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日本語日本文学科

2010.04.01

揺動するマンガ作品 ~手塚治虫『火の鳥』、二つの黎明編よ り~|新美 哲彦|日文エッセイ78

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第78回】2010年4月1日

揺動するマンガ作品~手塚治虫『火の鳥』、二つの黎明編より~
著者紹介
新美 哲彦(にいみ あきひこ)
古典文学(平安)担当
平安・鎌倉時代に作成された物語について、江戸時代に至るまでの受容の歴史も含めて研究しています。

はじめに
手塚治虫のライフワークと言われる『火の鳥』は有名な作品だが、『火の鳥』黎明編が二種類あるのを知る人は少ないのではないだろうか。私は、自分のゼミの学生が卒業論文で『火の鳥』を取り上げるというので、通読し、初めて知った。

卒業論文でマンガ!?と驚くかもしれないが、昭和後期から現在にかけてのマンガ文化の隆盛を考えれば、そう不思議なことではない。成立当時サブカルチャーと見なされた作品が、後にメインカルチャーと見なされるようになる例などは『源氏物語』や歌舞伎、あるいはビートルズなど枚挙のいとまがない。大野茂『サンデーとマガジン』(光文社新書 2009/4)が悪書追放運動との絡みで、手塚治虫と夏目漱石をオーバーラップさせるが、確かに夏目漱石も俗語を多用した作家だった。

前々回「文学作品の本文」(【第56回】2008年6月1日)で、「作者と題名が同じであれば、当然同じ本文であると考えてしまいがちだが、実はそうではない」と書いた。今回は手塚治虫『火の鳥』の二種類の黎明編を取り上げたい。なお、差異の指摘の多くはゼミ学生の卒業論文に拠ることを明記しておく。

登場人物の差異
最初に『火の鳥』「黎明編(未完)」が『漫画少年』に連載された(以後、黎明編Aと呼ぶ)のは1954年。その後、1956年から「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」が『少女クラブ』に連載される。1967年よりふたたび「黎明編」の連載が『COM』で始まり(以後、黎明編Bと呼ぶ)、その後、掲載誌を変えつつ長く書き続けられることとなる。

黎明編Aの中心人物はイザ・ナギとイザ・ナミの兄妹で、火の鳥の血を飲むことで3000年の命を得る。一方、黎明編Bの中心人物はナギ一人で、ナミは登場せず、ナギもまた火の鳥の体を手に入れながら、血を飲めずに死ぬ(図版1)。

※画像は、手塚治虫『火の鳥』。
手塚プロより使用許諾を得ています。無断転載を禁じます。

また、黎明編Aでは、火の鳥が3000年で死に、火の鳥の子が誕生。一方、黎明編Bでは、火の鳥が一旦死ぬかに見えるものの、血を飲む人物は描かれず、火の鳥も火の中で再生する。(図版2)

変容する物語構造
黎明編A・ナギ・ナミ(3000年の命)・火の鳥(3000年の命)→黎明編B・ナギ(死)・火の鳥(不死)という差異が物語構造に与える影響は大きい。

黎明編Aのナギ・ナミの兄妹は、『古事記』『日本書紀』の国産み、神産みをする神である伊邪那岐・伊邪那美を模す。「この二人が主役のまま、歴史を現代までたどるつもりであった」(『火の鳥公式ガイドブック』ナツメ社 2005・5)ようで、世界の神話に兄妹による始祖神話が多いことや3000年の命、後に天照大神やニニギの御子と呼ばれることから、ナギ・ナミは神に近い存在として描かれていると了解されよう。

黎明編Aの火の鳥は3000年経つと死ぬ存在であり、火の鳥の子も、猿・うさぎ・亀の子たちに助けられる存在(絶対的ではない存在)として描かれている。
つまり、ナギ・ナミと火の鳥との差は判然とせず、どちらも神に近い存在として描かれつつも、絶対的な存在ではなく、物語展開上の視点人物としての役割以上の印象はない。

一方、黎明編Bでは、ナギしか登場せず、彼は数多くの登場人物の一人として死んでいく。むしろ黎明編B以降の『火の鳥』でクローズアップされる登場人物は、「彼の子孫は 物語全体を通じていずれも重要な役割を持つようになるのである」と予告される猿田彦関連の人物である。「猿田」という名前を持つ者や、外見で猿田彦との関連が推測される者たちが、輪廻転生を感じさせつつ、苦しみ、悩み、そして死んでいく。

それに対して、黎明編Bの火の鳥は不死で、その後の『火の鳥』の中でも絶対的な存在として君臨しており、火の鳥とナギや猿田彦(を含む人間)の差は超えられないものとして描かれる。
つまり、永遠の存在である火の鳥と、有限の生を生きる猿田彦関連の人物を含めた登場人物を対比させることで、人間の本質を浮かび上がらせる構造となっている。
10年以上の時を経て書かれた二種類の「黎明編」は絵柄も掲載誌も想定される読者層も変化しているが、何より、火の鳥と人間の関係という物語の根幹に関わる構造が大きく変化していたのである。

おわりに
高校生のころにCOM版以降の『火の鳥』を読んで受けた一番の衝撃は、主人公(と勝手に思い込んでいた人物)があっけなく死ぬ、ということだった。私たちはそれぞれ自分の人生の「主人公」であり、今まで死んだことがないからこれからも死なないような錯覚に陥っている。だが、当然いつかは自分も死ぬ。通常は死なないはずの「主人公」が死ぬことで、その事実に気づかされる、それが衝撃だったのだろう。

ここまで大きい変化ではないものの、黎明編Bのみでも、雑誌掲載時から単行本収録時、他の出版社の単行本収録時など、機会があるごとに細かい変更がなされている(図版3)。たとえば冒頭、講談社版ではナレーション(文字情報)があることで絵は背景に後退するのに対し、角川版ではナレーションがなく絵がカラーで描かれることで、絵画情報のみを読者に訴えかける構成となっており、まったく逆の表現志向となっている(図版3)。マンガ作品もまた揺動し続けているのである。

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