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日本語日本文学科

2007.04.02

本当は面白い『徒然草』 ―十七世紀に『徒然草』の大ブームあり ―|広嶋 進|日文エッセイ42

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第42回】 2007年4月2日

本当は面白い『徒然草』―十七世紀に『徒然草』の大ブームあり―
著者紹介
広嶋 進(ひろしま すすむ)
古典文学(江戸)担当
井原西鶴を中心に、江戸時代の小説・演劇を読み解くことをテーマとしています。

高校の古典教科書には『徒然草』の数章が取り上げられていますが、現在の高校生諸君ははたして面白いと思って読んでいるのでしょうか。私自身は実は、高校生時代にはほとんど魅力を感じませんでした。ところが最近になって、『徒然草』の各章段に生き生きとした味わいを感じるようになってきました。私の年齢が執筆当時の兼好の年に近づいたためかもしれません。たとえば第一九〇段にはこうあります。

妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。

兼好は「奥さんは持つべきでない」というのです。

家の内行ひ治めたる女、いと口惜し。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。
(家のなかをしっかりと管理しきっている女は、まったく感心しない。子供なんか産んでしまって、大事にして愛しているのは、いやなものだ)

作者はいわゆる「良妻賢母」を嫌っているわけです。その理由はこうです。

いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなむ。
(どんな女であっても、一日中くっついて見ていては、うんざりしていやになってしまうだろうよ)

だから、一番理想的なのは、

よそながら時ゝ通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。
(別々に住んだままで、男が女のもとへ通って暮らすというのが、年月がたっても切れない関係となるだろう)

ということになり、彼は結婚無用論を主張します。当時の結婚制度は現在と異なるので、今と同じように考えることはできませんが、兼好の結婚観・恋愛観はなかなか興味深いものがあります。恋愛感情を永続させようとするならば、兼好の主張のように別居結婚を実行するのがよいということになるのかもしれません。

実際、私の友人に、別居して別々に家計を営む結婚形態を続けているカップルがいます。そのほかに、このような章段もあります。

世には、心得ぬ事の多きなり。ともあるごとには、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興とする事、いかなる故とも心得ず。(第一七五段)

兼好は酒好きではなかったようです。また次のような章段もあります。

貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。(第一三一段)
悲しいことですが、これが人間の真実の姿かも知れません。

食は人の天なり。よく味はひを調へ知れる人、大きなる徳とすべし。(第一二二段)
もしかしたら、兼好は大変な食いしん坊だったのかもしれません。

身死して財残る事は、智者のせざる処なり。(第一四〇段)
 

作者は誰かが財産を残して亡くなり、遺産相続でもめている様子でも見たのでしょうか。

結婚、飲酒、貧困、病苦、美食、遺産などを扱った章段を引用してみましたが、『徒然草』にははっとするような感想を記した文段が数多くあります。ところが、今紹介したような章段は高校教科書には採用されていないのです。十代だった私も現在の高校生も、『徒然草』の一面しか与えられておらず、これでは面白味を感じないのも無理はないような気がします。

江戸時代の十七世紀は、空前の『徒然草』ブームでした。たくさんの『徒然草』版本や『徒然草』の注釈書が印刷されました。当時、兼好法師の随筆が歓迎された理由の一つには、彼が遁世者でありながら、世俗の事に旺盛な好奇心を持って接した「双ヶ岡の粋法師」であったことがあげられると思います。

『徒然草』を生真面目な教訓の書ではなく、浮き世の有様を観察した軽妙な随筆として、もっと気軽に読んでみてはいかがでしょうか。(原文と現代語訳が備わる、橋本治訳『絵本徒然草』(河出文庫)をおすすめします。)

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