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日本語日本文学科

2010.02.01

海の風わたるイフク町 ~歌枕研究余滴~|片岡 智子|日文エッセ イ76

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第76回】2010年2月1日

海の風わたるイフク町 ~歌枕研究余滴~
著者紹介
片岡 智子(かたおか ともこ)
古典文学(平安)・日本文化史担当
文学と文化史の観点から古代文学、主に和歌を研究しています。

はじめに~和歌と地名~
和歌は日本の詩歌を代表する伝統的なジャンルですが、その和歌に長い間詠みつがれてきた「歌枕(うたまくら)」という地名があります。それはどこでもいいというわけではなく、由緒ある特定の場所、歌にふさわしい諸国の名所が取り上げられています。したがって、歌枕を解明するためには地名の研究を欠かすことができません。このように私の地名への関心は、歌枕から始まりました。

地名学とはもともと地名は情報の宝庫といわれているように、地理学や歴史学、国語学や国文学、民俗学など多くの分野から研究対象とされてきました。そして、文字通り地名学という専門分野があります。特に日本は地名が緻密で、多彩です。その結果、学際的な文化学としての地名学が確立されることになったといっていいでしょう。

地名学の大先達として歴史地理学の吉田東伍と民俗学の柳田国男をあげることができます。明治33年に吉田東伍は『大日本地名辞書』(11巻)を出版、全国の歴史的地名を徹底した文献収集によって考証し、柳田国男は昭和11年に刊行された『地名の研究』において、地名から過去の人々の歴史を掘り起こそうと試みています。いずれも日本の地名を読み解こうとするものにとって見過ごすことのできない研究です。

近年、語源学専門の吉田金彦氏が、地名とは地理学にもっとも接近しており、同時に歴史学と緊密に結びあい、それらを底辺とし、その頂点に言語として成り立ったものだと理論的に説明して、あらためて地名学を提唱しています(『日本地名学を学ぶ人のために』平成16年刊)。
このように歴史的地名の謎を解くためには、地名学という学問が大切になります。

伊福町とは
さて、歌枕ではないけれど最初に興味を持ったのが「伊福町」という町名です。
岡山市の伊福町、それは本学の所在地にほかなりません。はじめは単純に伊勢の「伊」と、幸福の「福」で、字面のいい、おめでたい名前だなと思っていました。それもそのはず、和銅6年(713)5月に「風土記」の撰進が命じられ、その中に地名に好い字を当てなさいという命令が含まれています。「伊福」とは、まさしく「風土記」の好字の命令による当て字だったのです。

また、10月の祭りの頃、大学の正門を出ると町の界隈には紺地に白く染め抜かれた「尾針神社」という背の高いのぼり旗が立てられます。それは、澄んだ秋空の下、閑静な住宅街に勇壮にはためいています。尾針神社はこの地域の氏神さまです。尾針は旧仮名遣いでヲハリと書き、それはオワリと読むことができます。実際に地元の人々はオワリ神社と呼んでおり、オワリとは尾張のことで、伊福町
は昔、尾張からやってきた人々が居住した土地だと言われています。秋祭りののぼり旗は、古代の息吹を今に伝えていたのです。

イフクとは
ところで、歴史的地名は用字にとらわれないように注意しないと、本来の姿が現れてきません。伊福を「イフク」と表記する理由がここにあります。そのイフクの意味をいろいろ考えているうちに、衝撃的な本に出会いました。それは、民俗学の谷川健一氏の『青銅の神の足跡』(昭和56年刊)でした。

本を開くと、まず「伊福部」という古代氏族の名前が目に飛び込んできました。伊福部氏は尾張平野に展開した古代の鍛冶(かぬち)氏族であり、「イフク」の語源はというと、イは接頭語で、フクはフイゴ(吹子)を意味すると述べています。鍛冶とは金属を精錬する技術のことであり、吹子とは精錬の工程で重要な風を送る作業をする道具です。その伊福部氏が居住した場所が伊福という地名になったのです。

平安時代の漢和辞書である『和名抄』には六つの国の伊福郷が記載されており、その中の備前国御野郡伊福郷こそ、現在の伊福町を含む伊福部連の居住地だったことが分かります。往時の伊福郷は、尾針神社の氏子地域(京山、津倉町、伊福町、奉還町、伊島町、清心町、絵図町、国体町、いずみ町)と一致するものと思われます。

まさしく伊福部氏はフイゴをつかさどる鍛冶氏族であって、その技術を携えてはるばると尾張より備前のこの地にやってきたのでした。

おわりに
尾針神社は、小高い伊福山に鎮座しています。かつてそこから東の方を望むと、伊福郷が広がって見えたことでしょう。北側の津島遺跡からは舟が発掘され、大学のすぐ近くの済生会病院の辺りからは貝殻がたくさん見つかっています。浜辺は近く、先進の気風に満ちた伊福郷には、いつも海の風がわたっていたにちがいありません。そう思うと、今、伊福町に吹く風に海とその輝きを感じるのは幻でしょうか。

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