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日本語日本文学科

2011.03.01

趙之謙とタングラム|佐野 榮輝|日文エッセイ89

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日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。
 
 書の学習に用いているテキストに、切り紙による表現として、趙之謙(1829―84)の識語(しご)のある作品「山中多白雲」が載せられている【図1・廣江典子(2年)の青色紙による復元作品】。学生たちには一見、型紙染めのようにも見えていぶかしく思うようだが、折り紙による七巧図である。識語には、
 
戯れに児輩の七巧版を拈(ひね)り数十字を成す。程子、鏡芙、榜書を摸作し、少庵仁兄親家大人に持贈す。粲正せよ。撝叔識す。【原漢文】

という。

図1・廣江典子(2年)の青色紙による復元作品

図1・廣江典子(2年)の青色紙による復元作品

 戯れに児童の七巧版(板)をあれこれ工夫して数十字を創り出した。この頃、鏡芙がそれを真似て榜書(題額)を作り、自ら持参して少庵仁兄親家大人に贈る。粲(サン)は白い歯を出して笑うさま、正はただせ、ご笑覧下さいの意。撝叔(キシュク)は趙之謙の字(あざな)である。程子鏡芙は、程字は姓でもあるので釈読に迷うが、「程子」は『中日大辞典』に「しばらくの間、この頃、あの頃」とあるのに拠った。

【図2】「趙撝叔」印と側款

【図2】「趙撝叔」印と側款

 この作品には紀年がなく、識語の後に捺された「趙撝叔」白文印は【図2】と思しく、印譜を閲するとこの印には「癸亥秋初。客都中作」の款があり、癸亥は同治二年(1863)、趙之謙三十五歳の刻と知れるが、「山中多白雲」の制作年代は特定できない。
 また人名については、少庵は数名いるが、趙氏に近いとすれば馮登雋か。馮登雋は馮登府の弟、浙江嘉興の人、山水・花卉をよくした。趙之謙には同一人物思われる少庵仁兄大人属書の為書きを有する「厳鐡橋詩聯」(無紀年)がある。鏡芙の字号も数名いるがそのうち高如陵が気にかかる。浙江杭県の人で隷書をよくした。馮・高どちらも清の嘉慶・道光(1796―1850)間の人とのみで生卒年が明らかでなく、手元の辞書による備忘録として記し、後考に俟ちたい。
 「山中多白雲」は『二金蝶堂遺墨』にその図版が残るのみで、目録には「七巧図五字・山中多白雲」河井●〔草冠に全〕廬蔵とある。この『遺墨』四冊は昭和17・1942年に東京美術会館でわずか三日間開催された「趙之謙没後六十年を記念する遺作展覧会」の図録で、昭和21年刊。のち昭和54・1979年に二玄社より覆印された。西川寧の序には、「去年(昭和20年、引用者)三月十日の空襲で(略)河井●廬先生のお宅は全焼し、先生は遭難され、世に名だたるその収蔵の法書名画と五車の蔵書は全部烏有に帰して了つた。この図録の六割を占める先師収蔵の趙氏の遺作も、亦その時全部失はれた」という。

 「七巧板」は欧米ではタングラム。シルエットパズルの一種で、発生地とされる中国では「七巧板」、そのシルエットを「七巧図」と言う。正方形の折り紙もしくは板を七ピースに分割【図3】しただけの単純なものなのだが、これらを組み合わせて人物・動物・器物・幾何図形・文字など実に千変万化(万化は言い過ぎか)のシルエットが創り上げられている。タングラムは欧米でブームとなったこともあり、数字は1から0まですべてと、アルファベット全字が何種も創出されている。
 漢字は画数が多いため、草書に精通して省画したりデフォルメしないと作ることが難しく、また熟語を作ることはさらに困難であり、そのことからも「山中多白雲」は実に見事な出来映えである。
 本年度(2010)の「書論・鑑賞法Ⅱ」履修者八名には1㎝四方の折り紙で復元してもらったので、多少歪みはあるが、何色もの色紙を使って根気よく何度も試みてくれた。【図4】は同大・同形のピースは全て同色にこだわった、グラデーションを工夫した花田千明(2年)の臨書作品?かつ【図1】の解答にもなっている。

補記
 使用テキストは久米東邨編著『書道芸術(漢字編)』(1963年初版、中京出版。現在は萱原書房が刊
行)。
 インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』タングラムの項に、厳笠舫『七巧書譜』(光緒2・1876年)にはタングラムで作った文字が500以上収録されているとするが未見。厳笠舫は厳恒。清・道光(1821―50)のころの画人で、蘆・雁を能くした人のようだ。
 同じく正方形7ピースだがタングラムとは分割が異なる『清少納言智恵の板』(寛保2・1742年)ではいろは48文字をすべて創出している(『休日のタングラム』で検索できる)。

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