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日本語日本文学科

2021.12.01

坪田譲治研究と普及活動のあゆみ-岡山市とノートルダム清心女子大学との連携-|日文エッセイ218|山根知子|近代文学

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当
宮沢賢治・坪田譲治を中心に、
明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。
 
 
坪田譲治研究と普及活動のあゆみ
-岡山市とノートルダム清心女子大学との連携-

岡山市と歩んできた坪田譲治研究
 岡山市出身の小説家・児童文学作家の坪田譲治(1890‐1982)は、2020年3月3日に生誕130年を迎えており、2022年7月7日には没後40年を迎えます。
 その岡山市名誉市民・坪田譲治の業績を称えた坪田譲治文学賞は、岡山市によって没後2年目に制定されました。現在、第37回の選考が2022年1月の決定に向けて進んでいます。この坪田譲治文学賞の第17回から運営委員を務めてきた私は、ちょうど20年、この選考と受賞行事の運営に携わってきたことになります。
 振り返ると、この20年に受賞された作家20名の皆さんとその作品との出会いが懐かしく思い起こされます。また、それらの坪田譲治文学賞受賞作家が誕生するまでには、選考委員の皆さんの選考に込めた並々ならぬ思いが及んでいることを現場で実感してきました。その当初からのご担当だった選考委員の五木寛之さんをはじめ、自らも受賞者で選考委員になられた森詠さん、阿川佐和子さん、中脇初枝さん、また児童文学作家としてご活躍の西本鶏介さん、森絵都さんも、評論家として幅広い見識をお持ちの川村湊さんも、それぞれ坪田譲治への深い想いを抱いておられることをしみじみと聞かせていただく体験をもちながら、運営を進めることができたことは幸いでした。
 さて、私がこのような役目をいただくようになり、また坪田譲治研究を本格的に始めたきっかけは、次のような経緯でした。
 私が本学に着任した1998年4月に発行された月刊誌『国文学 解釈と鑑賞』では、坪田譲治特集が編まれており、私は坪田譲治の「魔法」論を執筆していました。それを読んだ岡山市の坪田譲治文学賞担当者から連絡があり、坪田譲治文学賞運営委員の依頼を引き受けたのですが、この賞が発足した当初の運営委員の一人には詩人・永瀬清子の名が記されており、その後任にあたることをのちに知り、恐縮したものでした。
 私自身は、それまで宮沢賢治の研究を中心として進めていましたが、岡山市に生まれ高校まで岡山で育った私は、本学着任以前に賢治研究のためのフィールドワークで花巻市をめぐり、その盛んな顕彰活動や、宮沢賢治学会が市とともに運営され、研究者も市民も協力しあっている実態を好ましく見てきた体験から、今度は自らがふるさと岡山市で坪田譲治研究や顕彰活動を活性化できることを、嬉しく感じました。
 しかしながら、実際に着手していくと、坪田譲治研究は、作家としての基礎的研究も文学研究もたいへん遅れていることを痛感する状況でした。岡山と東京の坪田家ご遺族の方々に取材してその研究と発表をすることが出来たのですが、その時ご協力いただいたご高齢の方々は時を経てお亡くなりになり、今から思えばお伺いできたことが奇跡のようです。また、すでに岡山で活動していた「善太と三平の会」「坪田譲治を顕彰する会」の方々、および郷土史家の方や生家の近所の方から、多くの情報とありがたい励ましをいただいたあたたかい関係も貴重なものでした。

岡山市と本学とで進めた坪田譲治研究・顕彰とその発信
 こうして、私の初期の坪田譲治研究は、当時の岡山市文化政策課(現・文化振興課)の職員の方をはじめとして岡山市デジタルミュージアム(現・岡山シティミュージアム)職員の方々が、研究の進展を待望してくださったおかげで加速し、そうした方々と「坪田譲治研究会」を結成し、本学を会場に研究会を開きながら進めてきました。そのなかで、岡山シティミュージアムの映像作品を学生が声優となり制作したり、譲治生家の100分の1模型を完成させたり、坪田譲治を紹介する副読本『坪田譲治と岡山』を発行したりといった実りにつながりました。
 大学では、坪田譲治を扱う授業を始めたとき、その開講は『山陽新聞』(2002年7月8日)に取りあげられました。そうした学生の学びの成果を岡山市が支援する場として、岡山市ホームページの「岡山市文学賞」のサイトに「学生による坪田譲治ワールドへの招待」が2011年に開設され、私が監修となって学生の成果を発信し、これまでの10年間毎年継続されています。
 そうしたなかで卒業論文に譲治を手掛けたゼミ生も数多く、さらに譲治に影響を与えた小泉八雲や譲治の師である小川未明を手掛けた学生もいれば、譲治の弟子である松谷みよ子、あまんきみこ、大石真の研究をした学生もおり、譲治との関係を踏まえて卒論を進めていたことを思い出します。そうしたゼミ生から、地元文学館の学芸員となった卒業生たちが、坪田譲治の担当者として育っていったことも頼もしいことでした。
 こうした経緯において、2003年6月には、坪田譲治の弟子である松谷みよ子氏の講演会、2010年3月の譲治生誕120年には、あまんきみこ氏と私との対談が、岡山市・岡山市文学賞運営委員会と本学との共同の主催により本学カリタスホールで開催されました。
 そのなかで、日本語日本文学科教員の尽力に始まり、学長および附属図書館の支援をいただき、館内に譲治直筆原稿や初版本などを収集する「坪田譲治コレクション」が2009年7月7日に開設されました。この「坪田譲治コレクション」は、その後開設7周年の記念日に新展示室が図書館内に設けられ、授業での学びに使用できるほか、特別行事等で公開する機会も持てるようになりました。 
 さらに、譲治についての授業を受けた日本語日本文学科の学生によって「ツボジョーワールド探検隊」が2017年に結成されました。本学のホールで行われた岡山市「市民の童話賞」授賞式の行事において、この「ツボジョーワールド探検隊」が譲治文学の彩りを添えて会を盛り上げたことを大森雅夫市長が大変評価されたことは、岡山市と本学との包括連携協定を進めるきっかけとなり、2018年に協定が結ばれることになりました。

2003年6月 本学で開催された「松谷みよ子講演会」ちらし

2003年6月 本学で開催された「松谷みよ子講演会」ちらし

「ツボジョーワールド探検隊」から、譲治文学とSDGs発信へ
 今年5年目を迎える「ツボジョーワールド探検隊」は、引き続き、岡山市の坪田譲治の文学的豊かさを地域と協働して伝える活動を企画しています。特に、2020年に生誕130年を迎えた坪田譲治が生誕140年を迎えるまでの10年間は、ちょうど国連総会で採択された2030年までのSDGsの目標設定時期と重なります。そこで、2021年度のテーマは、10月に完成した冊子の題名『みどりと水のみちへ~譲治がくれた〈いのち〉の感覚~』にも表したように、譲治の描いた岡山の水と水辺のいきものによる〈いのち〉の感覚を文学から味わうことで、SDGsの視点から豊かな岡山の自然環境を次世代へとつなげる試みとしました。
 ちょうどNHKスペシャル「2030 未来への分岐点」や「渋沢栄一に学ぶSDGs」を制作し警鐘を鳴らし続けているNHK番組プロデューサーである友人からも激励を受け、私は未来を担う学生たちと〈譲治文学とともに考え実行するSDGs〉を目指して、新たな思いで岡山市とともに活動を始めています。
 このエッセイを書きながら、ちょうど冒頭で示した『国文学 解釈と鑑賞』のなかに、新聞の切り抜きが挟まれているのを見つけました。それは、この譲治特集を読んだ『山陽新聞』のコラム「滴一滴」の執筆者が次のような文章を書いており(1998年4月21日)、それを岡山に戻った当時の私が切り抜いたものでした。

「譲治が描いた「善太と三平」は日本の子供の原風景である。いま、小川は汚れ、原っぱはなくなり、野原から子供たちの歓声が聞こえなくなった。だからこそ、「善太と三平」の生き生きとした姿がまぶしく映る」
「作品に触れることで、現在の子供たちの心の中に「花静かなる田園」を残してやりたい。」


 譲治文学は、岡山の自然の豊かさを希求する心を喚起し、また逆境をたくましく乗り切る心を人々に伝えて救いをもたらす文学であることを、これからも発信することを目指し、学生たちとともに研究・普及活動を続けていきたいと願っています。

2021年度「ツボジョーワールド探検隊」による冊子『みどりと水のみちへ』
表紙(左半分)・裏表紙(右半分)
(大きな画像はこちらをクリック

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