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日本語日本文学科

2011.10.03

今、教材としての新聞の可能性に着目する意味|大滝 一登|日文 エッセイ96

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第96回】2011年10月3日

今、教材としての新聞の可能性に着目する意味
著者紹介
大滝一登(おおたき かずのり)
国語科教育担当
国語科カリキュラムや学習評価を中心に、国語科教育について理論と実践を通して研究しています。

「中学・高校の国語の授業で学んだ教材」と聞いて、皆さんが真っ先に思い出すのはどんな教材だろうか。我が国の伝統的な言語文化である古典の教材を除外すると、おそらく中学校では太宰の「走れメロス」や魯迅の「故郷」、高校では芥川の「羅生門」や漱石の「こころ」、鴎外の「舞姫」などの小説を挙げる方が多いのではないだろうか。何しろこれらの教材は作品自体の知名度はもちろん、教科書に掲載され続けているという意味で国民教材ともいえる作品群なのである。一方、こうした文学教材に比べると、説明文・評論文教材は影が薄いようだ。時代や社会の変化に応じて掲載されなくなる「短命」な教材が多いからだろうか。

ところでこうした名作教材群に紛れて、「新聞」も立派な教材だと言ったら、素直に納得していただけるだろうか。もっとも、「教材」の概念は幅広い。『新版現代学校教育大事典』(ぎょうせい、2002年)によると、「教材」とは「教育活動において、一定の教育目的に従って選ばれた教育内容を学習者に教える際の材料となるもの」だが、「ただし、何が『教材』となるかは、教育目的に依存する」という。つまり、当然のことながら「教材」はそれ自体存立するものではなく「教育目的」があって初めて存在するものなのである。そう考えると「新聞」はまさに、子どもたちを「今」と向き合わせるための格好の教材ではないかと思えてくる。にもかかわらず文学作品が教材として連想されやすいのは、教材集として定着してしまった国語教科書のせいだろう。日々情報が更新される新聞教材は、教科書になかなか載りにくい。

だが、新聞教材の活用は今に始まったわけではない。新聞を教材として活用する取り組みは明治時代から始まっており、国語科では終戦直後の1947年『学習指導要領試案国語科編』にすでに学校新聞の作製や新聞の役割に関する記述がみられる。戦後国語科教育における新聞教材は文学教材にひけをとらない歴史を有しているのだ。

新聞を活用したこうした教育は現在ではNIE(Newspaper In Education)と呼ばれ、学校種を問わず広がりを見せている。そのねらいはさまざまだ。たとえば、多くの学校で行われている、コラムを要約するという活動一つとってみても、①語句の意味や漢字などに関する知識・理解、②文章の論理や展開を読み解く力(読解力)、③比喩など表現の巧みさを読み味わう力、④内容の要点をまとめる力、⑤人間や社会などについて考える力、などの育成が期待できる。さらに複数のコラムを比較させることで、⑥書き手の視点や立場を考察する力などメディアリテラシーの育成も可能となる。また、新聞には社説やコラムといった論説だけでなく、事故や事件の説明・伝達を主とした記事、人物の魅力や生活に役立つアイテムを紹介した記事などがあり、連載小説や短歌・俳句・川柳など文学作品まである。図やグラフ、写真やイラストといった視覚資料も豊富だ。教師が明確な目標さえ持っていれば、無限の可能性をもつ教材の宝庫といってもよいのである。

新学習指導要領国語科でも、「編集の仕方や記事の書き方に注意して新聞を読むこと。」(小学校)、「新聞やインターネット、学校図書館等の施設などを活用して得た情報を比較すること。」(中学校)など新聞を活用した言語活動が例示されており、新しい時代の教育活動を支える教材として新聞は脚光を浴びているといえる。

中でも実際によく見かけるのは新聞を作る学習である。調べ学習の成果の発信の場として新聞作りが取り入れられることが多い。だが、新聞作りは決して簡単な作業ではない。単に感想や意見を書くのとは異なり、紙幅が限られる上、見出しやレイアウトの工夫が求められるからだ。伝えたい内容の精選のみならず、伝えるための表現や形式を効果的に工夫する能力がどうしても必要である。しかし実際のところ、こうした新聞の表現や形式面の工夫を学ぶ授業は必ずしも多くないらしい。

先日筆者も、担当する「日本語表現法Ⅰ」の講義で新聞記事の工夫を見つける学習を取り入れてみた。被災地の現実やB型肝炎訴訟の真実など当日の朝刊の記事について、何を伝えているかだけでなく、どのように伝えているかについて考えさせるのがねらいだ。「にほんご」という記事文集を作るための事前学習として行ったのだが、意外にも多くの学生たちがこのような授業を初めて受けたと答えている。

名作教材による授業も大切だが、新しい時代に対応する人材を育成するには、目的に見合った新しい教材の開発が欠かせない。震災後の今、「生きる力」というキーワードはますますリアルな意味を帯びている。主体的に考える力、思いや考えを交流し合える力、相手を思いやる力...。こうした力を育成するために、新聞という教材の可能性に今一度着目してみてはどうだろうか。

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