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日本語日本文学科

2012.03.01

正宗敦夫について|新美 哲彦|日文エッセイ101

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第101回】2012年3月1日

正宗敦夫について
著者紹介
新美 哲彦(にいみ あきひこ)
古典文学(平安)担当
平安・鎌倉時代に作成された物語について、江戸時代に至るまでの受容の歴史も含めて研究しています。
はじめに
昨年は正宗敦夫生誕130年であった。正宗敦夫、と言っても知らない人も多いかもしれない。作家・評論家として名高い正宗白鳥の実弟で、古典籍の発掘・蒐集、古典本文の整備、注釈、研究において、多大な貢献をし、本学に国文学科が新設された際に招かれ、教鞭を執った人物である。『日本古典全集』刊行を通じて、与謝野鉄幹・晶子夫妻との交流も深い。

正宗敦夫が蒐集し、保存に努めた数多くの貴重な典籍類は、現在、財団法人 正宗文庫と本学附属図書館正宗敦夫文庫に収蔵されており、さらに、本学が購入する際に正宗敦夫が尽力した本学附属図書館黒川文庫を合わせた三文庫のうち、資料的価値が特に高いと認められる典籍が、『正宗敦夫収集善本叢書』(武蔵野書院)として影印刊行中である。昨年11月から今年1月にかけて、吉備路文学館で特別展「正宗家の学問と芸術」も開催された。
本エッセイでは、正宗敦夫について少し述べていきたい。

敦夫と研究
敦夫の研究は、和歌の実作と深く結びついている。敦夫は、歌人・文人であった祖父らの影響もあって、早くから和歌の実作を行っており、歌人・国文学者で、当時、岡山の第三高等学校医学部眼科教授であった井上通泰(1866~1941)に明治30年ごろから師事している。その井上通泰の指導のもと、明治32年(1899)正月、満17歳で、山陽新報に「正宗雅敦之伝・正宗直胤之伝」という、敦夫の祖父らの緻密な伝記考証を書いている。さらに、翌年10月に誤りを訂正した「正宗直胤」(山陽新報)を4回にわたって連載するという誠実さである。書物を偏愛した敦夫は、中古の印刷機を購入、明治39年(1906)より歌学雑誌『国歌』を創刊、さらに、明治42年(1909)より歌文珍書保存会としてさまざまな本を刊行している。その後『万葉集総索引』『日本古典全集』など山のような業績を陸続と刊行することとなる。
 
敦夫と教育
敦夫が教鞭を執った期間は短く、最晩年の約7年間のみである。正宗敦夫を本学に招聘した、初代学科長で、京都大学名誉教授の澤瀉久孝(おもだかひさたか)は、招聘理由と、その後体調により辞意を漏らしていた正宗敦夫を引き留めた理由について以下のように述べる。

正宗先生をこちらへお招きした時には、その昔京都大学の文科が創設せられた折、作家幸田露伴、朝日新聞記者内藤湖南、などの人達を教授に招聘したにも似た気持ちであつた。所謂学歴や教職の経歴のない民間の学者を大学教授に迎へる事は当時として異例であつたが、それによつて京大文科は東大に対して独自清新の学風を樹立する事が出来た。(中略)大学といふところは学問の研究をするところ、少くもその研究の道を学ぶところであつて、従つて教授自身が学問の研究に打込んでをり、学生はその業績の片鱗に触れる事が出来れば足るのである。中学や高校とは違つて、毎週毎日きまつた時間にきまつた授業をされても、先生自身に学道精進の実が無ければ、大学教授とは云へないのである。そういふ意味で正宗先生の如き碩学はたとへ月に一度その姿を見せられるだけでもありがたい事だと私は考へてゐたのである。
澤瀉久孝「正宗先生の学恩」『清心国文』第二号・正宗敦夫教授追悼特輯(一九五九・三)

 
敦夫は、講義の題材として、『金葉和歌集』を取り上げた。一回の講義の準備に六日間を費やすという熱の入れようで、本学正宗敦夫文庫蔵『金葉和歌集』コレクションもこの時期の蒐集にかかるものが多いようである。学生の指導にも熱心で、卒業論文を作成する学生などに正宗文庫を開放して、指導にあたったという。
 
おわりに
私はもちろん、正宗敦夫と面識はない。だが、敦夫の業績や交流からは、飄々としつつも、本質にこだわる篤学の姿が浮かんでくる。また、いわゆる学歴、教歴もなく、兄・正宗白鳥が東京を中心に活動したのとは異なり、備前市穂浪を終の棲家と定め、古典籍を蒐集し、家に印刷機までそなえて、多大な業績を倦(う)むことなく世に送り出し、さらによき教育者としての顔をも併せ持つ正宗敦夫の姿自体、澤瀉久孝初代学科長の見識とともに、近代日本の「発展」および現在の高等教育に対する痛烈な批判である。

実は、昨年3月11日、私は正宗文庫にいた。今回の地震で、寺社、図書館、個人宅等で保存されていた多くの文化財が消失・損傷を受けた。文化財の保存・研究・公開、それに関わる人材育成は、重層的な文化の維持をどう考えるかという、社会のグランドデザインに直結する。今後の経過に目を配りたい。

写真:本学正宗敦夫文庫蔵『金葉和歌集』コレクション

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