• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2008.01.07

春の到来|片岡 智子|日文エッセイ51

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第51回】 2008年1月7日

春の到来
著者紹介
片岡 智子 (かたおか ともこ)
古典文学(平安)・日本文化史担当
文学と文化史の観点から古代文学、主に和歌を研究しています。
 
はじめに
お正月になると「新春」や「迎春」の文字が新聞や年賀状、街角のここかしこにみられます。それをみて、まだ寒いのにと不思議に思ったことはありませんか。しかも三月、四月になると本格的な春がやってきます。私も子供心に、なるほど春って、二度来るものなのだと無理にでも納得しようとしたことを思い出します。

このような春の到来に対するとまどいは、古来より日本人がどのような基準で季節を捉えていたかという季節意識に関わり、それを明らかにすることは、古典文学の理解にとって大切なことなのです。
暦の誕生季節とは時間に他なりませんが、その時間は目には見えないものです。掴もうと思っても掴むことができません。分かるのは外界の自然現象の変化から経験的に察知することです。したがって一年の巡りを捉える手がかりとして、季節の変化は重要な役割を果たします。世界には季節が一つだけ、二つだけ、三つだけの所もありますが、おそらく四季のある地域において時間意識はより豊かに発達したのではないでしょうか。

地上のみならず、眼を天空に向けてみましょう。古代人は太陽の動きによって、朝、昼、晩の一日を測り、月が形を変え、出る時刻を変えることから一ヶ月という単位を発見しました。さらに季節の循環によって、一年という時間を把握したというわけです。そのような時間の認識をさらに緻密にし、整理した結果、人は「暦」というものを創りました。
 
暦月による季節感
記録によると日本に暦が伝来したのは、六世紀の半ばで、実際に明らかに暦日が使われたのは推古天皇十二年(六〇四)の正月からです。中国から渡来した太陰暦を用いました。いわゆる旧暦です。月の満ち欠けを指標にしたもので、それを「暦月」と称します。

ご存じのように旧暦では、正月から三月までが春です。最初に述べた正月を新春だと見なすのは、この暦法に基づく季節の捉え方にほかなりません。それは、暦月によってはぐくまれた季節意識だったのです。このような暦月による季節感が文学に登場するのは、『万葉集』の後期からです。第三期に文字通り元旦迎春の歌として登場します。

む月たち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しきを終えめ (巻五・八一五)
正月になって春が来たら梅を招来しながら楽しさの限りを尽くそうと詠っています。天平二年(七三〇)正月、太宰府の長官であった大伴旅人主催のかの有名な梅花の宴におけるもので、賓客の中で最高位であった次官の歌です。天平の官人達が暦月のもと、いかにも麗しく年の初めを春として迎えようとしている息吹が伝わってきます。

今では伝統的な暦月意識は希薄になりました。けれど正月を新春として祝う心は、そのまま現代にまで受け継がれているといえましょう。
 
節月による季節感
もう一つ忘れてはならないのが立春、冬至、大寒などという二十四節気のことです。先ほど述べた暦月だと体感する気温や季節とのずれが生じるため、天文観測による太陽の動きによって、一太陽年を二十四等分にして、農業や日常生活に即した暦法が考案されたのです。暦の専門家によると二十四節気は中国の春秋時代にはすでに確立されており、後に暦月とともに併用する暦が工夫されました(熊田忠亮著『暦』)。そのような暦を我が国にもたらしたのは吉備真備で、天平七年(七三五)のことでした(『続日本紀』)。いわゆる旧暦が厳密には太陰太陽暦と呼ばれる所以です。それ以来、ずっと太陰太陽暦が用いられてきたのです。

二十四節気では、正月節の立春から二月節の啓蟄(けいちつ)の前日までを正月とするように、節によって決まる月を「節月」といいます。立春から小寒まで十二節月あり、そのうちの立春・立夏・立秋・立冬は四季の分かれ目として特に注目されました。節月による季節意識です。

それは『万葉集』の第四期の歌人、大伴家持の歌にみられます。

あらたまの年行き返り春立たばまづ我やどにうぐひすは鳴け  (巻二十・四四九〇)

一首は、古い年が行き、新しい年になって春となったら、まづ我が宿に来て鶯よ鳴けと、鶯に呼びかけています。三句目で「春立たば」と表現していることから、節月としての立春を詠っていることは明らかです。他に立夏の歌などもあり、節月意識は大伴家持あたりから芽生えはじめたといわれています(関守次男説、田中新一説)。

こちらは、今日でも立春や立夏はもとより、白露や大寒など、天気予報でしばしば耳にします。伝統的な季節感を表すものとして重宝されているといえましょう。俳句の季語にもなっており、二十四節気の名称を全部暗記しておくと、季節感覚が磨かれること請け合いです。
 
おわりに
ところで、最初に春は二度来るのかという、素朴な疑問から出発しました。そして正月の春とは暦月によるものであることが解りましたが、もう一つの春は体感や自然界の現象から感得されたものです。人は、暦によって秩序付けながら、一方で常に実感によって季節を把握しています。文明としての暦とともに、その基ともなる自然な季節意識をなおざりにはできません。いずれにしても、これから、いくつもの春を心して迎えることに致しましょう。

日本語日本文学科
日本語日本文学科(ブログ)

一覧にもどる