日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第19回】2005年5月2日
井原西鶴は井原市出身?
著者紹介
広嶋 進(ひろしま すすむ)
古典文学(江戸)担当
井原西鶴を中心に、江戸時代の小説・演劇を読み解くことをテーマとしています。
井原西鶴は江戸時代を代表する小説家ですが(1642~93)、その出身地や生涯など詳しいことは資料がほとんどなく、よく分かっていません。
出身地については二つの説があります。一つは和歌山県出身とするものです。その説に賛同した方たちが中津村という所に石碑を建てました。サイカクセンベイまであるそうですが、実は確かな証拠があるわけではありません。
もう一説は備中国井原出身とするもので、これも状況証拠に基づくものながら、私はこちらの説の方が有力ではないかと思っています。
その根拠は、西鶴の住んでいた西鶴庵は大坂の鑓屋町にあり、刀剣・鍛冶職人が多く住む場所で、西鶴の父祖も刀剣関係の仕事をしていたと推定されることです。西鶴の小説(当時は浮世草子といいました)の第一作品は『好色一代男』(一六八二年刊)ですが、水田西吟という俳人があとがき(跋文)を書いています。
この水田姓は備中に多い刀鍛冶関係の姓なのです。
先年、私のゼミでユニークな卒業論文が、ありました。卒論の論者は、三原市や広島市や三次市に現在井原と名乗る人が多いことに注目し、計168人の方に直接アンケートをお願いしました。その結果、西鶴の肖像画に見られる「丸に花菱」の家紋の井原さんが、右の方のうち三名いることが分かりました。
紀州の井原氏は「丸に花菱」紋ではないので、このデータは西鶴井原市出身説を補強する有力なデータといえるかと思います。
井原近辺から、西鶴の手紙や系図が出現する日を、私は心待ちにしています―。
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