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日本語日本文学科

2020.10.01

流行病と人々の心―江戸時代の「風の神送り」|野澤真樹|日文エッセイ204

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
 野澤 真樹(のざわ まき)
 近世文学担当
 江戸時代の小説を主な研究対象としています。


流行病と人々の心 ― 江戸時代の「風の神送り」

 人類は歴史の中で、疫病の流行に何度も直面しています。今ほど医学の進んでいなかった近代以前の人々は、しばしば超自然的なものを介してそれに対処しようとしました。また、時には病から逃れたい人々の気持ちにつけ込み、利用する者も現れました。疫病が人々の生活だけでなく、心までをも乱すのは今も昔も同じだったようです。
江戸時代、元禄3年(1690)に刊行された『人倫訓蒙図彙』に次のような記事があります。

[風神払]
世間に風気時行(はやり)ぬれば、風の神をおひはらふとて、面をかつぎ太鼓を打て物をもらう。「とをれ」といふてもしこりかかつて猶たたくやかましきに、退屈して一握の米をばとらする也。諸人の煩を己が身にうけとり、世間無病なればかれがもうけなし。何にても時行やまひといへば、聞耳をたつるあさましき業にて、後世こそは不便なれ。

(世間に風邪が流行ると、「風の神を追い払う」といって面を被り、太鼓を叩いて歩く物乞いが現れる。「通れ(物乞いを追い払うための言葉)」と言ってもいっそう熱心に太鼓を叩くのがやかましく、うんざりしてつい一握りの米を与えてしまうのだ。人々の困り事を自分の身のために利用する彼らは、世間に病がなければ儲けを得られない。何でも「はやり病」といえばそれを聞きつけて利用する浅ましい生業だから、来世できっと罰を被るだろう。かわいそうに。)
(『人倫訓蒙図彙』七)

図1 『人倫訓蒙図彙』巻七「風神払」

図1 『人倫訓蒙図彙』巻七「風神払」

 これは「風神払(かぜのかみはらい)」(図1)という物乞いの一種についての記述です。江戸時代、家々を回って米や銭の施しを受けながら生活を送る物乞いにはさまざまな形がありました。それらは多くの場合仏教や神道などの宗教と結びつきます。托鉢僧のように家々を回る「鉢開き」や、鹿島神宮の御託宣と称して吉凶を触れ回る「鹿島の事触」という物乞いもいました。彼らは必ずしも宗教者ではなく、施しの口実として、神仏の加護を唱えて米銭を求めたのです。「風神払」は当時の俗信にもとづき、流行病を引き起こす「風の神」を追い払うことを名目に家々を巡ったものです。糊口をしのぐためとはいえ、多くの人を悩ませる流行病を利用した方法には顰蹙の声も上がったでしょう。
 「風の神」が流行病を引き起こす、という思想は他の形でも見られます。江戸時代には流行病の収束を願い、人形に風の神を乗り移らせて、そのまま川に流す、ということが行われました。「風の神を送る」と言い、これは古典落語「風の神送り」の題材となった風習です。落語では、ある町内の若者が「風の神送り」を執り行うことを町内の年配者に提案します。

「よその町内みな、風の神送りやってまんねん。うちの町内だけやってまへんやろがな。大阪中の風の神を一手に引き受けたようなことになってはどんならん。なんや、住み心地が悪なった風の神が、みなうちの町へ集まってくるような気がするんでなあ。」
(「風の神送り」)

 若者達は大阪中の町々で「風の神送り」をやっているから、この町内でもやらざるを得ない、といいます。ここで語られるように、「風の神送り」は町ごとに行うのが常だったようです。町内から資金を集めると、人々が集まって早速「風の神送り」を執り行います。

一軒の空き家へ集まりまして、竹を買うてくる奴、藁を買うてくる奴。紙を張りまして、怪しげな張りぼての人形をつくり上げます。顔をちょっとこう、書きましてな。で、酒を買うてくる、餅を買うてくる。祭壇を作りまして、そこへ人形を祭ります。お供えをして、どうぞ風の神様、退散してくださいというお願いをする。
(「風の神送り」)

図2 『諸艶大鑑』巻七に見える「風の神送り」の場面

図2 『諸艶大鑑』巻七に見える「風の神送り」の場面

 流行病を引き起こす悪神とはいえ、きちんと供え物をして「どうか退散して下さい」と呼びかけるところに、当時の信仰のありかたが知られます。こうして準備が整うと、人々が連れ立って先頭にこの人形を掲げ、「風の神送ろ」というかけ声とともに鳴り物を鳴らしながら練り歩き、最後には人形を川に投げ込むのです。これと同じ形式と思われる「風の神送り」が西鶴の浮世草子『諸艶大鑑』(貞享元年1684刊)の挿絵に描かれています(図2)。ただしここで風の神を送るのは零落れた大臣(遊廓の上客)で、物乞いの一つとして「風の神送り」を行う際にも同様の形が取られたことがわかります。
 この「風の神送り」の風習を別の形に置き換えたのが、元禄14年(1701)に刊行された浮世草子『けいせい色三味線』です。「けいせい」とは「傾城」と書き、江戸時代には多く遊女のことを表します。この作品には京・江戸・大阪の三都と地方都市の遊廓の様子が描かれ、その冒頭で人々が「傾城買の心玉」を送る場面があります。

なにやら上から声高に、鉦太鼓をうちならし、おかしげなる人形をつくり、焼印の編み笠をきせて、大勢色紙の采をもつて、「傾城買を送るは、おくるは、おくるは」と、声々にわめいて来る。「是はしたり。昔より風の神を送るといふ事はあれど、傾城買をおくるといふこと、いまだ年代記にも見あたらず。さりとはかはつた思ひ付。いかさまいわれあるべし」
※「年代記」…歴史上の出来事を記した書物
(『けいせい色三味線』京之巻第一)

 列の後ろにいた男が語るには、町内に遊女狂いで破産する者が後を絶たないので、「風の神送り」にならって「傾城買(遊女を買うこと)」をさせる魂を人形に移し、川に流すということでした。人形が被る「焼印の編み笠」は京都の遊廓・島原の入り口で貸し出されるもの。人形の姿も遊女狂いをする大臣になぞらえられています。
 かつては「風の神」以外にも、何か悪いことがあればそれを神のせいにして「送る」という風習があったようです。効果の程は知れませんが、要は気持ちの問題で、その儀式によって実際に悪いものが去るかどうかはさほど問題にならなかったのかもしれません。今年中止になってしまった各地の祭礼の中にも疫病退散を目的としたものがありました。人々の心の拠り所となる催しが安全に開催される日を待ち望むばかりです。
 
 


《引用文献》
『人倫訓蒙図彙』 国立国会図書館蔵本(国立国会図書館デジタルコレクション)
落語「風の神送り」 『米朝落語全集』第二巻(増補改訂版、創元者、2013年)
『けいせい色三味線』 新日本古典文学大系78(岩波書店、1989年)
※画像はいずれも国立国会図書館デジタルコレクションより引用しました。


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