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日本語日本文学科

2022.09.01

カワウソと狐と河童のはなし|野澤真樹|日文エッセイ227

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
野澤 真樹(のざわ まき)
近世文学担当

江戸時代の小説を主な研究対象としています。
 
カワウソと狐と河童のはなし

『雨月物語』『春雨物語』の作者として有名な上田秋成は、30代の頃、浮世草子と呼ばれる娯楽小説を2点著しています。1点目は『諸道聴耳世間猿(しょどうききみみせけんざる)』、2点目は『世間妾形気(せけんてかけかたぎ)』です。いずれも「気質物(かたぎもの)」と呼ばれる内容で、度が過ぎた気質を持つ人々の有様を面白おかしく描くものです。

浮世草子は西鶴の『好色一代男』(天和2年〈1682〉刊)に始まります。西鶴は俳諧師で、彼の浮世草子の本文には縁語、掛詞など、さまざまな俳諧的連想が織り込まれています。秋成の作品にも同じような特徴が見えるのは、浮世草子を書いた頃、彼自身も俳諧を嗜んだからです。秋成の浮世草子には一話全体を連想によって展開するものがあります。たとえば、次のような話です。

『諸道聴耳世間猿』巻五に「昔は抹香けむたからぬ夜咄」(注1)という話があります。江戸時代の人々の娯楽の一つに、皆で集まって笑い話や怪談を語り合う「夜咄(よばなし)」がありました。「夜咄」が得意というこの話の主人公は次のような人物です。

人をとる事他念なき男。二条室町に店借したる川口や礒右衛門(いそえもん)といふ町幇間、呉服所の歴々へ心やすく立入て、・・・酒間の落し咄に腹をよぢらす軽口。とり付引つけ迂作(うそ)が上手とて「川獺(かはうそ)」と異名をつけられぬ。

(人を「取る」ことに余念のない男、二条室町に借家住まいする川口屋礒右衛門という太鼓持は由緒正しい呉服屋に遠慮なしに出入りし、・・・酒を飲みながらの笑い話に聴く者の腹をよじらすような軽口が得意、とりわけ嘘が上手だからと、「川獺」とあだ名された。)

「川口や礒右衛門」は人を笑わせる「嘘」が得意で、略称の「かわいそ(川磯)」を転じて「川獺」と呼ばれています。彼は夜咄の会の人気者、しかしこの夜咄の会には、決して歓迎されない人物もいました。

さきからさきの咄の中に、一夜もかかさぬ新町の有徳人、平野や七左衛門とて年ばいの六十過し吝親父(しはおやぢ)。らうそくの費をいとひ暮きらぬうちから来て、去がけには人の挑灯と連立て帰らるる。

(老若入り交じっての次から次の夜話に一晩も欠かさずやってくる新町の金持、平野屋七左衛門といって年配の六十を過ぎたケチ親父。自宅の蝋燭の節約のためとまだ明るいうちからやってきて、帰りがけには他人の提灯と一緒にお帰り。)

平野屋の親父はとにかく吝嗇家で、自宅で蝋燭を灯すのを嫌がって暗くなる前に夜咄の会にやってきたかと思えば、帰りには自分の提灯に火を灯すのがもったいないからと他人の提灯をあてにして一緒に帰るという倹約ぶりです。当然ながら彼は嫌われ者でしたが、年配者ゆえ誰も文句を言えずにいます。

さて、大胆者の「川獺」はこの平野屋を懲らしめることを企みます。「川獺」は平野屋を「釣狐(罠を仕掛けて狐を捕らえること)」の見物に誘い、「金のいらない遊び」と聞いて喜んだ平野屋はまんまとその誘いに乗りました。しかし、「川獺」と平野屋は「釣狐」に達した浪人の技を盗もうとしたという言いがかりをかけられ、今にも斬り殺されそうになります。「川獺」は平野屋に、浪人をなだめるために料理屋や芝居で接待するよう頼み、命の惜しい平野屋も言うとおりにします。実は、「川獺」と浪人がぐるになって、ケチな平野屋にしこたま金を使わせたのでした。

この一話を包む連想とはどのようなものでしょうか。この話の冒頭には次のようなくだりがあります。

天竺にては班足太子(はんぞくたいし)の塚の神。大唐にては幽王の后。我朝にては鳥羽院の上臈(うへわらは)と化したりしも、はては那須野の叢にかくれて殺生石となりけるとや。

この一節は鳥羽院を悩ませたという伝説の妖狐・玉藻前を描く謡曲「殺生石」をふまえたものです。作中の「釣狐」の達人という浪人の名前も、「東国下野那須野辺の浪人・三浦介兵衛殿」と、「殺生石」の逸話に登場する武士・三浦介に拠っています。この「釣狐」も狂言の有名な演目で、本文中に「貞五郎や藤九郎が釣狐の狂言見るやうな物でない」と、当時実在した狂言師に言及します。そして最後に平野屋が接待した芝居は人気演目「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」で、狐が化けた女・葛の葉と、子の道満との「子別れ」という有名な場面があるものです。

このように一話全体が一貫して「狐」の連想に拠ることには理由があります。そもそも「人をとる事他念なき男」とされている磯右衛門ですが、ここでの「取る」とは人を騙す、化かすことです。彼のあだ名の「川獺」は当時、狐や狸のように人を化かすことで知られていました。つまり「川獺」というあだ名から、同じく人を化かす獣の「狐」が導かれているのです。

『諸道聴耳世間猿』は、当時秋成が暮らした大阪に実在した人物が描かれることがわかっています(注2)。そして実は、この「川獺」にもモデルがいます。大阪船場で両替商を営んだという河内屋太郎兵衛、略して「河太郎」と呼ばれた人物です(注3)。「河太郎」はご存じの通り河童の別称です。河童もまた、人を「取る」妖怪であることは言うまでもありません。

実在人物・「河太郎」は死後に複数の作品に取り上げられていますが、『諸道聴耳世間猿』の逸話が彼の実際の行為に拠るのかどうかは資料がなく、未解明です。「狐」と「川獺」の連想からなる一話は一読して純粋な作り話に見えます。しかし当時大阪に暮らした人の少なくない一部は、「狐」、「川獺」という連想の先に「河太郎」の姿を見たに違いありません。

江戸時代には実在人物の噂話を大っぴらに作品化することは禁止されていました。「川獺」も「狐」も、モデルとしての「河太郎」を隠すカムフラージュだったのでしょう。本文の連想を辿り、作品の真の姿が見えることもあります。これも、江戸時代の小説を読むことの楽しみの一つです。

図:野澤研究室の河童グッズ

図:野澤研究室の河童グッズ

〈注〉
注1 『諸道聴耳世間猿』の引用は『上田秋成全集』第7巻(中央公論社、1990年)に拠り、一部踊り字を開くなど表記を改めた箇所がある。
注2 中村幸彦「秋成に描かれた人々」(『中村幸彦著述集』第6巻、中央公論社、1982年)
注3 野澤真樹「寛政期「河太郎物」の原点ー『諸道聴耳世間狙』に描かれた河太郎ー」(『日本文学研究ジャーナル』第7号、2018年9月)


野澤真樹講師(教員紹介)
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