中井 賢一(なかい けんいち)
古典文学(中古)担当
平安期を中心とした物語文学の研究
古典文学の教材化の研究
一 災害と文学と教育と
熊本地震を経験して以降、人々が困難を克服するための教材として、古典文学を活用することを考えている(注1)。文学が、様々な立場や環境にある人々の、多様な体験と思考を描き得ているのであってみれば、古典文学は、千年に亘るそれらを蓄積した最大規模のデータベースとも見做せよう。例えば、地震等の災害時、当時の人々がいかにあったか、その子細は、今後、同種の局面において私たちがいかにあるべきか、深く思索する材料になろう(注2)。
『大鏡』には、兼家の三条帝鍾愛のエピソードとして、「世の中に少しのことも出でき、雷も鳴り、地震もふる時は、(兼家は)まづ春宮(後の帝である三条)の御方にまゐらせたまひて、舅の殿ばら、それならぬ人々などを、「内(今の帝である一条)の御方にはまゐれ。この(春宮である三条の)御方には我さぶらはむ」とぞ仰せられける。」とある(注3)。異変や雷、地震等の際、兼家は、まず時の春宮たる三条のもとに駆け付けるというのであるが、兼家が真っ先に駆け付ける先が、当代の帝一条でないことに注意したい。一条のもとには「舅の殿ばら、それならぬ人々など」を派遣し、自らは優先的に春宮三条に近侍している。既に位に就いた現役の帝ではなく、未だ位に就かざる帝候補、即ち、より不安定な地位にある未来の帝たる春宮を、兼家は、自らの手で優先的に守っていることになろう。無論、一条を優先せず三条を重んじる兼家のスタンスには、その政治的思惑が関わってもいよう(注4)。しかし、諸説の当否も含め、さような事情については、今は措く。少なくとも、物語上に現れているのが、災害時に、いわば、より立場の弱い者を自ら守る人間の姿であることは事実であり、また、そのことは、同様の事態に瀕した際の私たちのあり方を考える素材として、実に示唆的ではないか。自身ならいかにあるか、いかにあるべきか、学生たちにも考えさせたく思う。と同時に、私ならいかにあるか、いかにあるべきか、問い返さずにはいられないのである。
二 ○○○○は二度裏切る
「一度裏切った奴は何度でも裏切る」というのは、何の小説の台詞だったろうか。
なぜか先行研究ではあまり指摘されないのであるが、『源氏物語』、女三宮と浮舟には、同一人物を二度裏切る、という共通点がある。片や光源氏を、片や薫を。共に一度目は密通によって、二度目は出家によって。また、共に「一度目」の後、それでも関係を守るべく努める光源氏、薫に対し、恩を仇で返すかのごとき「二度目」に及ぶ。光源氏らの失望も憤怒も、当然至極であるが、ともかく、利己の念が際立つ女三宮と浮舟のこの重なり(注5)は非常に重要だと私は思う。なぜなら、女三宮について、それら裏切りのいずれかなりとも、後悔し改心する姿が見出し得ないのに対し、浮舟については、手習巻等、幾度も明確にそれが描かれるからである。無論、浮舟の後悔は、薫のみならず母中将君の期待にも背くゆえであろうが、いずれにせよ、浮舟が自らの軽挙を、薫への再評価と連動させる形で反省していることは動くまい。
古来、浮舟は救済されるか、との議論がある。各論を確認する余裕はないが、迷妄から平安へと進むであろう旨、即ち、救済の未来が期待される旨の御論が多いようである。私としては、浮舟の未来が描かれないことにこそ、『源氏』の全体構造に係る重要な意義を見出すのであるが、一般論として言うならば、研究者を含め、享受者が浮舟にさような未来を期待するのは、浮舟の人物像がさように期待させる造型となっているからであろうし、例えば、中世期、『山路の露』が、薫の人柄を再評価しつつ勤行する浮舟像を描き、また、『雲隠六帖』が、薫のもとに戻った浮舟像を描いている事実も、後世の『源氏』享受者が、夢浮橋巻では達し得なかった類の「平安」を浮舟の未来に認めたことを物語っていよう。何を以て救済と呼ぶか難しいものの、悔やむ浮舟に、何らかの救済は可能性としてある、と見るべきなのだろう。確かに、研究の視座を離れた感懐として、私も、浮舟は救済されてほしい、と思う。薫によって、との条件付きではあるけれども。
……だとすると、では、女三宮はどうなるのだろうか。女三宮の未来についてはどう考えれば良いのだろうか…。
私としては、裏切らない紫上を合わせ、『源氏』には、いわば、三立の構図があるように思われ、実に興味深いのである。
注
(1)拙著『物語展開と人物造型の論理―源氏物語〈二層〉構造論―』(新典社2017)の「おわりに」に少しく経緯を記した。
(2)中井賢一・佐々優香・山本沙織「教材としての厄災―『竹取』・『うつほ』の事例を中心に―」(『文彩』第17号 熊本県立大学文学部2021.3)を参照されたい。本文中に掲げる兼家のエピソードにも触れている。
(3)現代語訳「世間に何か少しでも変わったことが起こったり、雷が鳴ったり、地震が起こったりする時には、(兼家は)まず春宮(三条)の御もとに参上なさって、外舅にあたるご子息や、それ以外の方々などには、「お前たちは帝(一条帝)の御もとに参上せよ。この春宮の御もとには私がそばにいよう」とおっしゃったことだ。」
(4)倉本一宏氏『人物叢書一条天皇』(吉川弘文館2003)、同氏『三条天皇―心にもあらでうき世にながらへば―』(ミネルヴァ書房2010)、石原のり子氏「『大鏡』における兼家と三条天皇―もうひとつの系譜―」(「中古文学」第76号2005.10)など。
(5)他にも、私的情動を優先することで、無自覚のうちに都の政治体制や秩序等、大きな組織を破壊する、という「重なり」も有する。(1)の拙著に一部言及している。
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