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日本語日本文学科

2008.06.01

文学作品の本文|新美 哲彦|日文エッセイ56

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第56回】 2008年6月1日

文学作品の本文
著者紹介
新美 哲彦 (にいみ あきひこ)
古典文学(平安)担当
平安・鎌倉時代に作成された物語について、江戸時代に至るまでの受容の歴史も含めて研究しています。

1 下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあった。
2 下人の行方は、だれも知らない。

どちらが芥川龍之介著『羅生門』の結末だか、わかるだろうか?
実はどちらも芥川龍之介著『羅生門』の結末で、1は雑誌初出時、2は単行本収録時の結末である。
文学作品の本文というと、作者と題名が同じであれば、当然同じ本文であると考えてしまいがちだが、実はそうではない。有名なところでは、井伏鱒二の『山椒魚』や、宮沢賢治の諸作品がある。井伏鱒二は晩年、『山椒魚』の結末を大幅に削除・変更している。また、宮沢賢治の多くの作品は、生前に単行本化されていないため、原稿の形でさまざまなバリエーションが残っている。例えば、ちくま文庫『宮沢賢治全集』第7巻で、複数の『銀河鉄道の夜』を読むことができる。

草稿研究というのは、そのような作者の原稿を見ていくことによって、作品がどのように形成されていったかを見る研究であり、文学作品の本文が固定化される前の揺れ動くさまを見ていくものである。
近現代の作品であれば、本文の変更には、基本的には作者のみしか関われないとされるが、このように本文が変化していく問題は、近世以前の文学作品の場合、さらに複雑である。近世以前の文学作品は写本で伝わっていく。写本とは文字通り書き写すことによって生まれるものであり、厳密な意味で同一の写本というのは存在しない。すべての写本がオリジナルなのだ。誤写による語句の変更もあるし、意図的に本文が変更される場合もある。特に物語の場合、諸本の異同は大きくなりがちであり、僕の読んでいる『なんとか物語』と、隣の人の読んでいる『なんとか物語』は、題名は同じだが、内容は微妙にずれている、ということも出てくるのである。

『源氏物語』の場合も、物語成立から200年後の藤原定家(ふじわらていか)の時代には「尋求所々雖見合諸本猶狼藉未散不審(いろいろな所で『源氏物語』を探し、さまざまな本を見合わせたものの、やはりめちゃくちゃで、まだ意味のよくわからないところがある)」(『明月記』嘉禄元年(1225)2月16日条)と定家が日記に書くような状態になっていた。その定家や源光行(みつゆき)・親行(ちかゆき)父子が、それぞれ『源氏物語』の証本(しょうほん)を作成したために、残念ながらと言うべきか、幸いにというべきか、現在の『源氏物語』は、権威ある本文(証本)が成立しなかった『狭衣物語』や『住吉物語』が見せるような、大幅な異同はないものの、細かく見ると、物語世界が揺らぐような差異を見つけることができる。

例えば『源氏物語』の注釈書である『紫明抄(しめいしょう)』夕顔巻に

「よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕がほ」の注として「此哥(このうた)、「おりてこそ」といふ本あり。それこそよけれ、花をおるにもかよひ、車よりおりたる心ちもかよひて、と申す人侍れども、「ほのぼの見つる」と果てたるに、近づき「よりてこそ」といふは、きゝよかるべくや」

とある。源氏の歌の初句に「よりてこそ」と「おりてこそ」の二種の本文があり、そのどちらがこの箇所にふさわしい本文であるかが述べられているのである。

このようにさまざまに異なる本文を持つ『源氏物語』だが、どの『源氏物語』の本文が「正しい」ということはなく、どれもやはり『源氏物語』の本文なのである。これら『源氏物語』たちの存在は、『源氏物語』の本文とは何か(≒文学作品の本文とは何か)という問題を我々に突き付ける。このような文学作品の本文の問題を真摯に考えていくことで、我々が当たり前に思っている、一人の作者が作成し、一つの本文しかない文学作品という概念は、だいぶ揺らいでくるのではないだろうか。

画像は、
左;『源氏小鏡』(『源氏物語』の中世における注釈書。本学特殊文庫の所蔵本)
中;『源氏不審抄出』(『源氏物語』の中世における注釈書で、宗祇の著作。本学特殊文庫の所蔵本)
右;特殊文庫の所蔵本を用いた授業風景(新美哲彦講師「古典文学講読Ⅲ」)。

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