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日本語日本文学科

2010.07.01

『都名所図会』のこと|藤川 玲満|日文エッセイ81

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第81回】2010年7月1日

『都名所図会』のこと
著者紹介
藤川 玲満(ふじかわ れまん)
近世文学担当
近世中期の文学と出版について研究しています。

江戸時代には、泰平の世相のもとに、人々のあいだで広く名所見物が行われるようになりました。それにともない、文学・出版界では、中川喜雲『京童』(明暦4年(1658)刊)をはじめとして、名所を案内する類の書物が数多くつくられていきます。さまざまな趣向・性質の作品が出ていますが、たとえば、京都のもので挙げてみますと、名所旧跡を項目立てて由来や事歴を小話にまとめて述べたもの(『京童』等)、町や道筋を辿って案内していくもの(『京雀』(寛文5年(1665)刊)等)、巡覧の形式をとるもの(『京城勝覧』(宝永3年(1706)序)等)、絵本(『花洛細見図』(元禄17年(1704)序))などがあり、また、内容の近いものには、年中行事書(『山城四季物語』(延宝2年(1674)刊)等)などがあります。

このような案内記類の各種が展開されていたところに、江戸時代の中頃、安永9年(1780)に『都名所図会』(みやこめいしょずえ)(6巻6冊)という新しい書物が出版されました。これは、京都の作者、秋里籬島(あきさとりとう)があらわし、大坂の画工、竹原春朝斎による挿絵を加えて成されたもので、京都の書肆、吉野屋為八によって出版されました。この『都名所図会』は大変な流行の書となり、以降、拾遺編(『拾遺都名所図会』)や、周辺諸国のもの(『大和名所図会』『和泉名所図会』『摂津名所図会』『河内名所図会』)、対象を街道へと転じたもの(『東海道名所図会』『木曽路名所図会』)というように、秋里籬島の手になる名所図会が続刊されていくこととなります。

では、その内容を少し掲げてみましょう。
まず、名所案内記に採録される主要な事項のひとつに寺社がありますが、たとえば次のような具合に解説がなされます(巻之三「蓮華王院三十三間堂」)。

蓮華王院三十三間堂は後白河院の御願として備前守平忠盛奉行し千体御堂を建立す(中略)本尊は千
手観音の坐像にして御丈八尺作は康慶なり 二十八部衆おのおの壇上に安置す 千手観音一千体は堂
内左右にまします 運慶湛慶両作なり

抑後白河法皇は常に頭痛の御悩ましませは医療さまざまなりしかども其験更になし(中略)因幡堂に参籠してひたすら祈給ふに満する夜貴僧忽然として又告ていはく法王の前生は熊野にあつて蓮華坊といふ人也 海内を行脚して仏道を修行す 其薫功によつて今帝位に昇れり されども前生の髑髏いまだ朽ずして岩田河の水底にあり 其頭より柳の木貫て生る 風の吹毎に動揺す 則今身に響て此悩をなせり(以下、河底から髑髏を得て観音の頭中に籠めたとする。中略)

堂前に夜泣泉あり 傍に池ありて春のすへより初夏に至り燕子花咲乱れて濃むらさきの色池の面に麗
しく京師の騒客廻りの茶店に宴を催して終日これを美賞す 当寺の佳境なり

大矢数の濫觴は新熊野観音寺の別当栴坊射術を好みて八坂の青塚の的場へ通ふ 帰るさに当寺の後堂
に休み射初し也 夫より連年諸侯の家臣出て射術の誉を争ふ(下略)

このように、概ね寺院の場合には、開基、本尊、縁起、堂舎・什物・庭、景観や現況、年中行事といった構成の解説がなされており、これに、この場所を高い位置から見渡す構図で描いた俯瞰図の挿絵が加えられています。

また、寺社以外の名所、たとえば巻之五「宇治里」のような項目であれば、歌枕の和歌が収載され(「新勅万葉 あすかかはらの御時あふみにみゆき侍けるに読侍る 秋の野に尾花かりふきやとれりし菟道の都のかりほしそ思ふ 額田王」等)、また、この土地の名産が取り上げられる(氷魚、鱸、鰻鮓、円柿、茶など)といった内容であり、これには、人物を中心に描く風俗画(図2)の挿絵が入ります。

この、籬島と春朝斎による『都名所図会』については、名所案内の記事が多岐にわたる文献に基づいて著わされていることや、「図会」という挿絵に趣向を凝らした形式をもつことが特質として知られます。とくに、図会の手法により新式の名所案内記を創出した意義を言われます。挿絵は、大きく分けて上述の二種類、俯瞰図と風俗画です。『都名所図会』以前にも、挿絵入り、あるいは絵を主体とした案内書はありましたが、前時期の作品と比較したとき、この書物の挿絵は、精密さという点で著しく進化したものとなっています。

さて、先に古歌を載せていることに触れましたが、収載される詩歌は、ほかに俳諧、漢詩、狂歌もあります。巻之四「愛宕山皿籠図」(図3)では、かごに乗った親子が描かれ、次のようにあります。

あたご参の皿竹輿をかりて行を見て狂哥をよめる
桃盛ったやうにころころ打のりて山はさかしきみちとせを行 舜福

舜福というのは、籬島の号の一つです。詩歌は、古歌から当代のものまで多彩に取り入れていますが、なかにはこのように作者自詠のものもあります。名所図会は、いわゆる純粋な文学書とは異質の書物と言えるでしょう。しかしながら、作者の秋里籬島は、名所図会のほかに小説や俳諧書などの著作も残しており、多分に文学的素養を備えた作者でありました。

本文の引用と図版は筆者の所持本を使用。
※画像の無断転用はご遠慮ください。

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