• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2021.04.01

もう一枚のお皿|伊木洋|日文エッセイ210

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
 伊木 洋(いぎ ひろし)


 国語科教育担当
 国語科教育の実践理論を研究しています。
 
もう一枚のお皿

 大村はま先生の著作の中に『心のパン屋さん ことばの教育に生きる』という一冊がある。
「教師である私にとって、子どもを知ること、子どもの心を、そのまま受け取ること、その真実をとらえることはすべての始まりでした」(p.33)とおっしゃる大村はま先生は、いろいろな機会に生活の中で拾ったお話をしながらふんわりとした雰囲気を作り出し、子どもが自然に話し出してきたことばの中から、子どもの真実をとらえようとなさった。そうしたお話が収められている『心のパン屋さん』の中に、「もう一枚のお皿」という次のようなお話が掲載されている。

大村はま『心のパン屋さん』

大村はま『心のパン屋さん』

 大村はま先生は東京女子大学在学中、寮生活をなさった。そのときの寮監の先生であった田中ヨネ子先生は、お料理を心から大切にお作りなる方で、学生たちはほんとうによい味とあたたかな心づかいをいただいていたという。そんな田中先生を囲んで話をしていたあるとき、田中先生が「もう一枚のお皿を用意しない食卓は、さびしい」「ほんとうの食卓にならない。もう一枚のお皿を用意しないと……」とおっしゃった。
 よくわけがわからず、「とり皿を用意して、食べきれない時なんかの始末をすることかな」などと考えていると、先生は「もう一枚のお皿にはね、お話を盛るんです」「どんなにおいしいお料理を作っても、その時、いい話題でもう一枚のお皿にお話を盛ることができないと、お料理はほんとうにおいしくはならない。もう一枚のお皿をみんなが工夫しなきゃ。あるいはもう一枚のお皿を持ってこなきゃ」とおっしゃったという。
 学生であった大村はま先生は、このことばが心にしみて、「何かのときに集まりなどをしようと思うと、「もう一枚のお皿」の話をかならず思い出す」と述べ、次のように記している。

 「もう一枚のお皿」ではなくて、「もう一枚の紙」かもしれませんし、「もう一冊の本」かもしれません。しかし、とにかく話題と言うのでしょうか、人と人が、生きた人が生きた人に向かってじかに話す。話し合いに、そういうものが加わらないと、本当にそのものの味というものは生きないんだ、ということでしょう。それは私の大好きなことばになっています。「もう一枚の」「もう一つの」「もうなにかの」それを加えて、人と人の話し合いというか、人の心を温めるといったような、廻りの雰囲気をなにか楽しくする、少しにぎやかにする、そういうふうな話題の持ち主でありたいなあと思っています。(p.35)

 ここには、「生きた人が生きた人に向かってじかに話す」ことによって生み出される、人の心を温めるかけがえのないねうちが示されている。今もなお、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるう中、食事中の会話を控える「黙食」を呼びかけなければならない状況が続いている。人命が脅かされる緊急事態において感染を防ぐために必要な対応であることは間違いない。けれども、こうした対応は私たちの心に、はかりしれない影響を及ぼしている。豊かな話題を持って人と会い、食事をすることができるようになる日がもどってくることを願い、だれかに話したいことを胸に温めながら、新型コロナウイルス感染症の一日も早い終息を祈るばかりである。


大村はま(1999)「もう一枚のお皿」『心のパン屋さん ことばの教育に生きる』筑摩書房pp.33-35
 
画像の無断転載を禁じます。

一覧にもどる