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日本語日本文学科

2004.10.01

「日本語学」との出会い|清水 教子|日文エッセイ12

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第12回】2004年10月1日

「日本語学」との出会い

著者紹介
清水 教子(しみず のりこ)
日本語学担当
語彙・文体を中心に、平安時代の公卿日記(変体漢文)を研究しています。また、室町末期の口語体のキリシタン資料にも関心があります。

大学生のときは、「言語・国語・国文学専攻」に属していました。「日本語学」(旧名称は「国語学」)との出会いは、大学2年生のときです。私の学んだ大学には「日本語学」専攻の専任がいらつしゃらなかったので、集中講義の先生による『万葉集』東歌・防人歌に見られる「東国方言」との出会いが、「日本語学」との最初のそれだった、と記憶しています。『万葉集』を文学としてではなく、歌を構成している言語に注目して語学的に考察することに、文学とは違う種類の面白さを感じました。

大学1年生のときから大学院進学を目指し、将来は大学教員になりたいと考えていました。文学と語学のどちらを選んで「卒業論文」を書くのか、ということに決定的な力を及ぼしたのが、「国語学会中国四国支部大会」でした。確か、これも2年生のときです。母校が会場校となり、2年生・3年生が中心になって、事前の準備をしたり、当日の雑用的なお手伝いをしたりしました。

大会が終ったとき、「方言学」の藤原与一先生がお手伝いの学生たちに労いのお言葉をかけてくださいました。そのとき、私の中で、「日本語学」と「広島」とが強く意識されました。これで、「卒業論文」は「日本語学」に決まりました。

御指導くださる先生(「言語学」専攻、ローマ字論者)の関係で、授業では全然扱われなかった『天草版伊曽保物語(エソポのハブラス)』を取り上げることになりました。この文献は室町末期の「キリシタン資料」の一つで、1593年に熊本県の天草で出版されたものです。当時の日本語が当時のポルトガル式ローマ字で表記されています。その文献に見られる日本語を「品詞分解」して「日本語学」的に考察したのが、自主的に「日本語学」と取り組んだ最初でした。

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