• TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • Nサポ
  • manaba
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2010.03.01

脱字考―『寸升庵色紙』「むめのかを」の場合―|佐野 榮輝|日 文エッセイ77

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。
 

【図1】『寸松庵色紙』(遠山記念館蔵、佐野榮輝摸)

【図1】『寸松庵色紙』(遠山記念館蔵、佐野榮輝摸)

 【図1】は仮名古筆の名品『寸松庵色紙』の一葉を双鈎(籠字)にトレースしたものである。原本の料紙は舶載の唐紙といわれ、処々に具引きの胡紛が剥落しているが、紙面上部左右にはうっすらと淡い藍色が残って蒼天を連想させる。筆毫にやや短い毛が一本含まれ後半それが見え隠れする。また紙面は布目打ちが施され、凹凸が書線に現れているがそ
こまでは双鈎では写しきれなかった。タテ12.5、ヨコ11.5㎝のほぼ正方形で掌に乗るほどの大きさである。この一葉は遠山記念館(埼玉県比企郡)が所蔵し、重要文化財に指定されている。インターネットで同記念館を検索するとカラー図版を見ることができる。平安時代末期の11 世紀後半を降らない書と推定されている。
 和歌一首が五行で流麗に書かれていて、行間の変化はないが、最終行はただ一字で直前四行目の左傾を受け止め、さらに全行の支点になって、その一字の周囲の余白には嫋々たる余韻が響く。起承転結もしくは序破急の音楽が聞こえてきそうだ。各行末はその高低をゆるやかに左に上昇曲線を描き、対照的に各行頭は左に急カーブを描いて落下し最後の一字に終結する。この行末・行頭の曲線を追っていくと、四角の紙型を超えて、右上方に大きな楕円の小宇宙をも現出させる【図2】。四行目の行頭がその急降下の曲線を破って左上に伸び出し小世界をより大きく見せている。書者はこの行末の上昇曲線を鮮明に想定させるために、行末の文字の特に終筆の形や方向の変化に相当の配慮を施している。

 さらに凝視すると、特に第一字目を縦長に大胆な「ん」から書きだし、それに呼応するように上辺の字形は縦長に、下辺はなるべく背を縮めた字形に排し、前述した楕円形が立体的に卵形のような球状を呈して逼ってくる、スケールの大きい構成となっている。このような作意を秘めながらも、しかし全く自然に草卒に書き上げたかのように伸びやかで穏やかである。
 釈文と付き合わせていただきたい。〈 〉内は変体仮名の字母、/印は改行。

む〈无〉めのか〈可〉をそ〈所〉でに〈爾〉/うつしてとめたら/
は〈盤〉るは〈者〉す〈春〉ぐと/もか〈可〉たみな〈那〉らま〈万〉/し〈志〉


『古今和歌集』春歌上の

46 梅がかを袖にうつしてとどめてば春はすぐともかたみならまし

の祖型を遺したものと考えられている。

 お気づきの通り、この名筆は「は」一字を脱している。春名好重氏は「自由に速く書いていると、脱字をすることがあるのは止むを得ないこと」(同氏編著『古筆大辞典』p708)とし、「第三句の「とめたらば」の「は」を書きおとしている」(同書および『墨』52 号p7)と断言するが、他は釈文中にひっそりとその主張をするに過ぎない。この脱字箇所については、次の【A】【B】【C】に説が分かれている。

うつしてとめたら【A】/【B】は【C】るはすぐと

【A】は「とめたら(ば)/はるは」、【B】は「とめたら/(ば)はるは」、【C】は「とめたら/ば(は)るは」。【B】は不可解だが、現行の高校教科書に載る。【A】は「ハ」の様な短寸の仮名を、【C】は畳点「ゝ」を書き落としたと推理するのであろう。「盤ゝ」と書く例としては、同色紙263「あめふれば」の歌に「もみち/ば(盤)は(ゝ)」がある【図3】。
 

【図3】竹田悦堂監修・佐野榮輝編『かな連綿字典 第4巻 関戸本古今集系』(平成3年9月、雄山閣出版)より

【図3】竹田悦堂監修・佐野榮輝編『かな連綿字典 第4巻 関戸本古今集系』(平成3年9月、雄山閣出版)より

 誤字や脱字は故意に犯すことはない。しかしこの誤字と脱字には書者として微妙な心理的な違いがあろう。明かな誤字の場合は、書者がそのことに気づいてしまった以上、訂正しなければという衝動に駆られよう。実際に本色紙の遺品四十余葉中に一例、誤記を自筆訂正した「見せ消ち」が現存する。不本意であるが、歌意を尊重すれば止むをえない。だが脱字の場合はどうか。この場合には、書者が気づいたか否かが問題である。気づかなかったならばそれまでとして、もし気づいたら、書者の葛藤は如何ばかりだろうか。この筆者は他にも4 例の脱字を指摘されていて、その弊が強いようにも思えるが、どれも補記を試みていないのは未必の故意というべきなのだろうか。
 この件に関して学生に課したレポート中から一つ紹介しよう。二行目「たら」の「ら」の終筆に「ハ」の第二画目が重ね書きされていて、「ハ」の第一画は剥落したというもの。確かに「ら」の左辺は胡紛の剥落があるが、この説は無理だろう。しかし、なるほど「ら」の下に「ハ」を書くのではなく、「ら」の左余白に「ハ」を加えるのなら上昇曲線も損なわないという発想も可能か。でも筆者はあえてそれさえも潔しとしなかった、のか。
 料紙に残る淡い水色が春霞の青空にも似て、そよ風に誘われ梅の香が漂って来る。私はまた迷宮のスパイラルを往きつもどりつする。
(2019年12月20日再稿)

一覧にもどる