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日本語日本文学科

2022.03.01

寅年に虎に寄せて思ふこと|江草弥由起|日文エッセイ221

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
江草 弥由起(えぐさ みゆき)
古典文学(中世)担当
中世和歌の研究。
新古今歌壇における物語摂取の在り方、集団の中における歌人の
イメージ形成、南朝歌壇、岡山ゆかりの歌人正徹の研究など。
現代作品における古典作品の享受についても関心を寄せている。

 
寅年に虎に寄せて思ふこと
 
 情報源が数多くある現代社会において、虎がどんな姿をしてどんな声で鳴くかを知らぬ人は少ないでしょう。実物を直に見る機会がなくとも、少し調べれば写真や動画でどんな生き物かを容易に知ることができます。我々は姿形を知り、虎を既知の生物として捉えていますが、古くはそうではありませんでした。日本に虎は生息せぬが故、虎を実物として認識することが可能となったのは江戸時代以降のことなのです。
 ですが、虎という生き物が大陸に存在していることは書物を通じて早くから知られていました。十二支の一つに「寅」が当てられていることもその証左の一つです。『日本書紀』天武天皇朱鳥元年(西暦686)四月戊子(19日)条に、新羅からの調物が並べられており其の内の一つに「虎豹皮」が記され、これが現在文献で確認できる範囲での、虎の姿を知る物的な手がかりを得た最古の例と考えられます。とはいえ多くの人が「虎豹皮」を容易に手にできる状況であったとは考え難く、ほとんどの場合書物に書かれていることや人の口で語られることを手がかりに虎がどんな生き物かを想像していたでしょう。

和歌における「虎」
 虎を目にすることが叶わなくとも歌には詠まれます。真実そのものを知らなくとも、それがどう詠まれるかを知っていれば歌に詠めるのです。
  整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角(くだ)の音も 
  あたみたる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに
  (万葉集 巻2 柿本人麻呂 199)

 これは従来漢籍の影響が指摘される柿本人麻呂の長歌の一節で、笛の音の猛々しさを表すのに虎の咆哮が詠まれています。平安時代の漢詩には、『史記』蘇秦伝の「秦は狼虎の国、親しむべきならざるなり」を踏まえて
  強呉滅兮有荊蕀  姑蘇台之露瀼瀼
  暴秦衰兮無虎狼  咸陽宮之煙片片(和漢朗詠集 源順 532)
 
と、虎を残忍で恐ろしいものの喩えとして用いています。虎を狼と並べて恐ろしい猛獣とする表現は物語にもみえ、
  入り方の月いと明きに、いとどなまめかしうきよらにて、ものを思いたるさま、虎、狼だに泣きぬべし。(源氏物語 須磨)
と、素晴らしい様を表すのに、虎や狼のような恐ろしい猛獣ですら感涙するほどであるとする表現が用いられています。
 また、釈迦が飢えた虎に我が身を与えたという故事を踏まえた和歌も見られます。
  いにしへの虎のたぐひに身を投げばさかとばかりは問はむとぞ思ふ
  (拾遺集 雑上 よみ人しらず 508)

 この歌は相手がいる女性に恋した男が、「釈迦に倣って自分が我が身を虎に投げ出せば哀れに思って消息を寄越してくれるだろうか」と詠んだ歌です。ここには虎の猛々しい恐ろしさは詠まれてはいませんが、下記のように釈迦の故事と虎の恐ろしさを合わせて危険な恋を詠んだ歌も見られます。
  有りとてもいく世かは経る唐国の虎ふす野辺に身をも投げてん
  (拾遺集 雑恋 よみ人しらず 1227)

 人妻への恋を詠んだ歌で、野辺は人妻、虎はその夫を譬え、「つらい恋に身を焦がして長らえたとしても幾代も過ごせるわけではないのだから、いっそ他国にある虎(夫)が臥すという野辺(人妻)に身を投じようか」と詠みあらわしています。以後、「虎臥す野辺」は虎を詠むときの常套表現となります。
  をみなへし虎ふすのべに匂ふともをらではいかが人のすぐべき
  (俊成五社百首 女郎花 139)

 例えば藤原俊成のこの歌は女郎花題で詠まれたものですが、女郎花は女性のことも意味しています。「虎臥す野辺(虎ふすのべ)」を詠むことで、危険があっても惹かれるほどの女郎花の美しさのみならず、恐れがあっても相手を得たい恋心をも表しているわけです。『六百番歌合』の「獣寄恋」題の歌には、「虎臥す野辺」をアレンジして「虎臥す谷」や「虎臥す島」と詠み込む表現が見られるほどに「虎臥す〜」の和歌表現は定着しました。誤解があってはいけませんので補足しますと、人妻への恋が歌われている=当時の人々が人妻を奪う恋をよしとしていた、というわけではありません。「恐れを知りつつも叶えたい恋」というモチーフは古今東西問わず物語にも歌にも見えるものであり、「虎臥す野辺」はそれを表す言葉の一つとして好まれたのです。和歌において「虎臥す野辺」が虎を恐れぬ勇敢さを詠むものではなく、虎を恐れる理性に抗えぬ感情の激しさを詠むものとされたことからは、歌人らが求めた和歌美意識の一端を窺うことができます。

「虎」よりも恐ろしいもの
 最後に次の歌を紹介しておきましょう。
  よの中にとらおほかみはかずならず人のくちこそなほまさりけれ 
  (秋篠月清集 獣部十首 269)

 藤原良経のこの歌には、「世の中で虎や狼などは恐ろしいものの数には入らない、人の口がやはり何よりも恐ろしいのだ」という心が詠まれています。恐ろしさを象徴する想像上の虎よりも、自身が置かれた場所で感じる人の口の怖さの方がずっと恐ろしいのだという心は、現代社会を生きる我々にも痛いほど共感できることなのではないでしょうか。
 虎よりも恐ろしいと思われる言葉を口にせぬよう、むしろ恐ろしい虎すらも心和らぐ言葉を口にできるよう、この寅年を過ごしていこうと思うのです。

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