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日本語日本文学科

2020.06.01

文字で伝える、文字が伝える|家入博徳|日文エッセイ200

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
家入 博徳(いえいり ひろのり)
書道担当
書道史・文字表記史を研究しています。


文字で伝える、文字が伝える

 買い物に出かける前に、買うものリストをサッと書き出かけた。いざ、買うものリストを見てみると、その文字が読めずに買うものを思い出すのに時間がかかった、そんなことがあった。
 書く行為は読まれることを前提に行われる。つまり、読み手を意識して行われる行為である。私が書いた買うものリストは、読み手と書き手が同一であることから、「読み手は自分自身なのだから、このぐらいは読めるだろう」と考えサッと書いたのである。実際には読めないくらいの文字になってしまったのであるが・・・。
 
 院政期に、歌人として活躍した藤原定家という人物がいる。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』といった勅撰和歌集の撰者であるとともに、『近代秀歌』等の歌論書を著した。定家は歌人として有名であるが、多くの自筆資料が現存していることでも有名である(注)。その自筆資料のいくつかは定家の子孫である冷泉家に所蔵されており、冷泉家時雨亭文庫から叢書として発行されて以来、多くの貴重な資料が容易に見られるようになった。
 定家の自筆資料は、同時代に書かれた他の資料と比べて、文字を繋げて書いた連綿となる文字数が少ない、あるいは使用していない箇所が多くある。したがって、単体で書かれた文字が散見する。また、文字の形も変化することが少なく、現在の私たちにとっては定家の文字は当時の他の資料に比べ読みやすい。初めて古典籍を読む場合は、定家の自筆資料から始めてもよいだろう。
 では、定家の文字は当時の人々にとって読みやすかったのであろうか。現在、私たちは文字を単体で書き、そして読んでいる。ゆえに定家の文字は読みやすい。一方、定家が生きていた時代は、残存資料から考えると、連綿を用いて書かれていることが一般的であったことが推測される。とすると、定家が生きていた当時においては、定家の文字=読みやすい文字とはならないのではないか。
 定家のこのような書き方の意図についてはまだ明確な答えは出ていないが、定家が誰を読み手として想定して書いたのか、といった読み手の分析も今後必要なのかもしれない。

 『中学校学習指導要領解説 国語』(平成29年3月告示)第二学年の書写に関する事項の中に、「(ア)漢字の行書とそれに調和した仮名の書き方を理解して、読みやすく速く書くこと。」とあり、〈読みやすく〉の解説には、「読みやすくするとは、読み手への伝達を意識することである。」とある。書く行為は読まれることを前提に行われるため、読み手に伝えることを意識した書き方を求めている。したがって、小学校、中学校の書写の授業においては、主として整った文字を書くことが求められるが、それだけではない。文字を書く場合、私たちは読み手への伝達を意識して工夫を凝らす。例えば、文字に色を付けたり、文字の大きさを変えたり、全体の構成を考え項目に番号を付し並べて書く等。文字の形も、整った文字ではなく、あえて少しバランスを崩すこともある。書き手の思いや考えを文字によって効果的に読み手に伝えられる方法を考えるのである。文字を書く行為は、なかなか奥深い行為である。

 文字を書くとき、自分に向けたものであっても他者に向けたのもであっても読み手を意識した文字を書くことが必要である。字形や全体構成等の工夫もその意識から生まれる。また、文字を読むときも、書き手の目的や意図を把握することが大切である。
まずは、自分に向けた文字の書き方を工夫しなくては・・・。
(注)定家の自筆については、定家周辺の人物が筆跡を真似て書かれたものも存在することが考えられることから、近年さまざまな考察がされている。

宮内庁三の丸尚蔵館蔵『更級日記』一丁表を稿者が臨書したもの

宮内庁三の丸尚蔵館蔵『更級日記』一丁表を稿者が臨書したもの

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