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日本語日本文学科

2022.02.09

〈食べる〉文学・〈作る〉文学|長原しのぶ|日文エッセイ220

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
長原 しのぶ(ながはら しのぶ)
近現代文学担当
太宰治や遠藤周作を含めた近代と現代の作家を対象にしたキリスト教と
文学、戦争と文学、漫画・映画・アニメと文学などを研究テーマとする。
 
〈食べる〉文学・〈作る〉文学

〈食べる〉文学
 体験型の観光旅行やイベント参加型の授業が主流になりつつある現在、文学にもその流れを感じます。文豪の愛した食べ物や小説内の料理がクックパッドに並ぶのもその一つでしょう。〈読む〉ことに留まらない形で文学の楽しみは大きく広がっています。
 私が〈読む〉だけではない文学を意識したのはずっと昔です。あるエッセイ漫画(注1)の一コマに次の場面が描かれていました。(台詞のみを紹介。表記はママ)

こないだ読んだシーナマコトの本にスパゲティゆでて バターからめて しょうゆで味つけて カツブシかけて食べるっつーのがあったなァ
あれなら材料もあるし作ってみっか・・・
まぁやってみよう・・・


 この後、漫画では実際に作るのですが、余計なアレンジを加えたため、料理は大失敗に終ります。これを読んで、レシピとなった「シーナマコトの本」に出てくるスパゲティが気になりました。それは、椎名誠の「望郷シーナスパゲティ」(注2)でした。次に引用します。

つくり方は簡単で、よく茹でたスパゲティを皿に盛りいきなり大量のカツオブシをコレでもかコレでもかと叫びつつばさばさふりかける。あついスパゲティにふりかけられたカツオブシはおかしなことにそこでわらわらと身をよじって躍るのだ。数秒それを眺めたのち続いてすぐにマヨネーズのチューブをサカサにして「コノヤロコノヤロ」と叫びつつ、ぐにょぐにょとまんべんなくひねり落下させる。次に「ドーダドーダ」と叫びつつショー油を注ぎ、間髪入れず全体をごちゃごちゃにかきまぜて食ってしまうのだ。

 今では、「椎名誠 スパゲティ」で検索すると椎名誠が考案した「望郷シーナスパゲティ」として作家本人のレシピも公開され、「作ってみた」「アレンジしてみた」と書き込みのある人気料理です。しかし、本に記されているのは、「数秒それを眺めたのち」、「間髪入れず」とだけで、カツオブシ何グラムや醤油大さじ何杯などの指示は一切ありません。そのため当時は、「ばさばさ」「ぐにょぐにょ」「ごちゃごちゃ」というオノマトペの連続と「コレでもか」「コノヤロ」「ドーダ」という叫びで完成する文学的表現の料理がレシピとして利用されたことに驚きました。文学にはこんな展開もあるのかと思ったのです。大袈裟に言えば、文学に対する新しい〈目〉が生まれました。

〈作る〉文学
 その体験を受けて、自分が〈読む〉ことだけにこだわっていた太宰治作品についても少し別の楽しみ方を見つけました。例えば、「陰火」(『文芸雑誌』1936・4)の次の箇所(注3)です。

君は、これを笑ふであらうか。おれは寝床へ腹這ひになつて、枕元に散らばつてあつた鼻紙をいちまい拾ひ、折紙細工をはじめたのである。
まづこの紙を対角線に沿うて二つに折つて、それをまた二つに畳んで、かうやつて袋を作つて、それから、こちらの端を折つて、これは翼、こちらの端を折つて、これはくちばし、かういふ工合ひにひつぱつて、ここのちひさい孔からぷつと息を吹きこむのである。これは、鶴。


 自分を裏切っていた妻への嫉妬と怒り、愛欲と愛情という複雑な内面を抱えた「おれ」がその気持ちを持てあます中で友人の家を訪ねる場面です。
 「おれ」は友人宅で「動いていなければいけない」と思いながら唐突に「折紙細工」をはじめます。それは、何かをしていないと自分の胸中に渦巻く「かなしさ」に押しつぶされそうになるためです。
 ここで注目したいのが、「頭脳をからつぽ」にしないために折るのが「鶴」だという点です。何故「鶴」なのでしょうか。折る行為そのものが重要であれば「鶴」以外にもあるでしょう。私は、「鶴」を完成させる最後の工程、「ちひさい孔からぷつと息を吹きこむ」ことが関係していると考えます。ここで「おれ」は、折る行為によって妻とのことを考えない状況を作ると同時に、行き場のない溜まりに溜まった感情を「鶴」の体内に「ぷつと」吐き出すのです。
 この「おれ」の行為を実際にやってみようと思いました。本作が昭和11(1936)年に発表されたことを考えると、「おれ」の手にした「鼻紙」は、現在のティッシュ(注4)ほどに薄く柔らかいものではありません。当時と今での紙の違いはありますが、「鼻紙」(ティッシュ)で「鶴」を折ってみました。
 ここで大きな問題が生じます。現代の通気性の良い薄いティッシュだと肝心の「ちひさい孔からぷつと」という息は全て漏れ出てしまいます。結局、翼の両端を指で慎重に引っ張ることで形を整えます。ティッシュの「鶴」は思いの外綺麗な形で完成しましたが、息を吹き込まずに誕生させた「鶴」は何となく自分の存在とは懸け離れたところにある〈綺麗な物体〉となりました。
 このように〈作る〉を実際にやってみると、見えてくることがあります。まずは、「鼻紙」(さらに薄いティッシュ)でも集中すれば「鶴」は折れるということ。そして、「鶴」の完成に「ぷつと息を吹きこむ」ことは必須であること。「おれ」は、「枕元に散らばつてあつた」「鼻紙」という(使用済みかもしれない)ゴミから「鶴」を生み出します。ゴミが、「おれ」の吹き込む息、すなわち感情を注ぎ込まれた「鶴」へと変身するのです。作品は「おれ」の心の中の塊が「鶴」に昇華される形で終幕します。この物語のあり方を〈読む〉だけではなく〈作る〉ことも通して実感しました。
 このように、体験する、参加するという姿勢で改めて文学を楽しむのも面白いものです。皆さんもぜひ色々と実践してみてください。それもまた、文学の新たな〈読み〉に繋がることでしょう。
 

ティッシュで折った〈鶴〉

ティッシュで折った〈鶴〉



1.うぐいすみつる『身辺雑布25』(1997・うぐいす姉妹)
2.椎名誠『ひるめしのもんだい』(1992・文藝春秋)
3.太宰治『太宰治全集2』(1998・筑摩書房)
4.日本製紙クレシア株式会社によると、日本初のティッシュは1964年に発売した「スコッティ ティシュー」である。(日本製紙クレシア株式会社「商品の歴史」https://www.crecia.co.jp/products/information/origin/ 最終閲覧日:2021/12/20)



長原しのぶ教授(教員紹介)
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