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日本語日本文学科

2022.07.01

地名の「語り」に耳を傾ける ― 香川県の浦島伝説を旅する ―|東城敏毅|日文エッセイ225

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
東城 敏毅(とうじょう としき)
古典文学(上代)担当

奈良時代の文学、『万葉集』『古事記』について研究をすすめています。
 
地名の「語り」に耳を傾ける ― 香川県の浦島伝説を旅する ―

1.地名の語る「歴史」「語り」
 私たちは、世界的なパンデミックを経験し、現在まだその不安や恐怖から逃れられてはいない。そして今まさに、ロシアによるウクライナへの軍事介入をも目の当たりにしており、一般の人々が犠牲となって亡くなっていく様子を、映像やネットで目にしている。「ジェノサイド」という言葉を、今まさにこの時代に聞くことになろうとは、そして、その映像を、現実の問題として実際に見ることになろうとは、誰も予想していなかったはずである。
 そのような中、日本政府は、ウクライナの首都を、ロシアの言葉に基づいた「キエフ」ではなく、「キーウ」に表記を改めると発表した。また、ロシア語に基づいた表記になっているウクライナ国内の他の都市、例えば、ウクライナ最大の港湾都市「オデッサ」は「オデーサ」に、あの原発事故が起きた「チェルノブイリ」は「チョルノービリ」に表記変更したのである。これについては、ニュースやネット上で、多くの意見があり、批判もあったが、実は、これは単なる読みだけの問題ではない。なぜなら、地名にはその土地に住み着いていた人々の、「歴史」「語り」「思い」が込められているからである。
 例えば、和歌には、枕詞と呼ばれる技法がある。「飛ぶ鳥の明日香(あすか)」「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」という、「飛ぶ鳥の」や「隠国の」が、それぞれ「明日香」「泊瀬」という地名にかかる枕詞である。これには、明日香という湿地帯の土地に、霊魂の化身とも考えられる鳥が舞い降りるという、飛ぶ鳥の習性と信仰と、壮麗なる明日香の土地讃(ぼ)めの意識・イメージが付与されている。「泊瀬」という土地は、泊瀬川両岸を取り囲むように連なる山々の一帯であり、長い谷の合間の土地で、まさしく、当時「隠国(こもりく)」とも呼ばれていたイメージが端的に表されているだろう。したがって、私たちは、現在でも「飛(ぶ)鳥」をそのまま「あすか」と呼びならわしているのであり、「隠国」のイメージにつながる「長谷」を、「はつせ」または「はせ」と読んでいるのである。まさしく枕詞は、地名とともに、その土地のイメージを語り、その土地を讃美している重要な用法といえるであろう。

2.香川県の浦島伝説
 さて、香川県三豊市詫間町には、荘内半島という場所がある。そこを旅していると、以下のような地名に出会えるはずだ。
 「生里」「糸の越」「姫路」「箱」「紫雲出山」「仁老」
 このような地名から、私たちは、そこに「浦島伝説」の「語り」を垣間見ることになる。これらの地名について、現代では以下のような「語り」が言い伝えられている。
 ・生里(なまり) ― 浦島太郎が生まれた土地
 ・糸の越(いとのこし)― 浦島太郎が釣り糸を持って通った土地
 ・箱(はこ)― 浦島太郎が玉手箱を開けた土地
 ・鴨ノ越(かものこし)(丸山島)― 浦島太郎が亀を助けた浜辺。浦嶋神社がある。
 ・積(つむ) ― 乙姫からもらった宝物を積んで帰り着いた土地
 ・紫雲出山(しうでやま)― 玉手箱から出た煙が紫の雲となってかかった山
 ・室浜(むろはま)― 浦島太郎が若さを失わないまま、しばらく過ごしたとされる土地
 ・姫路(ひめじ)― 姫が浦島太郎と別れた後、一時立ち寄った土地。亀戎社(かめえびすしゃ)がある。
 ・仁老浜(にろはま)― 老人となった浦島太郎が余生を過ごした土地

紫雲出山から見た瀬戸内海

紫雲出山から見た瀬戸内海

香川県三豊市詫間町生里

香川県三豊市詫間町生里

室浜

室浜

浦島太郎の墓

浦島太郎の墓

丸山島ならびにふもとの鴨の越にある浦嶋神社

丸山島ならびにふもとの鴨の越にある浦嶋神社

 確かに、この荘内半島は、1950年頃からの「浦島伝説の里」という観光プロモーションによって、浦島太郎の土地としてPRされ、著名になったという経緯がある。しかし、それ以前から、この地名は、私たちに、「浦島伝説」を語りかけていたのである。実際、室町幕府3代将軍足利義満が、1389年厳島神社参詣の折、瀬戸内海航路の要所でもある三崎神社(生里)にも寄港し、以下のような歌を詠んでいる事実を確認できる(『鹿苑院殿厳島詣記』〔ろくおんいんどの いつくしまもうでき〕)。
  へだてゆく 八重(やへ)の汐路(しほち)の 浦島や 箱の三崎の 名こそしるけれ
 この土地が「浦島」と呼ばれていたことが分かり、また、この土地に一つの「語り」があったことが確認できる。もしこのような地名が、市町村合併のような行政上の変革で、別の地名に変えられたり、別の呼び方で呼ばれるならば、その「歴史」「語り」は消えてしまうことになるはずである。

3.地名の「語り」に耳を傾ける
 日本全国には多くの「浦島伝説」があり、著名なものを挙げるだけでも、以下のような土地と結び付いている。
 ・京都府与謝郡伊根町(『丹後国風土記』に記される土地) 
 ・京都府京丹後市網野町  
 ・兵庫県豊岡市 
 ・愛知県知多郡武豊町  
 ・神奈川県横浜市神奈川区  
 ・長野県木曽郡上松町(竜宮から戻った浦島太郎が日本を旅している途中、木曽川周辺を見て竜宮を思い出したとする)
 香川県の荘内半島は、その中の一つにすぎない。しかし、コロナ禍の不安や戦争の報道がなされるこのような時代だからこそ、その土地その土地の、過去の「語り」に真摯に耳を傾ける必要があるだろう。そして、地名の「語り」をまずは体感してみることが重要である。そこに、私たちの忘れかけていた「歴史」「語り」がよみがえってくるかもしれない。
 ところで、2022年に竜宮からこの世に戻った浦島太郎は、300年後の現代を見てどう思うだろうか?
 ―300年前(1722年)、日本では天然痘流行後、日本で最初の無償医療施設「小石川養生所」が徳川吉宗によって設置された。また、世界ではペストの大流行後、あの『ロビンソン・クルーソー』を書いたデフォーが『ペスト年代記』を執筆し、そして、ロシア帝国がペルシアに侵攻する年。
 ……あまり変わらない、とでも言うだろうか?

【参考】
1.今川貞世『鹿苑院殿厳島詣記』渡辺静子・西沢正史編『中世日記紀行文学全評釈集成』第六巻
(勉誠社、2004)
2.「三豊市観光交流局」(閲覧日:2022年5月10日)
●「浦島伝説」に興味のある方は、以下を参照。
 1.重松明久『浦嶋子傳』(現代思潮社、1981)
 2.三浦祐之『浦島太郎の文学史』(五柳書院、1989)
 3.三舟隆之『浦島太郎の日本史』(吉川弘文館、2009)

 
(写真撮影:東城敏毅)
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