを揃えるマークまで見られる。諸注釈書の校本作成にかかる草稿本、との見立てもある通り、なるほど、次なる清書に向けて正確を期せんとする、一種、綿密なスタンスは、確かに看取されはするのだ。
 ところが、一方で、これも言われるように、和歌の出典の誤りがあるし、注釈の脱文もある。誤字も多いし、黒川文庫本第一帖には書き止しのページがそのまま綴られてもいる。他にも、肝心の本文引用でも、例えば、桐壺巻、桐壺更衣の死を母が嘆く場面、「むなしき(桐壺更衣の)御殻を(母が)見る見る、猶(桐壺更衣が)おはするものと思ふがいとかなしければ」と河内本にはある所(注3)、「見る見る」が欠落している。あるいは、桐壺更衣の死後、三歳の光源氏が宮中から退出する場面の注釈、『法曹至要抄』の「無服殤假事」(注4)が引かれるが、「殤」の字が偏であったり、「義解」を「義経」、「一日」を「百」等と誤記したりしているし、そもそも假寧令の当該箇所は、縁者の死に際した官人の、いわば、忌引規定の一部で、「無服殤假」は、七歳以下の子が亡くなった場合のそれである。どうも大きな誤解があるらしく、この場面の注釈としては、意味を成さないと言わざるを得まい。「綿密」とは対極の、なんとも「杜撰」なスタンスも、同時に本書には見え隠れするのである。
 さて、実はここからが本題だ。『源氏』では、前述「光源氏が宮中から退出する場面」の後、親子の離別を哀れむ地の文が続き、桐壺更衣の母が葬送の車に乗り込む場面へと至る。本書にも、①②の注釈が、例の如く、本文を「…と云事」の形で引用した後に付されるのであるが、なぜかの間に、「三歳にてはゝ(=母)にをくれ(=遅れ)給ふ と云事」との項目と、その注釈があるのだ。しかし、この「三歳にて…給ふ」の一文、河内本『源氏』には、存在しないのである(注5)。
 だとすると、単純に考えるならば、現存河内本以外にも河内本系『源氏』がかつて有り、そこには「三歳にて…」の一文が存在した、そして、その本文に基づき本書は成った、ということになる。河内本系『源氏』に、知られるそれらとは異なる本文の写本が存在し、その様態をも伝える資料として『光源氏物語抄』はある、ということになるのだが…。
 果たしてどう考えれば良いだろう。「綿密」ゆえに確かに正しく引用されたと考えてそれを信じるか、「杜撰」ゆえに何らかの誤写等があったと考えて信じないか。
 あるいは、「…と云事」との形を採ってはいるが、そもそも本文の引用ではないと見るべきか。そう言えば、「ふちつほ(=藤壺)をかゝやく(=輝く)日の宮 と云事」などという、本文そのままの引用とは考えにくい「…と云事」のパターンもあった。いや、しかし、ここの「三歳にて…」の場合は、「をくれ給ふ」と光源氏への敬語も付されていて、いかにも物語本文そのままのような書き方ではないか…。
 他にも、本書が「取り込まれて」いる『紫明抄』を見ても、「問題の一文」を、本書同様に注釈項目として取り上げる伝本があるかと思えば、立項すらしない伝本もある(注6)…。
 どう考えれば良いのだろう。…やはり、よく分からないのである。

黒川文庫本『光源氏物語抄(請求記号:E-15)』(第一帖)六丁表(右側)と六丁裏(左側)

黒川文庫本『光源氏物語抄(請求記号:E-15)』(第一帖)六丁表(右側)と六丁裏(左側)

・注
(1)「断想二題ふたたび」(「日文エッセイ219」2022.1)
 https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c=blog_view&pk=16388751763fe286c2b82bc9f79a9670ad339bf101
 なお、女三宮と浮舟の「裏切り」と「救済」の問題は、以下の拙文にも触れている。併せ参照されたい。
 ・「断想二題」(「日文エッセイ213」2021.7)
https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c=blog_view&pk=16239815641e6c358077818c3a35fcf9ed387990ef
(2)他にも「(…A…)の事」「(…B…)事」などの形で、ABに語句や名称、場面の要約等を掲げる場合もある。
(3)『河内本源氏物語校異集成』(風間書房)に拠る。拙文中の「見る見る」を有する本文は、『尾州家河内本源氏物語』(八木書店)に拠り、仮名に漢字を当てる等、適宜、表記を改めた。
(4)『法曹至要抄(ほっそうしようしょう)』は、平安末期~鎌倉初期成立の法律書である。「無服(むふく。「むぶく」とも。)の殤(しょう)」とは、『律令』假寧令(けにょうりょう。官人の休暇に関する諸規定。なお、「假」は「暇」と同意。)においては生後三ヶ月~七歳での死の謂で、親はそのための服喪を要しなかったとされる。
(5)注3、『河内本源氏物語校異集成』に拠る。なお、『源氏物語大成校異篇』(中央公論社)に拠る限り、青表紙系諸本にも、このような一文は存在しない。
(6)例えば、前者は京大本(『紫明抄・河海抄』(角川書店)等)、後者は東大本(『源氏物語古注集成18紫明抄』(おうふう)等)などが挙げられる。なお、後者では、桐壺更衣の死を言う「夜中うち過ぐる程になん絶え果て給ひぬ(本本文も、注3同様『尾州家河内本源氏物語』に拠り、一部、表記を改めた。)」との注釈項目(見出し)があり、その釈文の一つとして「問題の一文」が掲げられている。

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