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日本語日本文学科

2020.02.01

「ちよにやちよに」考|佐野榮輝|日文エッセイ196

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
 佐野 榮輝(さの えいき)
 
書道担当
 書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。

「ちよにやちよに」考

 現在、私たちが日本の古典文学を読む場合に、ほとんどの人は活字に翻字された書籍によって鑑賞していて、その原本を見ることは極めて稀である。特に漢字に翻刻されている場合は、固有名詞などは便利ではあるが、その裏に、それを編集・注解した人の思考や意志が刷り込まれているということでもある。
 国歌「君が代」の歌詞を、国旗及び国家に関する法律(平成11〔1999〕年8月13日、法律第127号、同日施行)より引用する。  (/は改行)

  君が代は/千代に八千代に/さざれ石の
      いわおとなりて/こけのむすまで


 君が代は世界でも最も短かい国歌のひとつと言われ、和歌に基づいている。その原歌は、『古今和歌集』巻第七巻頭の賀歌、

     題しらず               読人しらず
343 わがきみは千世にやちよに さざれいしのいはほとなりてこけのむすまで

                      (日本古典文学大系8『古今和歌集』1958年、岩波書店)

といわれるが、先の国歌とは、歴史的仮名遣いは別にしても、いくつか異なっている。この歌詞の変遷について、久曾神昇『古今和歌集』全訳注(二)(1982年11月、講談社、頁175)は、次の四段階に分けているのがわかりやすいので、以下に引用する。

 A わが君は千代にましませさざれ石のいはほとなりて苔むすまでに
           (原本『古今集』、初稿本『和漢朗詠集』)
 B  わが君は千代にましませさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
           (『和歌体十種』『和歌十体』、『古今和歌六帖』)
 C  わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
           (再稿本『和漢朗詠集』、精選本『和漢朗詠集』『深窓秘抄』)
 D  君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
           (歌謡、『古今集』顕昭 注、『拾玉集』所引)


 国歌「君が代」のDに至るまでに、初句は「わが君は」ABCであり、第二句は「千代にましませ」ABから「千代に八千代に」CDとなり、結句は「苔むすまでに」Aから「苔のむすまで」BCDと変遷している。なお、第三句「さざれ石の」が「さざれしの」と表記する古筆もあるが今は触れない。
 管見の限りだが他の古筆も付け加えておこう、Aには『今城切古今集』、Bには古今集の完本として現存最古の遺品『元永本古今集』(奥書に、元永三〔1120〕年七月廿四日と記される)、題は「祈」、などがある。

 私が問題にしたいのは、Cの「千代に八千代に」の「八千代に」ついてである。Cの出典の一つ、藤原公任の撰として知られる『深窓秘抄』【図一】は、筆者を宗尊親王と伝えるが、『高野切』(第一種)などと一群の遺品と同筆で、ほぼ十一世紀半ばの書写と推定される。掲載の部分は巻末の最後の第101首目で、前の伊勢の歌とともに、掉尾(ちょうび、とうび、物事の最後)を飾るためであろう、草仮名を多用した散らし書きで記されている。現代人には難解であるので、その釈文を挙げておく。( )内の漢字は変体仮名の字母。

                       よ(代)み(美)びとしらず(須)
 わが(可)き(支)み(美)はちよに(耳)や
                      千代にさ(佐)ヾ
      れ(禮)いしのい(以)は(者)ほとなりて(氐)
       こけ(遣)の(能)む(無)す(数)左右


 

【図一】

【図一】

 最後の「左右」は「まで」と訓じ、万葉集由来の戯訓的用字法。左右の手、両手。片手ではない、完全の意の「ま手」、に終助詞「まで」を宛てた。前述の『元永本古今集』343同歌にも用いられていて、まるで判じ物のような用例。それはとにかく、第二句「ちよにや千代に」が、私には「千代に八千代に」にはどうしても読めないのだ。

 同じく藤原公任撰『粘葉本和漢朗詠集』巻下・祝【図二】774は第二句の連綿が「ちよにや・ちよに」と読める。『伊予切和漢朗詠集』や『太田切和漢朗詠集』の連綿も同様の四字連綿+三字連綿である。【図三】は『戊辰切和漢朗詠集』であるが、第二句を「ちよにやヽヽヽに(耳)」と三つの畳点があるので、変体仮名「耳」は衍字(えんじ、誤って入っている不要な文字)であるが、「千代にや千代に」の意であろう。また次句を「さゝれ」とするべき畳点「ゝ」を、「さ」の末筆をそれと錯覚したためか、書き落としている。このような畳点「ゝ」を脱字するケースはままあり、拙稿「日文エッセイ77」脱字考―『寸松紙』「むめのかを」の場合―を参照されたい。
 

(左)【図二】、(右)【図三】

(左)【図二】、(右)【図三】

 私は『かな連綿字典』第一巻「高野切第一種系」(平成2〔1990〕年3月、雄山閣出版刊)を編んだときに、「ちよ〈千代〉にや千代に」【図四】としか漢字を振ることができず、悶々としていた。後に岩波の新古典文学大系『古今和歌集』巻第七343(頁113)のこの歌の脚注「千世に八千世に」の項に、
 
(略)「千」も「八」もたくさんの意。「や」を間投助詞として「千世にや、千世に」 と解する説、「や」を「いやさか(弥栄)」の「いや」の意として「千世に、弥千世に」 と解する説もある。

といい、疑問は氷解した。「八千代に」一辺倒の解釈だけではないのだ。

【図四】

【図四】

  「八千代(世)」について、今ひとつ付言しておこう。『古今和歌集』巻第七の賀歌の345「君が御代をば八千代とぞなく」、346「君が八千代にとりそへて」、347「君が八千代にあふよしもがな」など「八千代」である(ただし346、347の「八千代」は「やそじ(八十路)」とするのが原形という)。また、巻第七の賀歌の断簡で、十二世紀前半の遺品という「賀歌切」【図五】は、Cグルーブの『古今集』として貴重であり、

 343 わがきみはちよに/やちよに/さざれいしの/いはほとなりて/こけのむすまで

五行の散らし書きで、書写者は明らかに八千代を意識して揮毫していよう。

【図五】

【図五】

 『古今集』を書写する場合、賀歌に八千代が頻出するところから、冒頭の343番もそれに影響を受け、一方、『和漢朗詠集』や『深窓秘抄』などは前後に八千代の語がなく、「千代にや・千代に」とこれもまた意識的に書写されているのではなかろうか。
 とりわけ「朗詠集」は、時にひとり口ずさみ、あるときは管弦を伴って奏される際のテキストでもあろう。その音調息づかいが、書写時の仮名の連綿に、形連にせよ意連にせよ、影響しないはずはない。


【図一】佐野榮輝摸。『深窓秘抄』(藤田美術館蔵 日本名筆選2 1993年6月 二玄社より)
【図二】佐野榮輝摸。『粘葉本和漢朗詠集』〈下〉(宮内庁三の丸尚蔵館蔵 日本名筆選9 1993年10月 二玄社より)
【図三】佐野榮輝摸。『戊辰切和漢朗詠集』(個人蔵 日本名跡叢刊84 『名家家集切・戊辰切和漢朗詠集』所収 1985年9月 二玄社より)
【図四】竹田悦堂監修・佐野榮輝編『かな連綿字典 第一巻 高野切第一種系』(平成2〔1990〕年3月、雄山閣出版刊)より。後に同書は『新装版 かな連綿字典 高野切第一種系』として同社から再版(平成27〔2015〕年10月)。 
【図五】佐野榮輝摸。「賀歌切」(個人蔵 日本名跡叢刊96『古筆名品抄』(二)所収 1985年9月 二玄社より)



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