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日本語日本文学科

2020.01.01

新・伊勢物語|原豊二|日文エッセイ195

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日本語日本文学科

日文エッセイ

入試情報

【著者紹介】
 原 豊二(はら とよじ)

 古典文学(中古散文)担当
 源氏物語など平安時代の文学を多角的に研究しています。

新・伊勢物語

 平安時代に創作された『伊勢物語』ですが、この作品は後の日本の文学や思想・文化に大きな影響を与えたと考えられます。ですから、中学校や高等学校の教科書にも採られ、今でも多くの読者を得ているわけです。
 このような『伊勢物語』ですが、この作品を新たに創作することは可能でしょうか?いくらか唐突な問いを発しましたが、きちんと『伊勢物語』の学習をした後であれば、自分なりの『新・伊勢物語』を創作することはできるはずです。
 さて、私の授業では、まず本当の『伊勢物語』をとことん読み込むことから始まります。特に作中の和歌の解釈について、複数の説を挙げて、受講者全員でどの解釈がベストかベターかを考えます。むちろん、研究者でも判断の分かれることもありますから、簡単にはいきません。むしろ、こうした学生たちの試行錯誤する過程こそが重要なのです。
 授業の最終盤、ようやく『新・伊勢物語』を創作する日になりました。必携なのは、文法書と古語辞典です。できるだけ平安時代っぽく、ただし、現代のエッセンスも入るような、そんな物語を学生たちに提案してみました。
 その中の一つを紹介します。


 昔、男ありけり。旅に出でてゆきけるに海辺に着きてありきけり。しづかなる海を見て、
  夏の夜の打つ波の凪臨むれば 心もしのに涙枯れ果てぬ
と詠みにけり。男は、人をうしなへる寂しさに、東国より出て来にけり。日やうやう入りて、さびしさなほまされり。さるに、男、瓶の波に打たるるを見つく。取り上げて見るに、白き骨と文入りたりけり。文を見るに、
  紅の初花染めの色深く去りにし君を思ひつづかん
とあり。見知らぬ男の文とおぼゆれど、ほかのこととは思ほえず、不便なりと思ひて再び海に流してけり。



 男が友人の死をきっかけに旅に出て、海辺に辿り着く。海を見て、まずは一首。ふと気付くと、白い骨と手紙の入った瓶が浜に打ち寄せられている。その手紙にも、誰の書いたものか、和歌が認められていた。その和歌を読んだ後、男は再びそれを海に流したという。

 『伊勢物語』の色調は全体に流れるものの、平安時代には普通存在しない「瓶(びん)」が出てきて、これはこれで面白い。現代と古典文学の世界をつなぐような文章にはそれなりの格調があると言えるでしょうか。
 この作品には二首の和歌が含まれています。ここで大事なのは、この『新・伊勢物語』の創作において最も苦労の多かったこと、つまり和歌の創作という壁です。現在でも、短歌を詠む人はいますし、そうした結社も多くあります。ですが、平安時代を思わせる和歌を創作する機会は決して多いとは言えません。
 今まで、古典文学の教育や研究は、そこにある作品(テクスト)を読み、理解することに大きなウエイトを置いてきました。もちろん、こうしたことはとても大切で、これをしないと何も始まりません。また、読解は必ずや読者の新たなインスピレーションへとつながっていきます。その一方で、作品の読解という枠組みからの離脱や越境は、敬遠されてきたのではないでしょうか?英語に英作文はありますが、古典文学に古文作文はなかったわけです。
 最近、私は古文作文も必要な時代になっているかと考えています。これは古典文学作品の伝統をもてあそぶことを意味するのではなく、多くの人々がそれを求めているという現実への対処です。私たちがふとしたきっかけで旅に出たとします。そこに『伊勢物語』風の案内文などがあったら、少しわくわくして来るのではないでしょうか?岡山で言えば、桃太郎の話などはもっと古文調で書かれていてもよいと思います。古い時代との精神的なつながりの一つとして、古文は今も生き続けていると私は思います。
 『新・伊勢物語』はこのような目論みから始まった一つの実験です。古典文学を読み、そして古文で表現する、そういう学びがあってもよいのではないでしょうか?

 

著者所蔵・伝岩山道堅筆『伊勢物語』断簡

著者所蔵・伝岩山道堅筆『伊勢物語』断簡

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