• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2008.08.01

「進退惟谷」をめぐっての夢想|清水 教子|日文エッセイ58

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第58回】 2008年8月1日

「進退惟谷」をめぐっての夢想
著者紹介
清水 教子(しみず のりこ)
日本語学担当
語彙・文体を中心に、平安時代の公卿日記(変体漢文)を研究しています。また、室町末期の口語体のキリシタン資料にも関心があります。

今年2008年は、源氏物語千年紀に当たっています。周知のように、『紫式部日記』に「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」(寛弘5年-1008.11.1)という記述のあることがその根拠になっています。何はともあれ、皆様に千年も前の時代に思いを馳せていただくために『紫式部日記』を引用しました。紫式部や藤原道長の生きていたその時代に、藤原実資(957~1046.1.18)も生き、変体漢文日記『小右記』(982~1032の記事)を残しています。その万寿3(1026)年7月10日(実資70歳)の記事に次のような1文が載っています。前後関係から、意味は「困難に陥ること」です。

雖有所憚進退惟谷、歩行之程可近々、仍内々所思也、
(大日本古記録『小右記七』p180 岩波書店 下線は清水による、以下同じ。)

まず、この漢字4字の熟語の読み方と意味についてです。現代人の手になる諸橋轍次『大漢和辞典』・新村出『広辞苑』・山田俊雄ほか『新潮国語辞典』の三つは、いずれも「シンタイコレキハマル」としています。小学館の『日本国語大辞典』のみ、上記の読み方のほかに「シンタイココニキハマル」を挙げています。出典は上記四つ共に、「詩経-大雅-桑柔」としています。意味は四つ共に同じで、「窮して進むことも退くこともできない困難に陥ること」です。

なお、新釈漢文大系112『詩経 下』では、「進退維谷」は「(人が言うではないか。)進退をよくせよ、と。」(p234)と全く別の解釈になっています。

次に古辞書類では、平安時代の『色葉字類抄』には載っていなく、室町時代の『節用集』には「シンダイココニキハマル」、『日葡辞書』(1603・1604)にもVaga xindai coconi qiuamaru .と、「ココニ」のほうで載っています。

室町末期の口語資料としての『天草版平家物語』(1592)には1例、『天草版伊曽保物語』(1593)には2例、「シンダイココニキハマッテ」あるいは「シンダイココニキハマツタ」の用例が見られますが、「コレ」のほうは皆無です。

ところが、鎌倉時代の『延慶本平家物語』には、「進退ココニキハマレリ」と「進退コレキハマレリ」とが1例ずつあるのです。『延慶本』とは、延慶2(1309)年・3(1310)年書写のものを応永26(1419)年・27(1420)年に書写したものです。また、平安時代の『和泉往来』(1075)にも「コレ」のほうがあります。

さて、「進退惟谷」について限られた資料から夢想してみることにしましょう。
『詩経』などから明らかなように「進退惟谷」は中国で生まれ、平安時代の公卿藤原実資は漢文訓読語として変体漢文日記『小右記』の中で用いていました(恐らく、「シンダイコレキハマル」)。鎌倉時代の藤原定家の『明月記』(1180~1235の記事)や、室町時代の三条西実隆の『実隆公記』(1474~1536の記事)などの変体漢文日記にも用いられている可能性は予想されます。また、鎌倉時代の変体漢文である『吾妻鏡(東鑑)』(1180~1266の記事)や『御成敗式目』(1232年)などの記録文や条文ではどうなのでしょうか。これらは今後の課題です。

先述したように、鎌倉時代の『平家物語』などの和漢混交文体としての軍記物語、室町末期のいわゆる「キリシタン資料」であり、ポルトガル人の宣教師たちが当時の日本語(話し言葉)のテキストとした『天草版平家物語』や『天草版伊曽保物語』、『日葡辞書』や『古本節用集』にも載っています。しかし、『源氏物語』や『徒然草』などの和文体文章には先ず見られない言い回しであることは確かです。江戸時代以降はどのような文献に用いられているのかいないのか、この点も興味の沸くところです。

最後に、訓法は「コレ」なのか「ココニ」なのか、という問題に戻ると、室町時代の『節用集』・『日葡辞書』・『天草版平家物語』・『天草版伊曽保物語』という限られた資料ですが、そこにおいては「ココニ」の形で用いられています。したがって、室町時代は今のところ、「ココニ」が主流であったと言えるでしょう。

平安時代はといえば、『和泉往来』などから「コレ」のほうが主流だったのではないでしょうか。

日本語日本文学科
日本語日本文学科(ブログ)

一覧にもどる