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日本語日本文学科

2012.04.02

近世の旅路と書物|藤川 玲満|日文エッセイ102

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第102回】2012年4月2日

近世の旅路と書物
著者紹介
藤川 玲満(ふじかわ れまん)
近世文学担当
近世中期の文学と出版について研究しています。

前回(第90回)までは、秋里籬島による京都の名所案内記についてお話しました。今回は、近世の東海道に関する書物を取り上げたいと思います。都から東国への道の記は、古来多く書き残されてきましたが、江戸時代、東海道は五街道の一つとして江戸と京都を結ぶ主要路であり、参勤交代、商用、僧侶や俳人の行脚、伊勢参りや富士詣、と身分も目的も多様な旅人たちが往き来していました。では、この旅路をめぐって、どのような書物や文学が出ているのでしょうか。
 
道中記
一つに、旅人が道中に参看する案内記、「道中記」があります。その目的から、書型は概ね小型の一冊です。道中記は江戸時代を通して非常に多く作られていますが、『東海道巡覧記』(蘆橘堂適志編、延宝年間(1673-1681)刊)から、富士山近辺を例に見ましょう。

吉原より原迄三里六町 砂地道よし
(略)
西立場  上り下り立場也 左大宮口への道有 ふし山参詣法花ふし五ヶ寺参詣道也
宿    延宝八年八月六日津波して民家流れしにより天和
二年此所へ移されし也
(略)
冨士山  日本第一の名山高き事九里餘 駿州よりは大宮口相州よりはすはしり口 甲州よりは吉田口 六月十五日に雪消又其夜に積るといふ 此辺ふしの正面也 ふもとに大沼有
 浮嶋原と云
いつとなく心空なる我恋やふしの高根にかゝる白雲  後拾遺 相模
一里塚  小松有
(筆者注 大宮口・すばしり口(須走口)...富士山の登山口。)


このように、立場(休息所)や一里塚、そして見るべき名所(富士山)と旅人が通る道沿いにあるものが順々に並べられていく形式です。この部分では歌枕の伝承や和歌に少し文芸性を見て取ることができますが、道中記自体は極めて実用向きな書物と言えましょう。また、これを絵で描き連ねていく様式の道中記もあります。その一つ、『東海木曽両道中懐宝図鑑』(明和2(1765)刊)(図版(後印本))は縦16.1cm、横11.1cmの書型で上下二段組ですが、上段には東海道、下段には江戸から京都に至るもう一つの道筋、中山道が描かれています。
 
小説
また、東海道にかかわる小説も出ています。十返舎一九の『道中膝栗毛』が特に著名ですが、さらに古い江戸時代初期の小説に、『東海道名所記』(浅井了意作、万治年間(1658-1661)刊)があります。これは、俄道心の僧侶の楽阿弥が、江戸で旅慣れぬ大坂の男(商家の手代)と知り合い、二人連れ立って東海道を上っていく話です。では、途中、楽阿弥たちが遠江の今切(いまぎれ)の海(浜名湖口)を渡る部分(「舞坂より荒井まで舟の上二十三町」)を例に、その描きぶりを少し辿ってみましょう。

まず、楽阿弥が連れの男に「舞坂より舟にのるに七つ時分よりまへには渡しあり」などと渡し舟の刻限を教えつつ、二人が舟に乗り込みます。そして船中、男が「今切」という名の由来を尋ね、これに船頭が答える形で海の故事が語られます。すると途端に、舟をこぐ櫓の綱が切れて船頭は仰向けに転倒、したたかに腰を打ちつけたものの、狂歌を詠みます。

渡しぶねから櫓のはや緒今きれて波のあら井にこしぞわづらふ

この即妙の狂歌(今切と荒井の地名が入っています)に感じた船中の人々が船頭をいたわって薬や酒を与えるのですが、この有様を楽阿弥に「されば古今の序に、ちからをもいれずして舟うちをうごかし、目のまへにのり手をもあはれと思はせ、おとこにもたせたる酒をももらひ、いたきこしぼねの腫をもなをらするは哥なり、といへるは此事なるべし」と『古今和歌集』の序(「力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武人の心をも慰むるは、歌なり」)をもじって言わせ、結んでいます。この作品は、小説の枠組とおかしみのなかに名所・旅案内が混ぜ込まれた格好となっているのです。

さて、この小説のおよそ140年後に、秋里籬島著『東海道名所図会』が出版されています(寛政9(1797)刊)。その「今切」の箇所を見ますと、海の故事から書き出して、漢学者林羅山の『丙辰紀行』や俳人蝶夢の『遠江記』等から、荒井の浜・浜名の湖の叙述を引いて列挙し、自詠の句を添えた今切の海の俯瞰図を入れた内容です。この書物は、秋里籬島による名所図会シリーズの、従来作の畿内から場所を転じた一作ですが、上述のような旅路を描く書物の諸形式の末尾に位置付けて捉えることもできるのではないでしょうか。

本文の引用は、『東海道巡覧記』―『道中記集成』8(大空社、1998)、
『東海道名所記』―『近世文学資料類従』古板地誌編7(勉誠社、1979)、
『古今和歌集』-新日本古典文学大系5(岩波書店、1989)に拠る。
図版(『東海木曽両道中懐宝図鑑』)は筆者の所持本を使用。

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