10年。
もう、かも知れません。
まだ、かも知れません。
復興庁「福島12市町村における生活基盤再建に関する実証調査事業」有識者会議委員を拝命します。
あの時、私は原子力広報を担当しておりました。
知るほどに深い理解と奥深い問いを見出していたことを、この瞬間にも思い出します。
あの日、私はこの上なき絶望感と虚無感に苛まれました。
福島第一原子力発電所1号機水素爆発の瞬間を、忘れたことはありません。
委員のお話を頂いた時、あまりにも色々なことが走馬灯のように駆け巡り、葛藤しました。
私で良いのか?あの時何もできなかった私に、今何ができるのだろうか?
そんな中、本学の教育理念が、
何度も何度も私に優しく包み込むように語りかけてまいりました。
心を清くし、愛の人であれ
真の自由人たれ
浜通りそして真備町のことに想いを馳せた時、
半歩でも前に踏み出すことが、あのことを知る今の私にできることかも数少ないことかもしれない、
そう思えたのです。
現地にも足を運びます。
関わっている人々の尊い日常の歩みがあるからこそ、
私たちは、今こうして生を全うできているのです。
日本人ひとりひとりが、日々向き合っていかねばならないこと。
任を終えた時には、
福島のいまを、これからを、
岡山の方々に
中国・四国の方々に
広く日本や世界の方々に
何らかのカタチで、お伝えせねば、と思っております。
日々の暮らしとして、人間生活として、復興とは何か?に正面から向き合ってまいります。
置かれた場所で咲くために。