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日本語日本文学科

2007.06.01

古典籍とマンガと日本文学 比較文化学としての日本文学|海野  圭介|日文エッセイ44

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第44回】 2007年6月1日

古典籍とマンガと日本文学 比較文化学としての日本文学
著者紹介
海野 圭介(うんの けいすけ)
古典文学(鎌倉~江戸)担当
鎌倉~江戸初期の和歌の歴史を研究しています。また、海外における日本文学の翻訳と研究にも関心を持っています。

昨年(2006年)の秋、ニューヨークの中心部5番街にあるパブリックライブラリで「EHON」と題された展覧会が開催された。EHONとは文字通り日本語の「絵本」のこと。子供むけの図書の展示かと思われるかもしれないが、そうではない。挿絵の入った本という意味で絵本の語は使われている。大きなイベントを立ち上げて市民に展観するのだから、当然ながら一般書店に流通する誰もが入手できる読み物を並べたわけではない。この展観には江戸時代以前の日本で作成された美麗な装飾や挿絵の入った和装本や絵巻などの通常は古典籍(こてんせき、英語ではrare bookと呼ばれる)と称される書物が詳細な解説を伴って整然とディスプレイされていた。

日本の書籍、しかも古い書物がなぜニューヨークに?と思われるかもしれないが、日本にもフランス印象派やアメリカ現代絵画を所蔵して、それを展示の目玉とする美術館は多い。同様に海外でも日本の古美術を所蔵する美術館は少なくない。EHONはその装飾性によって、書かれた文章を理解するための書籍としてのみではなく、挿絵を楽しむ美術品としても愛されてきたのである。北米ではニューヨークパブリックライブラリの他にもメトロポリタン美術館やボストン美術館に、ヨーロッパではイギリスの大英博物館、フランスのギメ東洋美術館などに各地のコレクターから寄贈された非常に良質な日本コレクションがあり、EHONの類も恒常的に展示され、そのビジュアル性により、多くの来館者を魅了しつつ、日本の歴史と文化を伝える役割を果たしている。

対外的には経済立国・技術立国のイメージが強く、かつてはエコノミックアニマルと嘲笑された日本の、それ以外の側面が広く注目を集めるようになったのは実はそれほど昔のことではない。
"Cool Japan!"(日本ってかっこいい!)というフレーズが日本発信のイメージ戦略の標語としてだけではなく、実際の日本経験のない各国の若年層にまで拡がり定着しているのは、ドラゴンボールからNANAやNARUTO、また、千と千尋の神隠しや甲殻機動隊といった日本製のマンガやアニメといったビジュアルコンテンツの影響が大きい。

思えば、四方を海に囲まれた日本に暮らす私たちも、諸外国について理解したつもりになるのは、時折目にするハリウッド映画や韓流ドラマが描く物語の世界を通してであることが多いのではないだろうか。だがしかし、仕事の場にプラダやシャネルを着てあらわれるアン・ハサウェイや、淡く煙る画面の向こうに見えるヨン様の生きる華やかな日常が現実のアメリカや韓国の生活の切り抜きではないことは、武道の修行によって宇宙の征服者と素手で戦うほどに強く成長してゆく子供やオレンジ色の衣をまとった忍者を現在の日本で目にすることがないのと実は大差ないのかもしれない。

私たちがビジュアルメディアを通して得た虚構の日常によって海の向こうの生活を想像するように、「将来の夢は日本に行くこと?」とインタビューに答える青緑色の瞳のコスプレイヤーの脳裏にも想像の日本が広がっている。それは、大崎ナナの日常やもののけ姫の世界観から類想された日本なのかもしれない。

マンガやアニメがイメージとしての日本を世界に発信するよりも前には、村上春樹や吉本ばななの小説が現代日本の雰囲気を海外に伝えていた。この両者の作品が多言語に翻訳されグローバルな読者を獲得するようになって既に久しい。村上作品は、時に「日本という特定の文化的範疇を超えたコスモポリタンな文学」(国際交流基金ホームページ)という評価が与えられることもあるが、両者以前の日本文学が欧米諸国に紹介される際には、むしろエキゾティシズムや非西欧的価値観の表象が求められ、日本らしさゆえの非西欧的要素がことさらに高く評価される傾向が確かにあった。

他者への違和感は、不快感を伴って絶対的な拒絶を生じさせる場合もあれば、逆に、心を揺さぶられる衝撃的な感動に導かれた強い関心を呼び起こす場合もある。マンガ・アニメにCool Japanを夢想する現代アメリカの少年少女の心にも、浮世絵に異国情緒を見た19世紀フランス印象派の画家たちの心にも、ともに自分とは異なるもの、自分の生きる世界とは異なる世界への憧れがあった。ニューヨークパブリックライブラリに所蔵されるEHONは、東洋の神秘に心を射抜かれ、遙かなる日本のイメージをそこに見た先人達の思いの歴史、西欧社会が理解した日本の姿の歴史の一端をも今に伝えているのである。

フジヤマ、ゲイシャといった僅かな単語に発想されたジャパンのイメージが、The Tale of Genji(源氏物語)やヤスナリ・カワバタの綴る情調的な日本の姿へと移り変わり、そして、吉本ばなな、矢沢あいの描く日本がそこに重ねられ、イメージとしての現代日本の姿は増幅されてゆく。古いものは新しい物に取って代わられ、古層のイメージは流行のイメージに塗り替えられる。しかし、新たな波にのみ込まれながらも消え去ってしまわないものもある。

古典、或いはclassicsという語には、古くから読み継がれてきた不朽の名作という意味が込められている。時間の陶太を生きぬいてきた古典には、地域や民族といった枠組みを超えた人類の知が蓄積されている。それと同時に、古典の周囲には個々の集団がその知を理解しようとした努力の痕跡が残されている。『あさきゆめみし』も、高校教科書に掲載された『源氏物語』の一節も、私たちの世代が日本の古典としての『源氏物語』を理解しようとした資料として遠い未来の人々の分析の対象となるかもしれない。

『源氏物語』は1925年にイギリス人、アーサー・ウェイリーによって英語に翻訳され出版されているが、そのウェイリー訳と2001年に出版された最新の翻訳であるロイヤル・タイラーによる英訳は、主人公である光源氏の心理描写から建物細部の描き方、果ては登場人物の呼称にまでに差異がある。言うまでもないことではあるが、この両翻訳の間の質的な差異は75年にわたる西欧社会の日本理解の進展を反映している。

お気に入りのストーリーに埋没して、ただ夢中に読み進める楽しみはもちろん読書の楽しみの否定できない一面だが、作品を取り巻く歴史性なり社会的環境なりといった、作品自体から少し離れた位置に視点を据えて見てみると、作品自体が描いた世界とはまた異なったその作品の価値や魅力が見えてくる。そうした発見の楽しみも文学を読む楽しみの一つと言えるだろう。

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