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日本語日本文学科

2009.02.02

内田百閒「花火」を読む|広嶋 進|日文エッセイ64

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第64回】2009年2月2日

内田百閒「花火」を読む
著者紹介
広嶋 進(ひろしま すすむ)
古典文学(江戸)担当
井原西鶴を中心に、江戸時代の小説・演劇を読み解くことをテーマとしています。

※教員情報は、掲載時のものです。
内田百閒(1889-1971)の短篇「花火」(大正10年1月)は、次のように始まる。

私は長い土手を伝って牛窓の港の方へ行った。土手の片側は広い海で、片側は浅い入江である。

「私」が岡山を起点として出発したとすれば、牛窓は岡山の東の方向にあるので、進行方向の右手の「土手の片側」の「広い海」は瀬戸内海、左手の「片側」の「浅い入り江」は牛窓に続く入り江ということになる。続く文章はその「長い土手」の描写である。


入江の方から背の高い葦がひょろひょろ生えていて、土手の上までのぞいて居る。向こうへ行く程葦が高くなって、目のとどく見果ての方は、葦で土手が埋まって居る。片方の海の側には、話にきいた事もない大きな波が打っていて、崩れる時の地響きが、土手を底から震わしている。けれども、そんなに大きな波が、少しも土手の上迄上がって来ない。私は波と葦との間を歩いて行った。


「背の高い葦」や「土手を底から震わしている」「大きな波」の様子が、なんとも異様である。この「土手」は現実に存在する土手ではないかもしれない。

暫く行くと土手の向うから、紫の袴をはいた顔色の悪い女が一人近づいて来た。そうして丁寧に私に
向いて御辞儀をした。私は見たことのある様な顔だと思うけれども思い出せない。私も黙って御辞儀
をした。するとその女が、しとやかな調子で、御一緒にまいりましょうと云って、私と並んで歩き出
した。女が今迄歩いて来た方へ戻って行くのだから、私は怪しく思った。

「私」が「怪しく思った」のは当たっていた。これ以後「怪し」い世界の「怪し」い出来事が起こる。

作者はこの「女」が現実の女ではないというサインを前掲の引用箇所で示している。それは「女」が「紫の袴」をはいていると記していることである。
紫色は平安朝以来最も高貴な色とされているが、「紫女」とは「狐が化けた女」のことなのである。

このあと百閒の「花火」はどう展開していくのであろうか......。ぜひ、原文に当たって結末を楽しんでいただきたい。
非現実的な出来事を生々しい夢のように的確に描くことのできる百閒の筆力に感嘆することだろう。

井原西鶴の「紫女」(『西鶴諸国ばなし』巻3の4)も、同じメチーフを扱っている。こちらもぜひ併読
を。
画像は、岡山市内の百間川(上流部)。

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