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ノートルダムの風景

2021.06.21

聖ジュリー・ビリアートの列聖記念日(6月22日)

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ノートルダムの風景

清心ヒストリア

聖ジュリー・ビリアート(1751-1816)は、本学の設立母体であるナミュール・ノートルダム修道女会の創立者です。

ジュリーは、1751年に北フランス・ピカルディ地方の農村クビリーに生まれました。活発で信心深い少女でしたが、家業の小売店が盗難の被害に遭ったために、次第に生活は苦しくなっていきました。そして23歳の頃、家に石が投げ込まれ、銃撃を受けるという事件が起きます。この出来事の衝撃でジュリーの体は麻痺してしまい、その後長い病床生活を強いられることになりました。しかし、そのような苦しみにあってもジュリーは、杖にすがりながら人々を助け、熱心に祈り、子どもたちに教えを説き続けたといいます。

聖ジュリー・ビリアート

聖ジュリー・ビリアート

1789年に起こったフランス革命後の混乱は長く続き、子どもたちへの教育を立て直す必要性が生じていました。1804年、ジュリーは友人のフランソワーズらとともに、フランスのアミアンで貧しい子どもたちの教育に奉仕する教育修道女会を創立します。そしてこの年の6月1日、ジュリーは奇跡的にその病から回復したのです。

その後、修道会はベルギーのナミュールに拠点を移して活動を広げます。ジュリーは情熱を絶やすことなく、子どもや若い世代の教育に身を捧げ、1816年4月8日、その波乱に満ちた生涯を終え、帰天します。


5月13日 聖ジュリー・ビリアートの記念日(2021.5.13)
清心アーカイブズ(写真とことばで本学の歩みを紹介する歴史アーカイブズです)
そして150年の時を経て、1969年6月22日、ジュリーは当時のローマ教皇パウロ6世によって、聖人の列に加えられました。

聖ジュリー・ビリアートの列聖式(バチカン・サンピエトロ大聖堂)

聖ジュリー・ビリアートの列聖式(バチカン・サンピエトロ大聖堂)

聖人とは「神の恩恵を豊かに受け、キリスト者として、優れた生き方と死に方をし、教会によって崇敬に値する者と判断された人びと」(『新カトリック大事典』による)のことです。日本にキリスト教を最初に伝えたフランシスコ・ザビエルや、インドの貧しい人びとと共に働き、1984年には本学を訪れたこともあるマザー・テレサ(コルコタの聖テレサ)なども、私たち日本人に馴染み深い「聖人」たちです。

聖ジュリーの生涯は、多くの苦難とともにありました。しかしジュリーは苦しみのさなかにあっても、自らの意志をもって、自分に与えられた使命を見分け、それを喜びと希望のうちに選びとったのです。ここに、本学の教育の目指す人間像である「真の自由人」の原点を見ることができるでしょう。

列聖の記念日にあたり、この輝かしい「魂の自由」を生きた創立者の生涯に想いを馳せつつ、困難な日々にあっても「希望」を持つことの大切さを見つめ直したいものです。


キリスト教文化研究所

キリスト教文化研究所

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