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日本語日本文学科

2011.02.01

英訳『源氏物語』とブラジル移民|新美 哲彦|日文エッセイ88

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第88回】2011年2月1日
英訳『源氏物語』とブラジル移民
著者紹介
新美 哲彦(にいみ あきひこ)
古典文学(平安)担当

平安・鎌倉時代に作成された物語について、江戸時代に至るまでの受容の歴史も含めて研究しています。


4種の英訳『源氏物語』
リレーエッセイ【第56回】で、「作者と題名が同じであれば、当然同じ本文であると考えてしまいがちだが、実はそうではない」と書いた。これは翻訳作品にも当てはまる。

例えば『源氏物語』の場合、次の4種類の英訳がある。
・1882(明治15)年・末松謙澄(桐壷~絵合)
・1926(昭和元)年~1933(昭和8)年・Arthur Waley
・1976(昭和51)年・Edward G. Seidensticker
・2001(平成13)年・Royall Tyler

桐壷の更衣が桐壷帝と別れる際に詠む和歌「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」の訳を比較してみよう。

末松訳
Since my departure for this dark journey,
Makes you so sad and lonely,
Fain would I stay though weak and weary,
And live for your sake only!

ウェイリー訳
'At last!'she said;'Though that desired at last be come, because I go alone how gladly would I live!'(地の文で表現)

サイデンステッカー訳
"I leave you, to go the road we all must go.
The road I would choose, if only I could, is the other."

タイラー訳
"Now the end has come, and I am filled with sorrow that our ways must part:
the path I would rather take is the one that leads to life"
それぞれに特徴があり、徐々に厳密な訳になっていくのが理解されよう。

末松兼澄と明治という時代
上の4種の英訳『源氏物語』のうち、ウェイリー訳の1926(昭和元)年~1933(昭和8)年やサイデンステッカー訳の1976(昭和51)年などは、それぞれ第二次世界大戦直前、高度経済成長期と、日本が海外から注目されている時期に翻訳されていることがわかる。
では、初めての英訳である末松兼澄訳の場合、どのような事情があるのだろうか。実は末松兼澄は当時28歳の役人、後に政治家として活躍した人物で、伊藤博文の娘婿でもある。さらにイギリスにおいて「The Identity of the Great Conqueror Genghis Khan with the Japanese Hero Yoshitsune」(チンギス・ハーン=義経説)を発表、それが日本に逆輸入されている。このような情報を並べれば、末松兼澄の意図が、当時、東洋の小国とも認識されていなかったであろう日本に、どんなに偉大な人物がいて、どんなに偉大な作品があるか、というアピールにあったことが見えてこよう。

初期のブラジル移民
昨夏、ブラジルのサンパウロ大学で、日本の古典文学の集中講義を行い、ブラジル国内のさまざまな大学で『源氏物語』についての講演も行った。日本研究を志す学生には、アニメやマンガで日本に触れた非日系の人々も増えつつあるが、教員の世代はまだ日系の人たちが多い。
ブラジルへの移民は1908年に開始。ブラジルでは1888年に奴隷制が廃止されている。日系移民は、不足している安い労働力として期待されていたのであり、さまざまな辛苦をなめたようである。兼澄のチンギス・ハーン=義経説は著者を変えて大正13年(1924)に出版され、日本で大ブームとなり、若者の海外雄飛の夢を煽る。1920年代後半にはブラジルが日本の移民をもっとも多く受け入れる国となっている。兼澄らの努力が、結果としてブラジル移民等に現れているわけで、複雑な思いを噛み締めざるを得ない。
日系2世の先生と講演後話していたら、石川達三の『蒼氓』を読んでいたら、うちの親はブラジルに来なかっただろうなぁ、と言う。ああ、うちのおじいちゃんも、と日系3世。どちらもちょうど『蒼氓』が出た1935年前後の移民。国にだまされたんだねぇ、としみじみ話すその口調に満州移民を重ねてしまう。

兼澄訳『源氏物語』の出版
兼澄訳『源氏物語』は、5回、出版社を変えて出版されている。

1.Trubner社 1882(明治15年)
2.丸屋(丸善)1894(明治27年)「英文日本文庫」シリーズの二巻目
3.the Colonial Press 1900(明治33年)
4.三角社 1934(昭和9年)
5.TUTTLE 1974(昭和49年)

1894年から日清戦争、1902年に日英同盟、1904から日露戦争、1933年国際連盟脱退と、当時の日本の動きを重ね合わせれば、日本の文化を世界にアピールしたいとき、もしくは世界が日本の文化を知りたいときに海外の出版社で出版され、日本にも世界に冠たる作品があると日本国内にアピールしたいときに日本の出版社で出版されているという事情が透けて見える。
古典は自動的に発生しない。誰が、誰のために、どんな古典を欲しているのか、を考えることで、文学作品の、内容とは違う側面が立ち上がってこよう。

画像、ブラジリア大学からパラノアー湖(人工湖)を望む。

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