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現代社会学科

2013.07.08

【報告】講演会「女性史研究の最前線」|現代社会学科

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現代社会学科

授業・研究室

以前のブログ記事でもお知らせしましたように、現代社会学科では、2013年6月26日(水)に、福田千鶴先生(九州産業大学教授)を講師としてお招きして、第5回学術講演会「女性史研究の最前線――新史料・江戸城大奥絵図を読み解く」を、本学・中央棟・第1会議室において開催致しました。本学科の学生・教員、他学科の学生のほか、学外からの参加者もおられました。

会場の様子

会場の様子

講師の福田先生

講師の福田先生

講演会では、新史料の江戸城「御本丸御奥方御指図」(千葉県文書館収蔵 森川家文書)を中心に、大奥の建物の配置、部屋の格式の違い、部屋の使用者などを見ていきました。

そこから本指図は、寛永14年(1637)に誕生した3代将軍徳川家光の長女・千代の部屋を用意し、千代の生母の「振」(ふり)を「御部屋」として遇するためになされた、大奥の改築に伴って作成されたものではないか、と推察されました。

つぎに、本指図には、本来、寛永14年の大奥にあってもよい女性たちの部屋が確認できず、春日局の部屋とおぼしき場所も格別に広くないこと。一方、江戸城下に、春日局は数箇所の屋敷を持ち、家光の御成りを受けていること。

これらから、当時、大奥への出入りは思いのほか緩やかだったのではないだろうか、とのお話がありました。

ご講演の様子

ご講演の様子

ご講演の様子

ご講演の様子

また書状や記録史料から、寛永8・9年の頃、春日局は、自分の縁者である「振」以外の女性から生まれる子どもたちには無関心であり、大奥の隅々にまで気を配り君臨する女帝という春日局像は崩されました。

そこから、春日局が真に望んだことは何であったか、彼女の心の深淵はどこにありそれは何に原因したのだろうかという、次の疑問が示されました。

ご講演の様子

ご講演の様子


講演会は「歴史学はこんなに楽しい!」という雰囲気のなかで進められ、参加者アンケートには

 「色々な史料を見て朝から晩まで考えることを私もしてみたい!」

 「絵図からはたくさんの情報が読み取れて色々な推測ができ、今までの常識が変わるところが面白かった」

といった感想が寄せられました。
(文・藤實久美子)

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