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日本語日本文学科

2009.11.02

バンコクの街角で新古今和歌集を読む|海野 圭介|日文エッセイ 73

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第73回】2009年11月2日

バンコクの街角で新古今和歌集を読む
著者紹介
海野 圭介(うんの けいすけ)
古典文学(鎌倉~江戸)担当
鎌倉~江戸初期の和歌の歴史を研究しています。また、海外における日本文学の翻訳と研究にも関心を持っています。

日本と海外諸国との文化芸術の交流を行い、日本語教育と日本研究に関する普及活動とバックアップを行うJapan Foundation(独立行政法人 国際交流基金)とタイ王国チュラロンコーン大学の要請により8月の1ヶ月間タイ王国の首都バンコクに滞在し大学院生を対象に日本古典文学の授業を担当した。インドシナ半島の中心に位置するタイは、東南アジア有数の大河であるチャオプラヤ川(メナム川)の豊かな恵みに育まれた古代の遺構も多く、また、亜熱帯の海岸には大規模リゾートが設営され、夏のバカンス地としても欧米・日本を問わず抜群の人気がある。海外の資本を受け入れて進める市街の開発も盛んで、地方はともかくバンコク市街ならば日本の街角と全くかわらない。

タイへの渡航は4度目だが1ヶ月もの連続した講座ははじめてで、どのような反応があるのか予想もつかない。担当する科目が「日本中近世文学」(鎌倉~江戸時代文学)というのも気掛かりで、日本人ですら苦労する古典の文章をタイの学生に理解できるように説明できるのか?まして、古典については勉強をはじめたばかりの学生も交じるという(学部生のときは現代日本語とその表現の修得を主な学習内容とする)。期待と不安の入り交じったまま当日を迎えた。受講生は修士課程の1年生3人、2年生6名の計9名。海外での大学院生を対象とした特殊な講義としては多い。はじめに自己紹介をして、次に受講生に自己紹介をしてもらう。全員流暢な日本語を話す。思わず安堵。よくよく聞いてみると日本に語学留学の経験のある人もいて、現在の日本の流行などにも詳しい。
仏教を背景とする伝統文化と近代的日常が交錯するバンコクに生活しているからか、日本の古典の魅力からか(?)、古典文学に対する関心も高い。授業では、最初に和歌のレトリックの説明、そして前近代の日本人の心情表現の方法などについて話す。日本ならば高校の教科書にも載っている内容だが理解されるかどうか?意外なことに、散る桜や山の端から出る月など日本の四季の描写が伝えようとする心情描写とその意図などについての質問が相次ぐ。四季の無いタイで四季の変化を細やかに描写する表現について細かな話をすることになろうとは...。何回かの授業を進めながら、更に複雑な本歌取りの技法を多用する『新古今和歌集』に収められる和歌の表現技法と表現される心情のかたちなどについても述べる。古典和歌の最高峰である『新古今和歌集』の伝える美しさのかたちが伝わるのか?時間をかけて技法の逐一と和歌の表現しようとする心情について説明する。これも思いの外理解されているようだ。当初の不安は取り越し苦労であった。

後で一緒に食事をしながら授業について聞いてみると、難しいことは難しいが、日本人の心情が和歌という詩のかたちをとって表現されること、恋をするにも和歌、哀しさを吐露するにも和歌、和歌のことばが、不安定で抽象的な心の中を自然の情景に仮託しながらヴィジュアルイメージとして伝える働きをするというのは興味深いという。また、本歌・本説という共通に理解された古い伝承が感情を媒介するのもおもしろいという。

思えば、現代は心のあり方への注視が最も先鋭化した時代でもある。心理・心理学ということばが学問のフィールドを離れて日常語化して久しい。現代医学は、心をめぐる不可思議な現象の多くを説明してきたが、私の感じる感情が私以外の人にも伝わり理解されるという不思議を説明するのはなかなか難しい。哀しいのならば、どのように、どのくらい哀しいのか?嬉しいのならばどんなふうに嬉しいのか?人の感情を説明するには、○○のように、○○ふうのような形容句が求められることが多い。古典和歌は、最後の一枚の花びらが風に吹かれて虚しくも散ってしまうような思いだ、とか、月の光までもが一気に凍り付いてしまうような孤独だ、とか、あるいは『源氏物語』の光源氏のこの時の気持ちだ、のような表現で心の状態を説明する。この時、「花」「月」「光源氏」は個人の特別な感情にかたちとストーリーを与えて、相手の心の中にその心情を再構築させる働きをする。

「月曜のあのドラマみた?」「あいつひどいよね~」「わかる、私も同じような経験がある」「私も同じだよ」という会話に違和感が無いのならば、和歌の表現も同じようなものだと思えばよい。ある一定の感情を喚起するドラマが、伝えたい心情を伝える。ドラマとは直接には何の関係もない私の感情は、その切り取られた一場面に媒介されて伝えられるのである。

チュラロンコーン大学での講義も終わりに近づき、送別会をしてくれるというので一緒に食事に行った。カラオケでも澱みのないフレージングで日本語の歌をうたう。和歌よりは歌謡曲の方が(やはり!)よくわかり共感できるという。国境を越えて伝わる気持ちをことばにする。歌の力というほかはない。

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