日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第31回】2006年5月1日
桂三枝と井原西鶴
著者紹介
広嶋 進 (ひろしま すすむ)
古典文学(江戸)担当
井原西鶴を中心に、江戸時代の小説・演劇を読み解くことをテーマとしています
先日、テレビで桂三枝さんの『お忘れ物承り所』という落語を放映していた。三枝さんの語りぶりの面白さにひき込まれて、つい最後まで見てしまった。
舞台は、大阪の私鉄の遺失物係の窓口。そこに忘れ物を取りにいろいろな人々がやってくる。忘れ物は、傘、メガネ、小切手、カニ、カメラと、実に様々だ。忘れ物をめぐる係員と乗客のやり取りが秀逸で、それによって庶民の生活ぶりが笑いのうちに浮かび上がるという仕掛けである。
物品によって生活を語るという、こうした技法は、井原西鶴が得意としたところである。たとえば、西鶴の代表作『世間胸算用』(1692年刊)に「つまりての夜市」という章がある。
主人公はさる貧者で、大晦日を越す金がまったくない。困り果てて、ついに古道具の夜市に行く決心をする。そこでは様々な品物がセリにかけられている。
まず、十二、三歳の娘の正月の晴れ着が、競売に出される。自分の娘の着物を売りに出すのだから、よほどの困窮の果てなのだろう。それから、丹後のブリ、二畳用のカヤ、蝋引きの紙、刺身の大皿などが出てきて、それぞれわずかな値段で買い取られていく。最後に主人公の編み笠がセリにかけられるが、たった銭十四文にしかならない。
「これは正月に三十六文で買って、一度しかかぶっていないのに」と男が愚痴をこぼしたために皆に笑われ、かえって大恥をかくというオチが付く。
三枝さんの話は創作落語であった。勉強熱心な三枝師匠のことであるから、この「つまりての夜市」などを読んでヒントにしたのかもしれない。その真相は分からないが、大阪の庶民の生活ぶりをモチーフとして語り出すと、時代を越えて、同じような手法で、同じような話になってしまうというところが、なんとも興味深い。
(三枝さんの上の話は『桂三枝全集 創作落語125撰 7』キングレコードで聴くことができます。)
画像・右は『桂三枝全集 創作落語125撰 7』(キングレコードのサイトより引用)
左は『大晦日を笑う『世間胸算用』(広嶋進著・清文堂)
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