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日本語日本文学科

2011.08.01

神奈備としての吉備の中山 ~神歌の表現~|片岡 智子|日文 エッセイ94

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第94回】2011年8月1日

神奈備としての吉備の中山 ~神歌の表現~
著者紹介
片岡 智子(かたおか ともこ)
古典文学(平安)・日本文化史担当
文学と文化史の観点から古代文学、主に和歌を研究しています。
 
はじめに~神奈備とは~
神奈備(かむなび)とは神さまのいらっしゃる所で、その山や森を意味します。前回「真金吹く」という枕詞と歌枕としての「吉備の中山」について述べましたが、一つのお山に二つの一の宮があるなど現在にいたる数々の歴史的事実からも「吉備の中山」が大いなる神奈備の山であることは確かです。
この度は三句目以下の「帯にせる細谷川の音のさやけさ」が、単なる風景描写ではなく、伝統的な神奈備の山としての表現であり、吉備の国を讃える歌であることをお話ししたいと思います。

聖なる山と帯となる川
それでは今一度、『古今和歌集』の吉備の歌を紹介しておきましょう。

真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ

「帯にせる」とはなかなか面白い言い方です。山のそばをめぐって流れる川を帯に喩え、吉備の中山が帯にしているということによって、神奈備の山を擬人化しています。
このように山の帯となっている川という表現は、この歌がはじめてではありません。すでに『万葉集』に見みられます。長歌なので前後を省略して、必要な箇所だけ取り上げると、

味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に(巻十三・三二六六)

「味酒」は「うまさけ」と読み、「を」は感動の助詞で、次の「神奈備山」の枕詞となっています。その神奈備山の帯となっているのが明日香川です。明日香川を帯にしているので、この「神奈備山」は飛鳥の聖なる山ということになります。飛鳥と吉備とで場所は異なるものの、枕詞と聖なる山、そしてその帯となっている川という発想と表現の仕組みが同じであることがわかります。
 
国ぼめの歌の様式
他にも巻十三の長歌に同じような表現がみられます。

神奈備の みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の 水脈を早み(巻十三・三二二七)

「みもろ」は神が降臨して籠もる場所のことで、やはり神奈備の山や森を意味しています。この歌では明日香川はそこに宿っていらっしゃる神さまの帯だと詠っています。前の歌とともに飛鳥の神奈備山は橘寺の東南のミハ山といわれており、この神はミハ山の神さまということになります。山を神とし、神を山とする古代の信仰がよく表われています。

いずれにしても「帯にせる」といわれる川は、普通の川ではありません。聖なる山とともにある聖なる川として詠まれているのです。

そもそも『万葉集』の巻十三は宮廷長歌謡集として成立したもので、『古事記』や『日本書紀』の歌謡にも通じるものがあることを、万葉学者の伊藤博氏が指摘しています。神奈備山とその帯となって流れる川の表現は、古来より宮廷において継承された国土を讃える国ぼめの歌の様式だったのです。
 
御笠山の細谷川
さらに『万葉集』の巻七には吉備の中山の歌にそっくりの一首があります。上句の発想はもとより、下句はまったく同じです。

大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音のさやけさ(巻七・一一〇二)

どの注釈書にも吉備の中山の歌はこの歌を元にして作られたものと見なされています。これほど同じなのですから、反論する余地はありません。

「大君の」は「御笠」にかかる枕詞で、御笠山は奈良の神奈備の山です。おそらく奈良の都になって詠われたものでしょう。このような表現は、すでに述べた飛鳥の伝統を継承していますが、「細谷川」は固有名詞ではなく、川の形状を表す普通名詞として用いられています。結句で「音のさやけさ」とあるように、川音がさわやかに澄んでいることに心を寄せています。飛鳥では流れの早さと勢いに着目していましたが、ここでは清き流れの音に神を感じて詠んでいます。

おわりに~吉備の神歌として~
なぜ吉備の中山の歌は万葉の御笠山の歌を手本としたのでしょうか。それには二つ理由があったと考えられます。

第一に宮廷歌としてふさわしい国ぼめの様式に則っていたこと。それは、この歌が宮廷で最も重要な儀式である天皇が即位される時に催される大嘗祭(だいじょうさい)のためのものであり、それにふさわしく伝統的な国ぼめの心と表現を踏襲したのです。

第二に「細谷川」に格別な意味を見いだしたからです。かつて「吉備」は天武天皇の頃に分国されましたが、その際に吉備の中山を備前と備中に分けました。その基準にされたのが、「細谷川」でした。「細谷川」は地名であり、吉備の歌枕です。この歌の細谷川は御笠山の歌と同様に細い谷川の意味に固有名詞としての地名が掛けられています。吉備の神奈備の山が「吉備の中山」ならば、「細谷川」は吉備の聖なる川なのです。

『古今和歌集』の「神あそびの歌」である吉備の中山の歌は、細谷川の清澄な川音によって、吉備の、神奈備山のエッセンスとしての、その神の顕れを伝えようとしているのです。

※画像(上)は、吉備津神社にある「吉備中山細谷川古跡の碑」。 碑の裏には「真金吹く...」の歌が刻まれています(画像・中)。

但し、実際の細谷川はここから少し離れた所の、現在「両国橋」(画像・下)の架かる小さな小川となっている場所にあったようです。

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