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日本語日本文学科

2011.11.01

明珠在掌|佐野 榮輝|日文エッセイ97

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日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。
 
 篆刻作品を制作する際、印に刻す語句(印文)を選定するのにいつも悩みます。特に字数の制約はないのですが、印面構成上の変化が付けやすく、また迫力などの観点から、四字句が中心になります。四字句でも例えば「一期一會」などは二行にすると「一」が上にふたつ並ぶため、難しい印文で、私はまだ刻したことはありません。
 昨年、「明珠在掌」という印を刻しました。この語は『碧巌録』という禅書にあります。
四書五経や詩文などにも刻してみたい印文は数多くありますが、字数が少なくて、語句の内容に自身の思いを重ねられるものとなると、私には禅書が好もしく思われます。
 しかし私は坐禅は生涯ただ一度経験しただけで、ひたすら語句にのみ執着して印を刻そうという、野狐の足下にも及ばない、まあ、あるいは文字禅といえば言えるかも知れませんが。

「明珠在掌」(佐野榮輝)

「明珠在掌」(佐野榮輝)

 「明珠在掌(明珠掌に在り)」は、「ひかる珠が掌(たなごころ)に在る」の意ですが、手元にある禅書の解説を覗いてみると、「般若の智慧の明珠、我が掌中にあり」(『禅語字彙』)、「実相般若を唱ったものである。一生懸命に努力したなら、金剛の明珠は汝の手中にある」(仏典講座29 『碧巌集』)など、般若の智慧の明珠といい、金剛の明珠といい、明珠は仏典では仏性の象徴としての語らしい。仏性は何処にあるのでもなく、ただただあなたの掌中に在るのですよ、と。
 それをいわば断章取義して、私の受講生、特に四年次生の「書道卒業制作」履修者を明珠に見立てて、四年間、彼女たちが私の掌中に在ることの至福と同時に、明珠を真の明珠とすべく、的確に指導しているのかとの葛藤を思いながら刻したものです。
 そのような経緯から、私は昨年の『第16回 書道卒業制作展 所感文集』の巻頭言では、「明珠」に「ツワモノ」とルビを付しました。
 四年次のほぼ十ヶ月という時間の中で、就職活動や卒業論文の執筆などと並行して、空き教室を探しながら、一人五点の作品制作にすたすらに打ちこむ姿には、若さへの憧憬さえ感じるからです。

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