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日本語日本文学科

2007.10.01

伊勢物語の過去と現在/日本からカナダへ|海野 圭介|日文エッ セイ48

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第48回】 2007年10月1日

伊勢物語の過去と現在/日本からカナダへ
著者紹介
海野 圭介 (うんの けいすけ)
古典文学(鎌倉~江戸)担当
鎌倉~江戸初期の和歌の歴史を研究しています。また、海外における日本文学の翻訳と研究にも関心を持っています。

『伊勢物語』は、『源氏物語』とならぶ日本を代表する古典であるが、『源氏物語』が、伝統的日本文化を象徴する存在として、時折ニュースなどに大きく取り上げられるのに対して、『伊勢物語』は幾分影が薄い。だが、『源氏物語』に比べて平易な文体で綴られ、1話1話が短い段として独立する短編集であるため、高等学校の教科書にも複数の段が掲載されていて、現代語訳やマンガなどの2次的著述ではなく、平安の古語のまま読まれる機会が多いのは、『源氏物語』よりもむしろ『伊勢物語』ではないだろうか?

数多の恋愛遍歴を伝える在原業平とその恋人達との恋愛模様を、和歌のやり取りを中心に描く雅な歌物語として説明されることの多い『伊勢物語』ではあるが、中にはそうしたイメージを打ち砕くような話も収められている。例えば第62段は、男のもとを去り、今は「人の国なりける人に使はれて」いる、かつての恋人に再会する場面を描くが、末尾で男は、「これやこの我にあふみをのがれつつ年月ふれどまさり顔なき」と女の容貌の衰えをあざ笑うような和歌を詠み、耐え切れなくなった女は逃げ出してしまうという結末を迎える。物語の主人公として相応しいとは思えない業平のこの振る舞いは、どのように理解すればよいのか?歌物語の始発として歴史に名を留める『伊勢物語』の優雅な主人公は、本当は残酷な男であった!というのでは何とも後味が悪い。

一方では優しげな貴公子として、また一方では冷酷な男として描かれる統一感の無い業平の姿をどのように理解するか?という問題は、実は室町時代から議論が重ねられてきた伝統ある(?)課題なのである。例えば室町後期の歌人細川幽斎(ほそかわゆうさい)による『伊勢物語』の注釈書『闕疑抄』(けつぎしょう)には、この歌には女を貶める意図があったのではなく、しばらくぶりに出会ったというのに自分を恋い慕う気持ちが昔より増していないではないか!と女に恨み言を言っているのだと解する。本当は恨んでいなくても、恋の恨みをそれらしく詠むのが和歌のテクニックなのだが、それにしても、この解釈には無理があり曲解としか言いようがない。ではなぜ業平の非道な行為を無理矢理に風流な恋の場面として読もうとするのかと言えば、それは『伊勢物語』が、フィクションではなく、著名な歌人在原業平の一代記に限りなく近いものだと考えられていたからで、恋多き和歌の名手の不可解な行動を何とか理解しようとする努力の結果だと見れば、当時の歌人達の業平に寄せる信仰にも似た意識が見えるようで興味深い。時代が進み、江戸時代前期の国学者荷田春満(かだのあずままろ)による『伊勢物語童子問』(いせものがたりどうじもん)には、『伊勢物語』は「虚事」、つまりフィクションであり業平の史実とは無関係であると主張されるのだが、現在では当然の前提となる『伊勢物語』を物語として読む立場を改めて力説しなければならないほど、『伊勢物語』は生の歴史として時代の中に生きていたのである。

閑話休題。今年(2007)8月に、カナダのヴァンクーヴァーにあるブリティッシュ・コロンビア大学
で、『伊勢物語』をテーマとする会議が開催された。北米、欧州、そして日本からも研究者が会して、『伊勢物語』とその日本文化への影響についての研究報告と討議が重ねられた。ヴァンクーヴァーは、北米大陸の上半分を占めるカナダの西端、太平洋に面するカナダの西の玄関口である。日本から約8時間半のフライトで時差は17時間。日本の真裏に近い。

日本は夏休み期間だというのに、遙かなる地で日本の古典をめぐる議論が繰り広げられていた。『伊勢物語』の生成の問題、物語の虚実の問題、更には日本文化に解け込んだ『伊勢物語』的要素の復元等々、その論点は多岐にわたった。中でも、物語は如何にドラマとして表現されるか?物語はどのようにフィクションとして構成されるのか?という物語性の議論は、文学理論の発達した西欧世界で学んだ人々にとっては興味のひかれるものらしい。日本人研究者が存外に無頓着なこうした問題は、思い返してみれば『伊勢物語』を読み進めてゆく上の伝統的な課題でもあった。歴史上の人物である在原業平の人生をたどる物語として構想されつつも、その恋をめぐる秘密や謎がちりばめられ数多の虚構によって彩られる古代の物語。そう思い直すと、淡々と記述される『伊勢物語』の文面がいかにもロマンティックに見えてこないだろうか?

多くの読者を得て千年あまりの時代を読み継がれてきた平安の古典には、その読み継がれ方一つにも重厚な歴史と蓄積があり、それぞれの時代の解釈そのものが、その時代の思想・学問・そしてその時代を包み込む雰囲気を色濃く伝えている。2007年のカナダにおける『伊勢物語』の記憶は、『伊勢物語』の歴史に何を加え、どのような位置を得て後世に伝えられてゆくのだろうか?古典を読み継ぐ楽しみは、そんな遙かなる未来に思いを馳せることにもある。

画像は、ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)。 こういうところでも『伊勢物語』は論じられています。

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